さだまさしさんの深さについて

夜に書くアルファベット

中学生だった私がさだまさしさんを聴いて

私現代に流行るものはほとんどスピードが速いように感じた。

早口な人、早足な人、早すぎて歌えない音楽、急に展開が変わるようなどんでん返しする小説。


いわゆる現代の早い音楽は嫌いではなかった。耳はかなりいい方であったし音楽を学んでいたのもあって、年代関係なく色んな音楽を聴いていた。キャッチーで頭に回る音楽やバラード曲調のもの、今流行りの洋楽だってなんだって聴いていた。もちろん好きな歌手だっていた。



しかし、私には現代の音楽はずっとうるさかった。

電車の中で席に座った隣の人から漏れてた音楽もうるさかったし、YouTubeやニコニコで流れてくる音楽も少し聴いただけで頭が痛くなったりした。音楽ってこういう物なんだと思っていた。




ある年末、帰省した時に車の中でさだまさしさんの『パンプキンパイとシナモンティー』が流れていた。

要約すると、『カフェの店主とすごく綺麗な女の人の恋路を、店主と仲のいい学生たちがお世話する』という歌。


初めてさださんの声を聞いた時、感動した。全くノイズも粗もない純度が高い歌声と優しい音色の楽器は相性が良すぎて、目を閉じて聴くと頭の中が掃除されていくような、そんな気がした。周りの雑音など全く聞こえず、さださんの純粋な音楽だけが耳に入ってくる。これが噂に聴く「ノイズキャンセル」か…。


実家に着いてから、さださんのいろいろな曲を調べて聴いた。


『秋桜』のピアノには衝撃を受けた。

最近ありがちな間違いだが、ピアノは大きく音を鳴らそうとして叩きつけたり、感動させようとか細く弾いたり、そういう弾き方はもったいなくてするべきではない。


一つ一つの音が綺麗にならないと意味がない。『秋桜』のピアノは私にとって完璧な音色だった。倉田さん(さださんの曲の伴奏をしている人)天晴れである。


『秋桜』は歌詞もすごい。

母親というものは小さい頃からずっと偉大でいつだって子供の誇りで、そんな大きな存在だった母親が、急に小さく見える時の切なさや儚さが美しく表現されている。


「嫁ぐ」。私もその時が来るまでに、母親に何が返せるだろうか。後悔や罪悪感を抱えはしないだろうか。


家族との関わりの歌で語るならば、『親父の一番長い日』。これも私にとってとても大切な歌だった。

私の両親は離婚している。母親の元へついていった私は長い間父親を許せなかった。思い出すのは父親のお酒を飲んでいる姿だったし、父親とのいい思い出を探す方が難しかった。


この歌はそんな私に喝を入れてくれるような歌だった。

どんなことがあってもどんなに酷い父親でも、それでも私は娘で、父親なりに私を可愛がってくれたのだろうと、そういうふうに思い出しながらこの歌を聴くと、意外にもいい思い出がたくさん出て来て、その感覚に驚いた。

お父さん、今幸せだといいな。




もう一つ衝撃を受けたのは、王道ではあるが『風に立つライオン』。


自分のやりたいことのために日本を離れる決意と、その決意を後悔したくないという主人公の不安と葛藤、日本への未練、それでも自分の決断は間違ってなかったんだとそう思いたい、そんな曲である。


曲の途中途中に流れるアメイジンググレイスが切なく、しかしどこか晴々しい不思議な気持ちになる。


自分の望む幸せと大切な人が望む幸せが全く異なる時、自分はどっちを取るのだろうか。正しい正しくないはないが、後悔のないように、未来の自分が昔の自分を見て恥じないように、自分が自分を失望しないように、生きていきたい。

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