惚れ薬

青樹空良

惚れ薬

「ふふふふふ」


 アニメでよくいる悪役みたいに笑ってしまう。笑いが込み上げてきてしまうんだからしょうがない。

 だって、ようやく惚れ薬を手に入れたんだから。

 魔法使いが持っているようなそれっぽい瓶。そこには日本語で『惚れ薬』と書いたラベルが貼られている。ちょっと怪しいけど本物のはずだ。本物じゃないと困る。お年玉、全部つぎ込んだんだから。

 だけど、本物かどうかはちゃんと確かめたい。


「まずは……」


 私は呟く。

 いつも、私の顔を見ると逃げていく近所の地域猫の通り道に、惚れ薬の入った牛乳を置く。ちなみに私は猫好きなのだが、なぜか猫に嫌われるという悲しい性を持っている。

 実験するにはちょうどいいってことだ。

 この惚れ薬は、よくお話なんかである飲んだ後に初めて見た人のことを好きになるとかじゃなくて、私限定で好きになる。特注品だ。

 みんなからエサをもらって、地域猫にしてはふっくらしたトラ猫が歩いてくる。毛並みもふわふわで撫で回したいわがままボディだ。

 トラ猫が私の置いた牛乳に気付いた。


「……よし。飲め~飲め~」


 私は物陰からトラ猫を見守る。私が近くにいたら逃げてしまうと思ったからだ。

 トラ猫は牛乳の入った容器の前で少し立ち止まった後、ちゃっちゃっと音を立てて牛乳を飲み始めた。


「よしっ」


 私はガッツポーズをする。

 飲んでしまったらこっちのものだ。


「猫ちゃ~~~ん」


 私は文字通りの猫なで声でトラ猫の前に姿を現す。いつもなら、私の顔を見た途端にさっさと行ってしまおうとするトラ猫だけど……、


「にゃ~~~~ん」


 今日は甘えた声を出しながら、私に近付いてきた。そして、私の足にすり寄った!

 これは……、


「本物だーーーーーーーーーー!」


 私はトラ猫のふわふわな感触に感激しながら、叫び声を上げてしまったのだった。




 ◇ ◇ ◇




「おーっす」


 いた。滝野たきのだ。声を聞いただけでわかる。

 友達に挨拶して、何かを話している。会話まではよく聞こえないのが悔しい。どうせ話しているのは、昨日のアニメのこととかだと思う。アイツ、ガキだから。

 小学校への通学途中。私の目はすぐに滝野を見つけてしまう。

 でも、滝野はこっちを見ていないから私のことなんか気付いていないと思う。

 私が滝野以外の男子を見てもモブみたいにしか認識していないみたいに、滝野の目にもそんな風に映っているんだ。きっと。




 ◇ ◇ ◇




「教科書、見してくんねぇ?」


 授業が始まってすぐ、ひそひそ声で隣の席の滝野が言った。

 そう。今、奇跡的に私と滝野は隣の席なのだ。

 一瞬、私に向かって話し掛けてるなんて気付かなかった。


「なあ、なあ。石塚いしづか


 だけど、滝野は私の名前を呼んだ。


「忘れたの?」


 私もひそひそ声で返す。


「机の上に用意したんだけど、鞄に入れるの忘れた」

「……バカじゃないの」


 言ってしまってから、しまった! と思った。


「バカって言った方がバカなんですー」

「はぁ」


 私が口元をつり上げてしまったときだった。


「おーい、そこ静かに。授業、始まってるぞ」


 先生に声を掛けられて、私たちは黙った。クラス中からくすくす笑いが起きる。


「ちょっと、滝野のせいで恥かいたでしょ」

「お前のせいだろ」

「教科書忘れたのはそっちのくせに」


 先生が咳払いする。

 それで、私たちは今度こそ黙った。

 私は無言で滝野の方に教科書を寄せる。


「サンキュ」


 今度は本当に私にしか聞こえないような小さな声で滝野が言った。

 本当に自分が嫌になる。好きなのに、いつもひどい言葉ばかり掛けてしまう。ひどいことばかり言うのは滝野もなんだけど。だけど、滝野が本当はそんなに悪いやつじゃないんだって、私は知っている。

 別の学年の時にも滝野とは同じクラスになったことがあった。クラス分けがあったばかりで、私はたまたま仲のいい子がクラスにいなかった。それなのに、すぐに遠足なんかあってグループ分けでどこにも入れなくて、私は困っていた。去年なら仲のいい子がいて、パッと一緒になれたのにって泣きそうだった私に、近くにいた滝野は気付いてくれた。そして、


