『「青い薔薇」の咲くころに』

Yo1ko2

序章:祖父の夢

 風が吹く。十五歳のトラバントの住む小さな村に、山から流れ落ちてくる美しい風が吹き渡る。トラバントは、栗色の巻き毛と空色の瞳を輝かせながら、村の一角を走っていた。風車小屋が無数にある村の隅に、トラバントの住む家はある。青い屋根、広い庭のある、小さな家だった。

玄関の扉を開けようとすると、隣の老婆が声をかけてきた。

「おや。トラバント。そんなに急いで、どこに行くんだい?」

「おじいちゃんが、青い薔薇を作る方法を見つけたかもしれないって言うんだ。新しいノートを買ってきたんだよ!」

トラバントの祖父は、有名な庭師だった。今は高齢を理由に引退して、青い薔薇を作るための研究を続けている。村の人々も、皆、それを知っているからこそ、トラバントの言葉に微笑んだ。

「そうかい。そうかい。青い薔薇なんて作れるとは思わないけれど…。お前さんたちが頑張っているのを見ていると、私たちも嬉しいよ。今夜も、ご飯を持っていくからね」

「うん、ありがとう!」

トラバントが微笑むと、隣の家の老婆も目を細める。トラバントは、昔から、敏感な子供だった。老婆が倒れたとき真っ先に気づいたのも、町の広場の木々が蕾をつけたのも、小川の氷が解けて春が訪れたのも、誰よりも早く気づくのが、トラバントだった。彼は、ふと顔を上げた。遠くにそびえたつ山には、まだ頂きに雪が残っている。あの山を越えれば、もっと広い世界がひろがっていると聞く。でも、トラバントにはその世界が想像できない。トラバントにとっては今、この小さな村が、人生のすべてなのだ。


「おじいちゃん! ノート、買ってこれたよ!」

 勢いよく玄関を開けると、トラバントの祖父は籐椅子に座って微笑んでいた。

「おお。早かったな、トラバント」

「おじいちゃんにとって、青い薔薇を作ることは一生の夢だもんね。その手伝いなら、いくらでもするよ」

そういってノートを開いて椅子に座ったトラバントの前で、背中の曲がった祖父は、語り始めた。自身の生涯をかけた夢の話を。

「その青い薔薇は、夜空を照らす月のような神秘的な美しさを持っている。また、草木を濡らす雨のようなあたたかい優しさを持っている。青い薔薇さえ咲けば、人々は喜びに満ち、希望を失っていた者たちにも夢を与えられるだろう…。青い薔薇は、希望と夢を象徴する花なんだよ」

 トラバントは、いつも祖父の言葉をノートの一番はじめに書きながら、首を傾げる。

「つまり、花びらが青くなればいい、ってことだよね? 白い薔薇に青い水を吸わせてみたらどうかな」

「トラバント、それは少し違うんだよ。もちろん、見た目は青い薔薇になる。けれど、私は、挑戦をしたいんだ。人間は、希望がなければ生きてはいけない…。だから、私は、青い薔薇を作ろうとし続けるんだ。いつか、それが完成すると思えば、心が躍り、胸が高鳴り、楽しく生きていけるのだから」

その言葉を聞いたトラバントは、期待に頬を赤く染めた。青い薔薇があれば、自分でも希望を持って生きていけるのではないか、と思った。

「ところで、トラバントや。今日の分の学校の宿題は終わったのかい?」

「う、うん…。これからだけど、勉強だけは、大丈夫…」

「そうかい…。学校に行くのは、無理しなくてもいいんだよ。お前をいじめるような奴に、お前の人生が左右されるのは、おかしいからね」

祖父は、あたたかい声かけをしながら、やさしく頭をなでてくれた。

 トラバントは、学校の子どもたちが自分をいじめ始めたのが、いつからだったのか、もう思い出せない。図書館に通うのが好きで、何かに熱中するのが好きなトラバントは、外遊びが好きな村の子どもたちに馴染めなかったのだ。学校に行こうとすると、お腹が痛くなってしまうのだが、トラバントの父は、髪を引っ張ってでも連れて行こうとした。足の悪い母だけでは、そんな父を制止はできず、結果として、母方の祖父の家で暮らすようになったのだ。学校には、週に一度だけ登校し、あとは教師が届けてくれる宿題をこなす毎日。空いた時間は、祖父の手伝いをした。庭師として生活していた祖父からは、庭造りの奥義を学んだりし、ときには色々な道具を作ってあげたりしていた。

 トラバントにとって、祖父といるのは居心地が良かった。祖父は決して、他者を否定しなかったから。どんなときも前向きで、あたたかい言葉をかけてくれた。トラバントが泣いていれば、あたたかい蜂蜜茶を入れてくれた。祖父と過ごす間は、トラバントも穏やかな気持ちになれるのだ。

「それでだな、トラバント。今日見つけた、青い薔薇を作る秘訣は、「青い月の夜」に関係するんだ」

「青い月の夜?」

「そう。むかしむかしの本に、年に一度、月が青く輝く日があると書かれていた。その日であれば、青い薔薇が咲く、と。だがしかし、「青い月」が何なのか、いつのぼるかが分からなくてな」

 ふう、と祖父はため息をついた。トラバントは、図書館に行ってみよう、と思った。そうすれば、祖父の夢が叶うかもしれない、と。でもその前に、ご飯を食べなくては。もう、白い月が空高くのぼろうとしている。祖父に頭をなでられながら、トラバントは明日に備えねば、と心するのだった。

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