《短編》スマイル伝染

月咩るうこ🐑🌙

その伝染源は…

スマホのアラームの音で現実に引き戻される。


さっきまで何か夢を見ていた気がしたが、そんなものは瞳を開けた瞬間に忘れてしまう。

そんないつもの朝がまた来た。


「誰にでもこうして朝が来るわけではない。だから感謝して大切に一日を始めるんだ」

そんなようなことを子供の頃先生に言われた記憶がある。

しかしだからといって毎日突然来る朝を大切に過ごすなんて余裕があるわけがない。


当然まだまだ寝ていたいほど眠いし、着替えたり顔を洗ったり歯を磨いたり化粧をしたり...

こんなバタバタな朝をどうやってそんな理想論通りに過ごせと言うんだろう。

そもそも朝が好きな人なんて恐らく一人もいないんじゃないかと思っている。



会社に行く途中で寄るいつものコンビニに今日も入ろうとした。

が、ふと思い立って斜め前に最近新しくできたカフェの方へ踵を返した。

シンプルな佇まいだが、豆やボトルが売られていたり看板の絵や文字の装飾など...所々がお洒落な空間。

外から見える中の様子はいつも、カップ片手にビジネスマンがパソコンを広げていたり、本を読んでいる人がいたり、真剣になにやら話し込んでいる人たちがいたり...

そこはなんだか自分には似合わないような気がしていつも足を踏み入れる勇気がなかったのだ。

しかし今日は思い切ってコーヒーを持ち帰ってみようと思った。

なぜ突然そんな考えに辿り着いたのかはわからない。

いつもならとっとと缶コーヒーとサンドイッチでも買って、早めに会社のデスクで仕事をしながら味わうことなくいつの間にか胃袋に消えているわけだが...

もしかしたら今朝あんな言葉を思い出したからかな...自分の予想外の行動に苦笑いしながら少し緊張した面持ちで足を踏み入れた。


「いらっしゃいませ。おはようございます!」


見るからにお洒落な店員さんたちがドリンクを作りながら笑顔をこちらに向けてくる。

笑顔を向けられれば当然悪い気はしないし朗らかに返した。

今日初めての朝の挨拶はこの人だ。


あ・・・全然並んでないみたい。

もしも列ができていたらすぐに出ていつものコンビニへ行こうと思っていたのだが、その言い訳はもうつかなくなってしまいどうやら本当に自分は今日ここでコーヒーを買うらしい。となぜだか客観的に覚悟を受け入れた。


「ショートサイズのブレンド...あ、ミルク抜きで。持ち帰りで。あとこれをお願いします」


ショーケースに入った可愛らしいドーナツを指さす。


「かしこまりました!そちらからお渡し致します」


どうしてこの店員さんは朝からこんなに満面の笑みを作れるのだろう。

まぁどうせこの人たちもこんな朝っぱらから働かなくちゃならなくて必死の営業スマイルの下には気だるい寝ぼけ眼を隠しているに違いないのだろうけど...


そんなことを考えながら店員さんたちを見ているとカウンターからコーヒーの入ったカップと紙袋に入ったドーナツを差し出された。


「お待たせしました!行ってらっしゃいませ!」


そう言う目の前の男性店員はもちろん満面の笑みだ。

その爽やかな表情になぜかドキリと鼓動が波打つのを感じ、隠すようにお礼を言って足早に店を出た。


歩きながら温かいカップにふと視線を落とすと、

「Good morning!◡̈」とスマイルマークが書かれている。


「わぁ...」


私は柄にもなくなぜだか浮き足立ってしまった。

あの笑顔でこんなものを渡されて少しばかり私は今顔が赤らんでいるかもしれない。

そこまで自覚する余裕はあったのだが、高鳴る鼓動が私をうっすら笑顔にさせる。

今日は1日機嫌よく居られるかもしれないななんて思ったりした。



「おはようございます。」

「あぁ。おはよう。」


いつものやりとりを会社で繰り返していくのだが、今日の私は少し明るい。

そればかりか、いつもは絶対仏頂面で仕事に勤しむのに、今日一日は大半のことをそこまで苦痛に感じずほとんど明るくスムーズに過ごせた。


なぜだか、自分以外の周りも機嫌が良い日だったのだ。

こんなことってあるんだな。あのカフェはラッキースポットかもしれない。

そう思って、それからの私は毎朝そのカフェへ足を運び、そこから一日をスタートさせていった。


なぜそういう習慣になったのか?

もう1つ理由があった。


カップには毎朝違うメッセージが書かれていたのだ。

「what's your favorite food?◡̈」

「what's your favorite color?◡̈」

「what's your favorite music?◡̈」


いつもと同じなのは最後のスマイルマーク。

この質問の意図はなんだろう?

返した方がいいのだろうか?

しかしどうやって返す?

