第17話 冬キャンッ☆
チッ、チチチッ、という小鳥の鳴き声が頭上から響く。見上げると野鳥は飛び立ち、そして冬の湖へと消えてゆく。木々の葉が落ちた寂しげな影を湖面に映り込ませていた。
ああー、いいなぁー、冬の湖って。心が穏やかになるほど静かだし、凍てつきそうな寒さのなかでパチパチと音を立てる
とはいえこの地の冬は厳しくって、避難区域にされる前でもあまりの寒さに家族連れやカップルの姿はさほど見かけなかった。
向こうの岸に立ち、釣竿を手にしているイヅノもまた静かなものだ。じっと立ち、時おり竿を引くというくらいの動きだったが、湖畔に白い水しぶきが唐突に立つ。きゃあっという明るい声がここまで響いた。
「うおー、見てください、見てください! 釣れましたよ!」
「ちゃんと釣りあげたら美味しく料理するぞー」
そう返事をすると彼女のやる気に火がついたらしい。ぱしゃぱしゃと魚が幾度も跳ねて、水面を白く染めていた。
もしも第三者がここにいれば、イチャイチャカップルどもが来やがったとやっかみ混じりに思うかもしれない。しかし実際はというと、約3日もの徒歩による強行軍をし終えたばかりというタフさであり、かつ彼女はオーク族の魔物である。
その道中では、ぶつくさぶつくさと彼女は絶えず文句を言っていたし、機嫌が直ったのはつい先ほどだ。鬼だのバカだのひどい言われようだったが、ルアーや竿といった釣り道具を見せた途端、その赤い瞳に輝きを灯らせていた。
彼女が釣りで遊んでいるあいだ、俺はというと薪の管理やテントの設置、それに飯の準備などを始めている。
これで雨なら最悪だったけど、幸いなことに今日はまずまずの天候に恵まれた。冬なのでさすがに寒いが、火にあたって温かいものを飲めば大丈夫だろう。
そして、手にしたものでカシャッと撮影したのは、大きな魚を手にブイサインしているイヅノだ。
あらあら、子供みたいな可愛い笑顔になっちゃって。大人っぽい外見にすっかり騙されたが、これで16歳か。まだ子供のような仕草をしてもおかしくない年頃なのだな。そう考えながら俺はビチビチと水しぶきを飛ばしながら暴れる魚を掴み、釣り針をブツッと抜いた。
「誠一郎さん、魚の料理ってどうやるのです?」
「うん、酒のつまみにちょうどいいし始めちゃおうか」
本格的な料理はこれからだが、魚一匹くらいなら先に食べてもいいだろう。
包丁でワタを取り、鱗やぬめりを落としたあと、塩をすりこんでから火であぶる。じっくり、じっくりとだ。シューシューという音を立てて、美味しそうな匂いが漂ってきても手を出してはいけない。
油の乗った魚は、熱を与えると徐々に芯まで焼けてゆく。ちょうど良く焼けたように見えてもまだ我慢。なぜならば寒いところにあると嬉しくなるホットワインを用意しなければならないのだ。
きらきらに輝いた瞳をイヅノはしており、その可愛いお口があんっと開かれる。ひとくち齧れば香ばしくも優しい魚の味わいが口いっぱいに広がり、身もほろほろと崩れる。
そこで冷えた身体に嬉しいホットワインが喉を通ってゆき、ほどよい酒気混じりの息をぷはあっと吐いていた。
「ふああーっ、美味しいぃーっ! 湖の幸に乾杯ですね。もう酔ってしまいそうです」
「ずいぶんでかいのを釣ったな。こっちのチーズも火であぶって食べたらどうだ。美味いぞ」
「やだあ、もうっ! またそうやって私を誘惑して!」
早くも酔ってしまったのかな。ころころと笑う彼女はいかにも上機嫌な感じだったから、先ほどまで浴びていた罵詈雑言のことなど俺は忘れてしまったよ。
こんな場所に男一人で来ていたら、ボケッと過ごしてお終いだ。しかし、あーん、ぱくっと頬張り、ん~~~っと唸りつつ地団太を踏むイヅノがいると事情がぜんぜん変わる。なんだこれ、めっちゃ楽しい。
「美味いか?」
「あなたも食べてください。はい、あーん」
いつもと違う環境のせいか、彼女はどこか開放的だ。オーク族なのだから人間の家屋などよりもずっと過ごし慣れた環境なのだろう。とびきりのごちそうを自慢するように、その赤い瞳はきらきらに輝いていた。
差し出されたものを食さずして日本男児とは言えないため、仕方なく、仕方なーくだ。パクっとひとくちで口内に放りこみ、ほどよく濃いチーズの味わいを楽しむ。
こんな可愛い子からさぁ、親指で口を優しくぬぐってもらえるとかマジでたまんないわ。可愛い。好き。絶対に浮気しないでね。
そして喉から胃までぽかぽかに温めてくれるホットワインを呑むと、もうなんというかね、仕事とかしがらみとかさぁ、もうどうでも良くなっちゃうよね。上司や部下なんて一人もいないけどさ。
