第15話 イヅノちゃん呉服屋に行く

 明くる朝。空は綺麗に晴れ渡り、ぱかん、ぱかん、と薪割りをするたびに、鶏どもがコケコケと鳴く。なんだか平和な光景だなと思い、次の薪に手を伸ばかけたたとき、日当たりの良い縁側に彼女がやってきた。


 庭に面したそのスペースでは、腰掛けてゆっくり休むことができる。ここから望める山の景色はなかなか良いので、のんびりするのにぴったりだ。和菓子があるとなおいいね。


 気分転換のつもりかイヅノは浴衣を袖に通しており、手にしたおぼんには茶がのせられていた。


「おお、浴衣だ。家にあったやつか」

「ええ、先ほど箪笥の整理をしていたときに見つけて、せっかくですから勝手に着させていただきました。に、似合いますか?」


 似合うとしか言いようがないっぺよー!

 イヅノの髪は黒くて真っすぐだし、きちんと手入れしているおかげか艶もある。だからこそ和装でもさほどおかしくなくて、褐色の肌もいい感じのアクセントとなっていた。


「あら、お上手ですね」


 俺が思ったことを正直に言ったところ、鈴の音のようにころころと彼女は笑う。

 うーん、ほっそりとした首筋が強調されて見えるし、これはポイントが高いですね。日本を満喫する外国人さんを見てるようで、なぜか微笑ましい気分になる。

 もしも他に必要なものがあるとしたら……。


「あ、そうだ。それに似合う髪飾りでも買いに行かないか? 前にショッピングしたときも宝飾品をえらく気に入っていたよな」

「っ! 行きましょう行きましょう! 気が変わらないうちにすぐ出発しましょう! 善は急げ! 思い立ったが吉日! レッツゴーですよ、あなた!」


 こ、こらこら待て待て。せめてお茶を飲み終えるまで待って欲し……あーっ、イヅノちゃん! おやめください! イヅノちゃん、その怪力で引っ張るのはおやめくださいー!


 まったくもう、相変わらず猪突猛進なんだから。


 荒れた田んぼ沿いの道を、がたごとと揺れながら車は走る。

 すぐ隣に腰掛ける彼女は先ほどと同じ和服のままで、ふんふんと鼻歌を漏らすほど上機嫌だった。


「しっかしお前はアクセサリーが大好きだなぁ」

「当然です。あれこそがまさしく成功者の象徴ですし、宝石も大きければ大きいほどたまらない気持ちになりますからね」

「小さいほうが可愛くない?」

「だんぜん大きいほうが良いです。最も名誉であるのは強者から殺して奪うことですが、そういう下賤な行為から私は卒業しました」


 さすがはオーク、日本人にない感性をお持ちでいらっしゃる。えっへんと大きな胸を張って自慢しているようだけど、それはただの一般常識だからね。それも最低限なやつ。


 田圃を抜けてしばらくすると、ちらほらと無人の家が見えてくる。ここは古くからある村だし、呉服屋さんも何件かある。それらのなかで割とまともそうな店の前に停めると、いつものように勝手に鍵を開けて入店である。


 うえっへっへ、錠前を開けることなら俺に任してくださいよ。もちろん服のお代はきっちりカウンターに置いておきますからねぇ。消費税込みで。などと怪しい笑みを浮かべる俺であった。


 古めかしい赤いポストが置かれているこの呉服屋は、俺が小さなころはちゃんと営業していたらしい。ご近所でも評判で、祖父母は足繁く通ったらしい。そんな話だけは聞いたことのある店だ。


「おお、こじんまりとした綺麗な店ですね!」

「このあいだと違って個人経営だしな。虫食いもあるだろうし、ちゃんとした浴衣は町に行ったとき頼もうぜ」

「まさか、大都会にこの私が行けるのですか!」


 なにびっくり顔で振り向いてんの? 普通に行けるに決まってんじゃん。まあ、ちょっとはその長耳を隠す必要があるけどさ。

 あと大都会じゃなくって、かろうじて駅ビルがあるくらいの限界集落一歩手前な町だからね。


「今日のところは髪結いの装飾品選びだな。あ、こっちの巾着袋もどうだ」

「うわっ! 可愛い! なんですかこれ、なにをしまうのですか!」


 うははと笑い出しそうなほどイヅノのハイテンションぶりは見ているだけで面白い。

 ああ、そういや前の買い物のときもそうだったっけ。あいかわらずの強欲さというか、小さな物でも大喜びするというか、ガキを見ている気分になっちまうな。背丈と胸はご立派だけど。