おかしな返事を返して行きづらくなっても困る。

あの爽やかな笑顔の男性店員は何を考えているのだろう?

私が何も返答したことがないのに、毎朝メッセージを書き続け、いつも通りの対応にいつも通りの笑顔を変わらず向けてきてくれる。


しかしあそこはラッキースポットということをもう確信していた。

だってあそこに行きだしてから毎日周りの機嫌が良いんだから間違いない。


どうにも捨てられずにデスクに積み重なったカップを見ながらひたすら考えたりした。


「あんた変な収集癖でもついた?それともペン立てにでもするつもり?まぁそこのカフェのカップって確かにお洒落だけど。」

同僚がクスリと笑って声をかけてきた。


「あぁ。うん。そうしようと思ってね。」

赤らんだ顔を隠すようにパソコンに視線を移す。



私は後日、全ての質問の返答を紙に書き、メアドと共にこっそりその店員に渡した。

一瞬ちょっと驚いた顔をしたけどまたすぐにいつもの爽やかな笑みに戻った。


これがきっかけで私たちは恋人同士になった。

嬉しくて楽しくて幸せだった。


けれどそれから私はそのカフェに行けなくなった。

だって恋人がいるカフェに毎朝足を運んで顔を合わせるなんて恥ずかしいし妙な緊張感もある。


それを言うと恋人は「おかしな奴」とまた爽やかな笑みで言うのだが。

だから恋人とは以前のように毎日顔を合わせることはなくなった。


そのラッキースポットに行かなくなってから、また前と同じような気だるく忙しない雰囲気の職場に戻ってしまった。

やはりあのカフェへ行かなくなったせいだと言わざるを得ない。


それを恋人に言ったら、「それは違うよ」と返された。

「どういうこと?」と聞いても、「いずれ分かるさ」としか答えてくれない。


そしていつしか、私たちは別れた。

別になんてことは無い普通のカップルにありがちな普通の別れだ。

少し経ってから元恋人からメールが届いた。

「別の店舗へ異動になったから、あのカフェへまた通ったら?◡̈」


私はかなり久しぶりにラッキースポットに足を踏み入れた。

まだいたらどうしようなんて頭の片隅で迷っていたが、彼はいなかった。


その日のカップには「Smile!◡̈」と書かれていた。

渡してくれたのは彼じゃないけれど、久しぶりにあの時の感覚が蘇って浮き足立ってしまう。

体中に血液が回り始めまた私は笑みを浮かべているようだ。

鼓動が早くなる。なんだか本当に久しぶりのこの気分に少しばかり高揚してしまった。


その日一日、やはり周りの雰囲気は皆上機嫌に思えた。

いつもより明るいし、会話も仕事も全てがスムーズに上手くいった。


やっぱりラッキースポットじゃん。

帰り道、そう呟いてスマホを見ると、また元恋人からメッセージが来ていた。


「もう分かったかい?◡̈」


いずれ分かるさと言うだけで教えてくれなかったあの話だろうか?

しかし分かったことといえば、紛れもなくあそこはラッキースポットだと言うことだけだ。


「分からない」

そう返そうとした時だった。


「お疲れ様です!」

後輩に通りすがりに笑顔を向けてそう言われ、私も笑顔で返した。


そうだ。

私はもう分かっているはずだ。


あそこはラッキースポットなわけじゃない。


私が周りを変えていたんだ。


周りが笑顔で明るくなるのは、私自身がそうなっているからだ。


雰囲気も行動も全て、相手や周りに伝染する。

明るく笑顔で気分よく一日を過ごしたいのなら、まず自分からそれをすること。


そのスタートを切るのはいつも自分でいられるように...一日の始まりから。


だっていつだって一日は朝から始まる。

大切に朝を過ごすというのはこういうことだったんだ。


「おはよう!」と自分から笑顔でそのスタートを切る。

その相手が笑顔になって次の人にまたおはようと言う。

そして次の人、また次の人へとそれは伝染する。


それは、人を助けたり助けられたり、何かを譲ったり譲られたりに変わるだろう。


それがまた巡り巡って自分にそのまま返ってくる。


そんな仕組みが分かってて笑顔の人はそう多くいないはずだ。

けれど、どこかに必ずそのスタートを切っている人がいる。

その人は気付いていないのかもしれない。

例えばカップのスマイルマーク1つでそれがスタートしていたように。


もしも世界中の誰もがこのことに気づいたら?

世界は大きく変わるのではないだろうか?


誰もが皆、1番にそれを始めようとすれば。


そうやって周りが変わり、世界が変わったら、きっと見える景色は大きく変わっているだろう。


私は彼にスマイルマークだけを送信した。




そして今日も私はおはようと言う。

スマイルマークのカップを片手に明るく笑顔で私からスタートを切るんだ。



いつか世界中の人全員に、スマイルが伝染することを祈って。

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