などと早くも酔っ払いモードになりつつある俺たちだが、せっかく用意したメインディッシュを忘れるわけにはいかない。
軽食を摂ったことで、これまでの疲れが出てきたのだろう。ハンモックみたいな椅子に腰かけるイヅノは
キャンプ地で食べたいものはたくさんあるが、俺は子供のころからこれが好きだ。玉ねぎや人参、そしてじゃが芋などを刻んでいる通り……そう、ド定番のカレーね。
捻りもなにもないけどさ、こういうオーソドックスなのを選ぶのもたまには良いと思うんだ。
飯盒がふつふつと泡を吹き、香辛料のスパイシーな空気が辺りに漂い始めたころだろうか。西日が湖畔を赤く染めるなか、イヅノはゆっくりと目を覚ます。己にかけられた毛布を不思議そうに眺めたあと、彼女の赤い瞳が見開かれた。
「あっ! 私、寝ていましたか!?」
「うん、気持ち良さそうだったよ。ちょうど料理ができたところだし、一緒に食べようぜ」
気恥ずかしかったのかな。飛び起きるようにイヅノは椅子から起きて、それから調理していたものをじろじろと興味深そうに見つめてくる。
「うわ、いい香りですね。どこの国で仕入れたのですか」
「近くのスーパー。はいどうぞ」
こげのついた白米に、たっぷりのカレーをかけて彼女に手渡す。
俺はどちらかというと、水っぽいよりもどろっとした濃いカレーが好きなんだ。人の好みによるだろうけどさ、なるべくルウは多めにしたい。
紙製の皿を手に取り、先ほどの椅子に腰かけるあいだ、イヅノはずっとそわそわしっ放しだった。
慣れない環境、そして慣れない料理というのもあるだろうけど、落ち着きのない子供みたいでなぜか目が離せない。そしてにこりと笑って「いただきます」と言ったあと、スプーンにのせたものを彼女はもぐりと噛んだ。
「っ! んっ! んん゛~~~っ!」
目をぎゅっとつむり、なぜか彼女は身もだえる。
まあ、気持ちはよく分かる。冬の山を歩き、へとへとになったところで、香辛料たっぷり、栄養たっぷりという食材が口に放り込まれたのだ。噛めども噛めどもうま味は薄まることなく、それどころか鼻を抜けていく息さえもスパイシーで香ばしい。
ぷあっとひと息ついたあと、なぜか彼女は笑みを浮かべて、俺の肩をぺしんと叩いてくる。まだ咀嚼で忙しい様子のイヅノに俺は笑いかけた。
「美味しい?」
「……ふふ、すごく。はあ、びっくりしちゃいました」
黒髪美女はどこか優雅に笑ったが、それは次のスプーンを口に運ぶまでだ。
ここから先、約十分ほどのあいだ彼女はひとことも話すことなくカツカツと食器を鳴らし続ける。そしてハンカチで唇をぬぐうと、ようやくまた話しかけてくれた。
「誠一郎さん、あなたに百点をあげます」
わあ、やったあ。百点だ。ざまあみろ、スリザリンの連中ども……っと、それは映画の話だった。あそこの学園長は鬼畜というか、ガキ相手でも容赦なくえこひいきするからヤバい。
まだわずかに茜色を残す湖畔に彼女は目をやり、しばしその景色を眺め続ける。薪のパチパチと爆ぜる音が響くなか、くるりと彼女は振り返ってきた。
「不思議です。ここまでの強行軍はさながら地獄のようでしたけど、また来てもいいなって私は思いました」
まったく同感だ。その美しい笑みを見せられては、また来たいと俺も願ってしまう。もちろんそんな気持ち悪いことは言わないし、おくびにも見せない。しかし俺の気持ちが伝わってしまったのだろうか。イヅノは軽やかな鈴の音のように笑い、その瞳を細めてくれた。
「ゆっくり休んで、帰り道の強行軍をしばらく忘れましょう」
「いや、帰りは歩かないよ。めんどいし」
「ん?」
「ほら、そこに車があるでしょ。うちの車が」
「んんんんっ?」
後方に振り返って、ぱちくり、ぱちくり、とイヅノは幾度もまばたきする。
「村にいる人に届けてもらったんだ。いいかげん風呂に入りたいし、帰りは車だよ」
おや、どうしてイヅノの髪がざわざわという風に浮き上がってゆくのだろう。振り向いたその表情はにっこり笑顔でありながら、ゴゴゴという擬音があってもおかしくない迫力だ。
「あなた、どうして最初から車で来なかったのです?」
「いや、だから訓練の一環であって、単なるキャンプ目的じゃな……」
やべ、こいつの手にするスプーンが、ぐきゃって大きく曲がった。
しばし俺は悩み、生意気なオーク女にこう言ってやったよ。男らしく「ごめんなさい」ってな。
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