裁判

遠藤

第1話

まるで、空港にでもきたような厳重なセキュリティに、否応なしでも緊張が走った。

物々しい雰囲気の中、所持品検査とボディーチェックを終え、裁判所内に入ることができた。

初めて来た地方裁判所。

ここに来た理由が、傍聴でも、原告でもなく、関係者でもない。

まさか、自分が裁判所に被告人としてくることになろうとは思ってもいなかった。


ロビーの案内図を見て、裁判が行われる指定された部屋を目指す。

その部屋に到着し入室すると、出頭カードに署名して一番前の席に座ると、時間になるのを待った。


しばらくすると、人が入ってきたので見てみると、原告と女性が一緒に入室してきた。

原告と目が合ったが相手がすぐに逸らし、離れたところに二人は座った。

憎たらしいほどのふてぶてしい態度。

裁判だというのに、引きこもり感満載のスエット上下にボサボサ頭とだらしない体。

何でこんな奴に俺が訴えられなきゃならないかと思うと、怒りと悲しみが湧いてきた。

絶対に負けるわけがない裁判だったが、どこで足元を掬われるか分からないと、油断しないよう気を引き締め直したのだった。


元はと言えば、この男が人の家の前で、卑猥な言葉を大声で連呼していたのが始まりだ。

自分としても、頭のやばそうな人間とは極力関わらないように生きてきていたのだが、迷惑行為が三日目になるとさすがにブチ切れた。

小学生の娘を持つ父として、こんなろくでもない男を近所に放置しておくわけにはいかないという気持ちと、思春期の娘に一段ずつ大人の階段を上らせていた大切な時期をぶち壊され、ついに堪忍袋の緒が切れた。


警察に通報するという手段もあるのだろうが、即逮捕されるような案件でもないだろうし、例え逮捕されたとしてもすぐに出てきて、同じことを何度も繰り返すかもしれないと考えると、間接的ではなく、直接叩く以外にないとの判断だった。


家の前の路上に出ると、男に向かって怒鳴りつけた。

さらに、興奮状態だった私は、この男について知っていること、噂で聞いたことも次々とぶつけた。

年老いた親の年金に寄生する引きこもりで、ろくに風呂も入らなくて臭くてしょうがないことや、ペットボトルに小便を溜めて部屋に並べていることなど、知りうる事柄を全部ぶちまけてやった。


男は何か反撃してくると思っていたが、何も語らず黙って下を向いていた。

やがて男はポツリとつぶやいた。


「・・・訴えてやる」

震える体でそう何度も繰り返す。


「はあ?訴えられるなら訴えてみろ!」

と返してやった。

二度と人の家の前に来るなと警告して、私は家の中に入った。

その後数日は、報復があるかもしれないと、家族には細心の注意を払うようにと伝え、万が一に備え玄関と寝室にバットを常備した。


予想に反して静かな日々が続いたそんなある日、一通の内容証明書が届いた。

開けて読んでみたら、侮辱されたことに対する賠償金を支払えとの内容だった。

賠償金を支払わない場合、法的措置をとると、ネットで拾ってきたような文面だった。

読んでいたら呆れて、思わず吹き出しそうになったが、こんなバカを構っている暇はないと無視をすることにした。


しかし、しばらくすると、あのバカが本当に訴えてきたのだ。

簡易裁判所から特別送達で訴状が届くと、いよいよ私の怒りが頂点に達しようとしていた。

こういったバカは絶対に生かしておいてはならないとの思いから、こちらからも訴えてやろうと準備を進めた。

先日の卑猥な言葉を連呼していた時の証拠が必要だった。

しかし、怒りで撮影するのを忘れて飛び出してしまった。

それなら、証言を集めようと近所の住人に声をかけて回って、どんどん集まっている最中に、簡易裁判所から出頭の連絡がきたのだ。

ずいぶんとお早い行動に私のスイッチが入ってしまい、まずは、この裁判であの男をコテンパンにやっつけてやろうと挑んだ。

その間もこちらから訴える準備は継続した。

簡易裁判所では、私は訴えられた内容の全てを否定し、証拠を見せろと言い返してやった。

案の定あのバカも決定的な証拠を持ち合わせておらず、これにて終了かと思っていたら、なんとバカが控訴してきたのだ。

もう怒りを通り越して、呆れて物も言えなかった。

裁判費用はママが払ってくれるのか知らないが、ありとあらゆるところに迷惑しかかけていないこの生物に、とどめを刺さなくてはいけない役割が私に回ってきたのだなと思い、全力で立ち向かうのを決意したのだった。

思い出せば思い出すほど腹立たしくてしかたがなかったが、冷静さを保つため、目を瞑り静かに呼ばれる時を待った。

やがて、法廷内の奥のドアが開くと、書記官のような人達が入ってきて席に着いた。

いよいよ始まるのかと思うと否応なしにも緊張が走るのだった。


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