第5話 complex
――わたしは凡才だ。
昔、少女と出会った。
彼女は天才だった。
魔法を教えたらすぐに覚え。
当たり前のように応用して。
挙句の果てに、大人ですらてこずる怪物を一人で殺して。
『――クリスって、意外と弱かったんだね』
燃える死骸を背にして、血まみれで微笑んだあの顔を忘れることはない。
『邪魔だからついてこないでいいよ』
わたしは弱かった。
『正直、足手まとい、だからさ』
なすすべもなかった。
『じゃあね』
ただ、弱かった。
『さよなら』
弱いから、必要とされなくなった。
「――っ」
捨てられた。
悔しかった。
苦しかった。
もっと強かったら、捨てられなかったのかな。
*
「俺は、強い人間が大好きだ」
ひゅっと息を飲んだ。
なぜなら、いま僕は目の前の美人に剣を突きつけられているからだ。
「にゃ、にゃんで僕を狙うんで……?」
だだっ広い運動場のど真ん中。喉元に刺さるか刺さらないかくらいの絶妙な位置にある両刃の剣に顎が当たらないように気を付けながら、そっと口を開いた。
――ヤッバ。あいつ、高等部のヴィクトリアさんに目ェつけられてんじゃん……。
――ヴィクトリアってアレ? 魔法学校なのに魔法を一切学ばず使わずに、実技の強さだけでオール満点取ってるバケモノって噂のアレ?
――さんをつけろよ。ぶっ殺されるぞ。
――なにそれコワ。
そんな野次馬のひそひそ声に股間の袋が縮み上がる中、そのヴィクトリアさんこと真っ赤な髪の女は不敵な笑みを一切崩さずに問いの答えを告げた。
「俺は戦いに飢えてンだ……俺を上回る、強者との戦いに、な」
「そう、ですか」
遠巻きに見つめる群衆の中に、金髪の少女を探す。
――きっと、呼ばれたのは僕じゃなくて彼女なのだ。僕なんぞがそんな大層なもののわけがない。
必死の現実逃避に、しかし。
「よそ見すんな、嬢ちゃん」
シリアスな口調の鋭い一言に、思わずもう一度赤い髪の女を見た。
彼女は真っ直ぐ僕を見つめていて。
――選ばれたのは、やはり僕だったのだ。そう確信を持たずにはいられなかった。
「ま、細けぇことはいいんだよ。
――愛し合おうぜ、リトルガール」
風が止んだ。
一瞬の音は、果たして僕の必死の呼吸音か、それとも――振り切られた剣の風切り音か。
きんっ――金属が激しくぶつかるような音。
気がつくと僕は、弾き飛ばされていた。
「防御魔法、早かったな。でも、これはどうかなッ!」
反射的な防御。それでも貫通した、ともすれば意識を失いそうな衝撃。どうにか足で着地し――た瞬間。
目の前に、烈火のごとき赤が飛び込んでいて。
悲鳴を上げる足で地面を踏みしめ――。
「風ッ!」
耳鳴り。脇腹に、圧縮させた空気を出現させた。
一瞬で作りだした豪風。再び飛ばされる感覚を味わいながら、瞬時の思考。
あの太刀筋は、どうにかそらした。けど――。
「仕掛けねェのかッ――?」
――次を、考えなくては。やらなきゃやられる!