『なあ、俺の班、入る? 女子、一人足りないんだ』


 話し掛けてくれたのだった。どこに行けばいいかわからなかった私は、すぐに頷いた。

 あの時から、私は滝野が気になるようになってしまった。あの時はすごく優しい男の子だと思ったから。

 だけど、それから私はなぜか滝野とは、さっきの教科書の時みたいに悪態を付き合ってばかりだ。話し掛けてくれるのは嬉しいけど、複雑だ。

 滝野は先生の話を聞きながら、私の教科書を見ている。ちょっぴり近くてどきどきする。私ばっかりこんな気持ちになっているのは、なんだか悔しい。

 だから、今日こそは……!




◇ ◇ ◇




 そして、給食の時間。チャンスはここだ。

 私はポケットの中から惚れ薬を取りだして、さっと自分の牛乳に入れた。そして……、言った。


「滝野、これ、飲んでくれる?」

「牛乳?」

「今日、お腹の調子悪くって。飲むのキツいかなって」

「しょうがないな、ほら」


 滝野が私の差し出した牛乳に手を伸ばした。ここで緊張して落としたりしたら台無しだ。

 私は滝野に牛乳を……、渡した!


「ま、牛乳好きだからいいけど」


 言いながら、滝野は惚れ薬入りの牛乳に口を付ける。

 この作戦ならうまくいくと思っていた。実は前にも給食で苦手な物が出て困っているときに、食べてくれたことがある。そういうところは、やっぱり優しくて好きだと思ってしまったのだ。

 滝野が牛乳の瓶を傾ける。牛乳はどんどん滝野の中に吸い込まれるようになくなっていく。

 私はそれをドキドキしながら見守った。

 これで滝野は……。


「ぷはっ。うめー」


 ビールを飲んだ後のお父さんみたいに滝野が言う。

 それから、私を見た。緊張の一瞬だ。

 滝野がじっと私を見つめる。成功、した?

 あのトラ猫みたいに滝野がなるとしたら……。まさか、私にすり寄ってくるとか!?


「だ、ダメだよ、滝野! 教室でそんなこと!」


 パニックになった私は滝野に向かって、ぶんぶんと手を振った。滝野に飲ませることばかり考えていて、その先のことを考えていなかった。教室のみんながいるところで、そんなのダメだ!

 けれど滝野は、


「何やってるんだ? 腹痛いのか? 教室でそんなことって、漏れそうなのか?」

「は?」


 むちゃくちゃデリカシーのないことを言って、私は滝野をにらみ付けてしまったのだった。それを滝野は調子が悪いと受け取ったらしい。


「おい、大丈夫か? 先生! 石塚がトイレ行きたいって言ってまーす!」


 あろうことか教室中に聞こえる大声で、滝野は叫んだのだった。




 ◇ ◇ ◇




「おかしい……」


 トイレの個室で便器に腰掛けて、私は呟いた。

 あんなことを大声で言われて知らん顔して教室にいられる私ではない。と言うか、滝野のせいで大恥をかいた。

 それはそれとして、だ。

 滝野の態度は全く変わらなかった。私にすり寄ってくることもなく、好きとか告白してくるでもなく、いつもと同じように話し掛けてきた。

 トラ猫にはあんなに効いたのに、人間には効かないのだろうか。だとしたら、ひどい不良品だ。


「使い方、間違ってないよね……」


 私は惚れ薬をポケットから取り出して、瓶の裏側に書いてある説明を読む。


『この薬を好きになって欲しい相手に飲ませてください。飲み物や食べ物に混ぜても大丈夫です。少量でも効果は出ます。相手が口にしたらすぐに効果がありますので、使う場所にお気を付け下さい』

「うん、合ってる。というか、やっぱり使う場所気を付けなきゃだったわ。て、滝野には効かなかったんだけど……」


 私はため息を吐く。


「あれ?」


 その下にも小さく説明が書いてあることに私は気付いた。早く試してみたくて、全部は読んでいなかった。


「なになに?」

『最初からあなたのことが好きな相手には効きません。普段通りの態度と全く変わりませんので、ご了承ください』

「ん? んん?」


 その説明を読んで、私はうなった。

 だって、だって、ということは、滝野は最初から私のことが好きってことで……。


「え、ちょっと、そんな……」


 私は、どんな顔をして教室に帰ればいいかわからなくなってしまったのだった。

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