ヤヒロバーニング
ツララは1階、ノットは2階、マヒルくんは屋上から一度外を見渡したあと、3階。各々捜索の分担が決まったところで、
「あれ? コウジくんは?」
俺の捜索場所がない。
「えっ、あぁ、コウジ、コウジなぁ」
余ったせいでどこに配置していいかわかんなくなってんじゃねえか。
「いいよ、剣城くん自由にしてなよ」
「んなことある…………?」
なんと、一番ヤヒロのことを知らない俺が思い当たる場所へ自由に行けと言われてしまった。
どうすれば良いのでしょう。
全員捜索に行ってしまった、俺はどこへ行けばいいんだ。
自由ってなんだろう。
「いかん、アイデンティティに悩んでいる学生みたいなセリフが……」
しっかしどこへ行く? ヤヒロと話したのだってつい最近だぜ、まだファーストコンタクトのまんまだ。
何も知らない、あそこまで優しさを持っているなんて知らなかった。
校内、ヤヒロ、話したのは教室か廊下。
「……あ」
あるじゃないか、心当たり。
どうしてヤヒロは理科準備室への曲がり角、他は空き教室しかない空間に寄っていたのか。
この問いの答えが出ていない。
移動しながら仮説を立ててみよう。
まずあそこは3階、一番近い普通教室が3年D組。理科準備室を抜いて一番近い特別教室は物理実験室。次に化学実験室と生物地学室。
普通に考えれば、ヤヒロも先生から何かを頼まれて理科準備室、或いは空き教室に行く用事があった。
でも、理科準備室を使うのは安食先生くらいしか居ないんだよな。だったら俺に頼む必要は無いし、もしも安食先生以外にも使う教師がいたとして、ヤヒロに理科準備室へ何かを運ばせるってのは無いだろう。2年の教室から中々の距離だし、それこそ安食先生のようなそういうことを考えていない野郎しか……
じゃあ空き教室? だとしたらなんでその教師は空き教室に予定がある? そもそも、荷物を運んでもらうってんなら、ヤヒロの隣に教師が居ないのはおかしい。
俺達が理科準備室に来た時、どの教室にも人は居なかった。
ヤヒロの意思で、ヤヒロ単独で行った。そう考えるのが自然だ。
例えば、ヤヒロは知り合いに見られたくないことをしていた?
校内で……? 何を……?
嫌な予感がする。
いや、俺が知らないだけであの教室のどれかは部活に使われていて、そこで何か用があったのかも。
そうだ、これにしよう。
「そう考えるのが、自然だ」
これが、俺の選んだ答え。
この世はミステリーじゃないんだ、多分そんなところだろう。
あの時みたいに曲がり角を曲がる。今度は誰にもぶつからない。
誰もいない、日が暮れている。
足音を鳴らさずに、歩く。
──────物音がする。
自分の足音ではなかった、一番奥の空き教室からだった。
夕刻。窓辺の光。揺れる赤黄色の水彩画。
空を日が染め、輝きが強くなる。
それに呼応し、青がかる。
調光レンズが、青くなる。
──────憎い。
九ヤヒロの声と思われるが、とても小さくて内容を聞き取れない。
誰に呼ばれてもないってのに、不思議と俺は、ガララとその扉を開いた。
ガララ。ガララ、
キリリ、キリリ。
非日常。
身を、声を、鳴りを潜めて、ヤヒロはその教室に居た。隅っこに座って、俯いて、
自分の左腕を切っていた。
右手に持ったカッターで、切っていた。
袖のボタンを全て外していて、タイツも脱いでいて、切りやすいように巻くっていて、前からある自傷が見えて。
祈りを込めるように、切っていた。
ゆっくりと、その現実を認識する。
切った部分から血が出ている。床がべったり濡れた訳じゃない、それ程しとどに出ていない。
表情が分からない。
時が止まって、進む。
あちらも、現状を理解し始める前に、
ヤヒロが、こちらに目を向ける前に、
血が落ちる前に行動を決めろ。
全く予想していなかった。しかし俺は、考えなければいけない。当事者になってしまった俺には、その義務がある。行動を決める義務がある。
まずは?