「ご要望通りぃっ!」
きききききき――と幾つもの耳鳴りが輪唱を奏でる。
「氷を飛ばすか。面白いっ!」
無数の、氷のマキビシ。飛んでくるそれが――一瞬にして、すべて砕け散った。
――すべて剣で叩き割ったんだ。
あまりの超人的な動き。流石にちょっとはダメージはいると思ったんだけど――でも、その一瞬すら次の攻撃への布石。
「どこだ――上かッ」
幾重もの身体強化魔法で全身のばねを軋ませ、わざわざ長身なヴィクトリアさんの上に跳んだのは、次の攻撃のため。
「燃えろっ」
「なにを――」
困惑と期待が入り混じった声。それを遮るように――ちいさな爆発音が響いた。
*
「なるほど、砕けて小さくなった氷を瞬時に熱して蒸発させたんだね」
「さながら煙幕ですか。やりますね……どうしたんですか、クリスさん。応援してあげないんですか?」
マーキュリーとアリアの熱心な応援に、私は目を伏せる。その応援が本人に届いていないのを、きっと二人は知らないのだろう。
「クリスさん?」
――自分に声が向いたのに気付いて、私は息を詰まらせる。
「……んでもない」
「なんでもなくはなさそうですけど?」
「うっさい! なんでもないったらなんでもない!」
……なんでわかるのよ。
心が見透かされてるような気分になって喚き散らす私。――みっともない。
冷静な自分の声を聞かないようにしながら、私はまたうつむいた。
――なんで、わたしじゃないのよ。
あの日から、ずっとずっと努力して、身を粉にして頑張ったのに。
きっと、強くなったって信じていたのに。
幾つもの魔法が飛び、グラウンドに舞う超人たち。私は所詮、傍観者にしかなれなくて。
唇を噛む。――銀髪の少女が、宙を舞って、私を見た。
嘲笑うように見えた。
「もう少し下がってて!」
怒鳴るような声。突き刺すようなそれに、私はただ――笑っていた。
ばかにしやがって。
着地したソーヤ。長い髪をバッとかきあげ――血を吐き捨てた。
「逃げて。……キミを、巻き込みたくない」
優しいつもりか?
「そういうところよ」
「どういう――とにかく、危ないから」
「見下すんじゃないわよッ!」
「クリスちゃ、逃げっ――」
「マーキュリーさん。だめです。……この負けず嫌いに、好き勝手させてみましょうよ」
――たぶん、大丈夫ですから。
もはや、聞こえた音を言葉として理解することすら、したくなかった。
みんなみんなうるさい!
両手をぶんと振って、前に出し。
周囲の空気――漂う魔力を集めて押しつぶすようなイメージ。限界まで瞬時に圧縮された魔力は光を帯びて。
ソーヤが何かを叫んでる。けれど、どうでもいい。
赤い髪の先輩が、それに気づくことなく飛んでくる。
世界がスローモーションに見えた。
「光ァァァァァァァァ!!!!!!」
瞬いた閃光は、即座に空を焼く。風。風。風。渦巻いた熱。暴力的な轟音。暴走する魔力の渦が、心までもを狂わす。
――狂ってんのは元からか。
心の中の自嘲に、私は独り、くすりと笑った。
「おい」
真紅の瞳が私を突き刺す。
「せっかく、楽しい楽しいサシの喧嘩、してたのによォ。あァ――あ。水差された気分だ」
べらべらと低い声でまくし立てる戦闘狂の女。ガン開きにした目が如実に物語るのは
「弱ェ奴が、邪魔ァ、すんじゃねぇ」
激シイ怒リ。
剣山のように突き刺さるそれが、どこかいっそ心地よくて不快だ。
どいつもこいつもバカにしやがって。嘲笑いやがって。
喉の奥から湧いた衝動を、怒鳴るように自傷するように自滅するように叫ぶようにただ出力した。
バカ――――――――――!!