「巾着には大事なものをしまうんだ。財布とか鍵とか、手元に置いておきたいものをな」

「そ、そうですか……残念ながら私の斧は入りそうにないですね」


 うん、それは巾着袋じゃなくて、風呂敷とかになっちゃうね。


「ですが、見たところ女子力とやらが上がるアイテムとお見受けしました。せっかくですのでいただいておきます」

「へえ、よく女子力なんて言葉を知っているな」

「ふふん、テレビから得られる情報には価値があるのですよ。誠一郎さんはご存じないと思いますが」


 それくらい知ってらい。カッコ笑いが語尾についちゃうよ、君ぃ。というかテレビから得られる情報って、あんまりなくねえ? 俺はネット派だから知らんけどさ。


「イヅノちゃん、こっちに鏡がある。一緒に髪結いを選ぼうぜ」


 そう言うと、黒髪が浮き上がるほどイヅノはギュンと素早く振り返り、こっちに向かって駆けてくる。そして椅子に腰かけるや、どうやら気に入ったらしい巾着袋を膝の上にぽすんとのせていた。


 正面にある鏡には、にこにこ笑顔のイヅノが見える。その長くてきれいな黒髪を手に取り、櫛で後ろ髪を丸くまとめてやりつつ仮留めの櫛を通す。


 面白かったよ。にこにこしているイヅノが、俺の手つきの良さにびっくりするんだ。赤い瞳を真ん丸にするものだから、なんだか兎さんみたいだなって俺は思う。


「っ! もしや誠一郎さんも女子力が高いのでは?」

「ははっ、違うよ。下男坊として姉たちの手伝いをしていたからさ、そのときに覚えたんだ」

「まさかお姉様がいたとは……。いずれきちんとご挨拶をしなければなりませんね」


 うーん、そんな日が来るのかなぁ。来ればいいなと考えておこうか。

 こんな時代だし、姉たちは東京などの安全な大都会に引っ越している。俺には山を守るという大事な仕事があるのだし、いつか魔物たちの被害がなくなれば遊びに行けるかもしれない。


 それよりもとイヅノの髪に串を通す。花飾りつきで華やかな串だ。ぱっと周囲が明るく感じられるほどであり、それを目にしたイヅノは思わずという風に息を呑む。


「きれい……」

「お前が考えていたような宝石とは違うけどな。花のようにあしらったガラス玉だ。宝石じゃなくても、こういう綺麗な物もあるって教えたかった」


 ブーケのように様々な花を模した飾りは、イヅノもお気に召したらしい。耳たぶを覆うように垂れたものを指先でちょんちょんと触り、その頬には幾分か赤みが増す。


 ごめん、嘘ついたわ。もっと大きな宝石みたいな飾りがついたやつもあるんだけど、あれめちゃくちゃ高かったわ。田舎の呉服屋を少しばかり舐めていたし、薄給な俺にあんなの買えるわけないじゃん。だったらこっちのほうがいいよね? ね? ね? という心境である。


 さて、騙されてくれるだろうか……。


 待つことしばし、くるんと振り返ってきたイヅノは、太陽のように明るい笑みを浮かべて「これにします」と言ってくれた。


 ふうー、安心した。でもなぜだろう。この笑顔が普段よりずっと愛らしいと俺は感じてしまったのは。

 口元に笑みが浮かび、じいっと見つめてくる瞳はなぜか輝いて見える。まるで「好き、好き」とでも考えているかのようだ。くっそ、胸の奥がぽかぽかするっ!


 ともあれ、レジのところにお金を置いた俺は、がたことと車を走らせて帰路につく。そのあいだ紙箱をしっかりと持つイヅノは、ずーっと上機嫌だった。たくさん話しかけてくるのも可愛かったかな。

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