クラッシュ
湖ノ上茶屋(コノウエサヤ)
第1話
美咲はいつも、ポーチに一粒のキャンディを忍ばせている。母からもらった、大切なもの。ここぞという時がいつ来てもいいようにと、常に行動を共にしている、人生の鍵。
付き合っている彼・拓弥とは、ラーメン屋で出会った。
その日、友人である花苗と共に人気ラーメン店の行列に並んでいた。ようやく先頭、もうすぐ入店というタイミングで花苗に「ごめん! 急用! シンジから呼び出しくらっちゃった!」とパチンと手を合わせとっとこ走り去られた美咲は、仕方なしに一人ラーメンデビューしたのだ。並び続けた数十分を無駄にするのがなんだか嫌であったし、腹の虫が今にも叫びそうなほど空腹だった。一人であることに抵抗はあったが、みな一心不乱に麺を啜っている。つまり、誰に気にされるわけでもない。気にするのは自分自身。自意識さえ捨ててしまえば、一人ラーメンなど容易いはずだ。
実際、注文も食事も、大したことはなかった。カウンター席が埋まっているからと、一人であるのにテーブル席に座ることになり、広いテーブルを前に肩身の狭い思いをしているのは確かだが、注文から料理の提供までは行列の牛歩と異なりスピーディー。料理が提供されてしまえば、あとは啜るだけ。
なんだ、一人ってけっこういいかも。途中で会話を挟むでもないし、何から食べるかとかを見られるわけでもない。気楽。自意識が膨張しなければ、なかなかいい食事時間だ、という発見をも啜り、噛み締め、飲み込む。
ひっそりとテンションを上げながら一心不乱に啜っていると、不意に声をかけられてむせた。平謝りに平謝りを返し、要件を聞く。
「先頭にお並びの方が、おひとり様でして――」
店員は平謝りのテンションのまま、モゴモゴと話す。美咲はあの行列を思い出し、無駄に広いテーブルを見、「いいですよ」と返した。
まだ半分も食べていないから、それなりに同じ時間を共有しなければならないだろうけれど、食べ終えたらすぐに退店する気でいる。強面の人、とかだと少し怖いけれど、まぁどうにかなるだろう。
少しして、店員に案内されてやってきたのは、同い年くらいの男だった。男は椅子に腰掛ける前、ぺこりと頭を下げながら、「どうも。お邪魔します」とはにかんだ。
美咲もぺこりと頭を下げた。それを境に、ズズズ、は、ちゅるる、に変わった。
二人ラーメンになった瞬間、ぶわっと自意識が膨れたのだ。いやだ、ズズズって啜っているところを見られるの、いやだ。いくらこの人が、この場限りの人であっても、いやだ。
男は迷いなく注文を終えると、水をごくりと一口。
わざと大きく鳴らしたわけではないだろうが、しっかり聞こえたその音にドキッとし、ちゅるる、がさらに勢いをなくす。
「優しいんですね」
「……へ?」
「ああ、いや。相席でって言われたとき、てっきり男の人だと思って。まさか可愛らしい女性だとは」
ごきゅん、と喉が鳴った。
男は気さくに話しかけてくる。その内容は、どうでもいいことばかりだった。けれど、楽しそうに話をするものだから、聞いていて嫌な感じはしない。
ふふふ、へぇ、そうなんですね。
返す短い言葉は、どれも小さく弾む。
ズズズ、と食べ続けていたのなら、揃わなかったのだろう。さっと食べ終えた男と共に、店を出た。
「このあと暇ですか? さっき話した花壇なんですけど、一緒に見に行きませんか?」
暇であるし、腹ごなしするのにちょうどいいと思い、美咲は誘いにのった。
歩幅は小さかった。合わせてくれていると悟った。楽しい会話と、優しい配慮。少しずつ、男への興味が膨張しはじめた。
ぴたり、と足が止まったとき、目の前にはこぢんまりとした花壇があった。色とりどりの花が、ハートの形に植えられている。
「かわいい」
「ね。ここで咲いてくれるだけで可愛いんだけどさ。こうしてハートの形になってると、より一層可愛く見えるよね」
ニカッと男が笑った。その顔に、ドキッとした。
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