ノーモーションで放たれた、もはや魔法とは言えないような暴発した魔力の渦。
無数の衝突と爆発。悲鳴悲鳴悲鳴悲鳴。
口角を限界まで上げた気味の悪い笑みを見せる赤髪の女は、銀髪の少女に一瞥もくれることなく、私めがけて斬りかかる。
私なんて死んじゃえばいいんだ。誰よりも強くなることのできない私なんて。
価値がないんだから。
目の前の死を、抵抗すらせずに受け入れようとした。
そのときだった。
「はい、そこまで」
*
ぱんぱん、と手を叩く音が鳴り響いた。
「落ち着きなさいな、二人とも。あ、紅茶でも飲む?」
黒髪ロングの美人が、笑顔で、ぽんっと無から赤茶色の液体――恐らく紅茶である――が入った透明の容器を出して、ヴィクトリアさんに話しかける。
そのヴィクトリアさんはというと、苦虫を噛み潰したような表情をして、掌をさっきの美人に向ける。
「そこの二人も飲む? 午後ティー、美味しいよ?」
しゃべりながら瞬間的にその午後ティーとやらをヴィクトリアさんに渡す彼女。
「……なにものよ」
荒い息を吐くクリスの言葉に、彼女は笑顔で答えた。
「私はスミカ。こいつ――この
そのヴィッキー――ヴィクトリアさんはというと、こくこくと紅茶を一気飲みして。
空になった容器を軽々と握りつぶして放り投げ。
「よし、殺す」
「あほう」
スミカさんはヴィクトリアさんをぶん殴った。
――ぶん殴ったぞ。
――あのヴィクトリアさんをぶん殴ったとか……勇者すぎん? あの人。
――まあ、ルームメイトってそういうもんか。
――とりあえず……助かった、のか? アタシら。
困惑とどこか安息が混じる野次馬の声。
そのなかで、一つのすすり泣きが聞こえた。
「……クリス?」
手を伸ばして、触れようとした。
その手を彼女は。
ぱし、と振り払った。
「やさしくしないでよ。……なんで」
「なんで私、こんなにダメな子なのかな」
人差し指を自分の頭に向ける彼女。
その指にごく小さく閃光が宿り――。
見ていることしかできない自分が、歯痒かった。
閃光が彼女の頭を貫いて。
静寂に包まれた。
唇を噛んだ。
「なにやってんだ、馬鹿野郎」
鮮烈な赤が、彼女のそばに立っていた。
少女の指は黒髪の女のほうに曲げられていて。
閃光は消え失せていた。
「――
肩で息をするスミカさん。強く睨みつけるヴィクトリアさんに、睨みつけられたクリスは叫ぶ。
「なんで私を止めるのよ。
――弱い私の気持ちなんて、誰もわからないくせに!」
ひゅっと息をのんだ僕がいた。
「弱い、ねぇ。誰よりも強くないと意味がないとか思ってる?」
ため息を吐くスミカさんに、クリスは噛みつくように。
「……そうよ。誰よりも強くなきゃ、誰からも必要とされないもん」
絞り出すように弱々しく吠えた。
「そっか。その向上心は見事ね」
スミカさんは優しい声で告げる。
「けど、強さなんてその世界や時によって変わってくるもの。絶対的な強さなんて幻想はありはしないわ」
微笑む彼女。
「きっと、あなたを必要としてくれる人もいるはずよ」
気付けば僕は、彼女に手を差し出していた。
「ほらね」
「……んで、よ」
絞り出したような声に、僕は少しうつむいてから告げる。
「きみがいなかったら、あの時行動してなかったら、僕は確実に、動けなくなるまで疲弊して、やられてた。……ほんとうに、助かった」
「ありがとう」
少女は泣き崩れた。
「うわぁぁぁぁ―――――――!」
*
「あの日は、ごめん」
これは後日談。
しばらくが過ぎたある夜、ベランダで夜風に吹かれる私達。
ふと、ソーヤに告げた言葉。
「急に、なにさ」
察してよ。……なんて、偉そうには言えなくて、私は不器用に、頬を熱くするだけ。
「あの日って……もしかして、下着を買いに行った日?」
「ばか!」
なんでこんなにも察しが悪いのよ!
「それより前のことよ!」
ヒントを出してみると、彼女は合点がいったようで。
「……ああ、あの日か。――きみが、暴走した日」
「そこまで言わなくてもいいわよ」
「乙女心って複雑だね」
「そうよ。フクザツなもんなの」
ため息を付く私に、朗らかに微笑む彼女。いつもの風景。どこか安心感を覚えている私がいて。
しばらくの沈黙の後。
「……あの、ね」
そっと切り出した話。
「なに?」
優しげな声で聞き返すソーヤに、私はそっと、星空を眺めながらつぶやく。
「あの日の私は、自分の価値がわからなくって、自暴自棄になってた」
「……」
「きっと、あなたがいなきゃ、いつか自分という存在に嫌気が差して――多分命を断つことだって厭わなかったと思う」
「……そっか」
「私を救ってくれて、ありがと」
不意に出てきた言葉。目が合ったソーヤの顔。頬がトマトのように赤く染まっていて、ちょっと可愛く見えて。
自分の顔も、同じように赤く染まっているのかな。
熱くなった己の顔を隠すように、私はまた、星空を見上げた。
「……ばか」
そんなあなたが好きになっていたなんて、まだ絶対に言えないんだけどね。
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