まずは何を。
ヤヒロの小さな声が、
「誰か、助けて」
鼓膜を揺らした。
俺は入口からヤヒロに駆け出す。
手を伸ばして、カッターのある手を止める。
「いあっ!!?」
予想なんてしていない。ぶっつけ本番、荒療治。力みすぎてしまったのか、いや、違う。ヤヒロは起こったことを理解していない。
だから、いきなり掴まれて反射的に右手が動いてしまっているのだ。
俺だって、いきなり掴まれたらそうなる。
掴んだり掴まれたり、本当に俺たちは。
「待て! 暴れんなっ!」
けれど相手は刃物を持っている。反応が止まらない、反抗が止まらない。小柄な見た目に反して、なかなか力が強くて、走る刃を止められなかった。ここで止められたら、こいつに背負わせることもなかったのに。
血の着いたカッターが、パニックを起こしたヤヒロの手によって、
シャツすら裂いて、
俺の左腕から右胸まで、刃が裂いた。
それも深く、刃を長く出した分だけ深く入り込む。
血が、溢れる。
血は怖い
「ひやっ!? え、なっ」
血がどくどくと、とくとくと、じわじわ溢れる。流れる血が体外に、落ちるどころか吹き出した。
白色のシャツが赤く染る。
俺は弱い。
刺されて切られた、溢れて吹き出した。自分にも血が流れているんだな、と、今際の際の様なことが頭に過ぎる。
でも、もしここで死のうとも、
俺は親不孝にならない。
賽の河原で石を積むこともできない。
「…………あ……」
死んだらあいつ、泣くのかな。
「っ、コウジ! おいコウジ! 助けを呼ぶから待ってろ!」
腕に切り傷を残したまま、走り出そうとするヤヒロを止める。
「あほ…………か……なんて説明、すんだよ」
「そんなん考えてる場合じゃないだろ! 失血で倒れ、っいや、もっと」
態々、年がら年中長袖にして、黒タイツもカバーのために着てたんだ。
一度家に帰ってから切るのでもなく、衝動が止められないのか、切ってしまったんだ。
「バ……レたく……ない……だろ……約束……してや……る」
切羽詰まったぐしゃぐしゃの顔。
愚か者に付き合わせてしまった。
「…………」
「な、なんで、なんでそんなに」
ちと耳が遠くなってきた。
俺がもう少し頑丈だったら、ヤヒロにこんな顔させなくて済んだのか?
「…………」
震える手で、ヤヒロの顔を近づける。同時にもう片方の手で、ポケットの携帯を取り出した。
ある人間に、電話をかける。
「な、なにを、して」
か細い声で、俺はこう言った。
「今から…………ノット……に……かける……アイツなら何も言わん…………救急箱を持ってこいって……この場所と……これを伝えてくれ……俺たちの……もしもの話で決めたことだけど…………」
確かこの話をし始めたのはノットだったから、きっと覚えているはず。
「もうダメかもしれない……ミアミーゴ……と」
緊張が解けて、重い瞼をそのまま下ろす。
俺が覚えているのは、ここまでだ。
「クソが……自殺はしたいが、血は、嫌いだ」
摩擦が怖かった。
誰かに触れたり触れられたり、自分の過ちを思い出してしまうから。
目が覚めると、目の前にノットが居た。
「やぁ。朝立ちは済ませたかい?」
「天丼だなオイ……」
場所は、さっきの余裕教室。緊急事態を察したみたいで、負傷に包帯が巻かれている。包帯法のせいか、左肩が動かしにくい。
血に濡れたシャツの上から包帯を巻き付けたおかげで、出血はバレなさそうだ。
「皮はいいとして肉まで入り込むのは弱すぎるよ、剣城くん」
これって俺の身体が脆いのか? ヤヒロのカッターが強かったのか? あと人の血って体内に入れてよかったんだろうか。血のことは聞いておこうかと軽く起きたら、視界の端にヤヒロが見える。あっちの腕も一応止血したみたいだ。
貧血によるものか、顔面蒼白。
頭が痛くなる。
「コウジ、ごめん、僕が、僕のせいで、周りが見えていたら、暴れなかったら、出ていかなかったら、こんな、こんなことに」
ごめんと言われても。
「お互い様だ、お互いに手を振り払った仲じゃないか」
というか、本当に頭が痛い。ヤヒロの謝罪を聞いている場合じゃない。
まだクラクラする。全身に血が行き届くまで、いや作り届けるまで時間が要る。
「な、なんで、なんでそこまで、どうしてそんな、どうしてそんなこと、できるんだ、ひとのために、体を張って」
意外だったのか、純粋な疑問が俺に投げかけられる。
そう言われても、どう言い返すものか。
なんでここまでできるか……?
「あ〜……」
これで今日は達成、だな。
「一日一善」
伊豆ノットとの契約。
「は、はあ?」
「剣城くんっ、はは」
「はははっ、あはは」
自分でも笑ってしまう。こんな言い訳しか出ないのか。言い訳しないと人を救けられないのか。理由をつけなきゃ人を助けられないなんて、笑えるくらいつまらないなぁ。
大義名分が無ければ、契約が無ければ。
「傷は勲章ってことで」
俺ァほんと、くだらない男だぜ。
「そんで? ノット、俺はどれくらい眠ってた?」
場合によっては、何時間もここに? いや、でも、そんなに経ってたら鍵が閉められるはずだ。
三階にいるマヒルに見られる可能性もある。
早く目覚めたって言ってたし、一時間……も長いな。
じゃあこれ、どういうことだ……?
「十五分」
「早えぇっ!」
「失神くらいだね」
死ぬかな〜と思ってた俺を返せよ。ちょっと失神してただけか。十五分だったら全然仮眠だな。いける。
「傷つけられた部分よりどっちかって言うとビックリが勝ってるんじゃない? 血を見ると気分悪くなる的な。どっちかっていうと摩擦の方があれだったのかな?」
そうか、触られたからか。
「かもな……全く」
でも、リストカットを見ると大抵の人間は気分悪くなるんじゃないかな。
見掛け倒しの流血かよ。
「ま、逆に。真逆に良いか」
十五分。話し合ってた、で辻褄の合う分数。
なら、今からみんなを呼び戻せばいい。変に怪しまれれば自傷がバレるかもしれない。
「助かった、ノット」
一言だけ、俺は付け加えた。
「手、貸すよ。剣城くん」
手を差し伸べた兎を、狩るのが今の目的。しかし今は、乗りかかった船を進めるのが先。
立ち塞がる
「お前、俺がどういう返答するかわかって言ってんだろ」
足に力を入れて、
「断る」
自分一人で立ち上がる。
「た、立って大丈夫なのかよ」
この包帯はどう言おう。
正論に向かってどう言おう。
クラっと来て、倒れそうになったところをヤヒロに支えられる。
「おいっ、駄目じゃねえか」
頭が痛い。
「自分で歩く。安心してくれ、思考は正常だ……でもヤヒロ」
しかし俺は、体制を建て直して、自分の力で歩く。
「助かる、隣にいてくれると」
頭痛がする。節々が痛い。
呆然とする、彼女の顔をじっと見る。
「で、でもコウジ、ぼーっとしてるし、説明くらい僕一人でやるから、ここにいろって」
乗りかかった船、その通り、乗りかかってしまったんだ。
「お前の顔を見てたんだよ」
ぼーっとしていることを悟られてしまったので、強引に進む。
「どう、言い訳すりゃ、いいかな。やっぱ、バラした方が、いいんじゃねえかな」
扉に進む。
「一緒に悩めばいいだろ」
俺は、扉を開けた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます