エアポケット

@kurotorikurotori

宛先の書けない手紙


 仕事終わり。待ち合わせた女友達と半地下のイタリアンでお酒と食事のデート。

 とりとめのないやりとりの中、『エアポケットみたいな人』と耳に馴染まない言葉。

 大手出版の編集者をする彼女。作家の取材旅行に付き添いで年に何度も海外へ向かうほどの才女。

『どんな意味?』と問う迄もない、一瞬の無重力にヒュンとするあの感覚は、彼女も恋の瞬間を隠喩していたはずだ。


 緊張の解けた眼差しにゆっくりとしたまばたき、視線を逸らさず薄い微笑みを浮かべた表情。


 一生。絶対。おくびにすら出さないと誓った言葉が引きずり出される。


「俺は君が好き かも しれない」


 俯いた視界に入る、『手許の小さなピース』



 ……何を間違ったか覚えてないが、その日、普通に一人暮らしのアパートに、一人で帰って寝た。


 ◇


 彼女とは高校の1年に、学年に男女のペア1組だけで構成する選管委員で知り合った。一日公休の条件に飛び付いたあの頃の自分は、ただ無気力なガキであった。

 結局3年のあいだ、一度も同じクラスにはならなかったが、見掛ける度に『机の回りに人を集めてる』人気者であったことは覚えている。


 受験を控えた時期の学園祭。小柄な体に大汗をかいて頑張ってる姿。陰に隠れて眺めてる図体の大きな自分が『ウドの大木』だと自嘲した苦い思い出があった。


 あっさりと有名私大に合格した彼女と比べ無様な浪人生に、彼女から年賀状が届いた。当然高校の卒業後に縁が切れると思っていた自分は驚愕した。


 何故か縁を切ろうとしなかった彼女とは大学時代も交流が続いた。

 今度はこちらの番だと、地味な理系の学園祭に招待し、こだわりの出汁から仕立てたうどんをご馳走した。


 一人暮らしの部屋に招いたこともある。素人童貞の下心は横縞な囚人服のように露で、その後を語るまでもない。


 大学を卒業後、就職した会社は躍進を続け、当時の『一部上場企業』にまで成り上がった。

 彼女に一歩だけでも近づけたような気がした。


 おこぼれの海外出張では彼女に絵葉書を送った。スミに小さく『xxx』と書き、当然のように意味を知ってた彼女に揶揄された。


 ◇


 精神科の薬を飲みながら続けた設計の仕事は『もう限界』であった。


 一足先に生地に戻った両親にすがるようにたどり着き、再就職した仕事も一年足らずで限界を迎えた。


 遠地で彼女とは年賀状だけのやり取りで、まだその中でも強がっている自分のプライドが情けなかった。


 人と関わらない仕事を求め、両親の住所よりもさらに外れた過疎地まで都落ちしていた。

 農作業ならと始めた仕事は、都会のモヤシを容赦なく痛め付けた。


 だが、心を病むほど真面目だった性格を愛してくれた、年若い女性が助けてくれた。

 結婚と同時に飼い始めた犬が、一家四人に見送られたくらいで、彼女の訃報を聞いた。


 ◇


 家族の寝静まった後の家で、

 今まで届いた年賀状を眺め、酒を舐めるようにすすった。


 華やかなオリジナルデザインの年賀状は、ずっと自分にはコンプレックスとなる劇物であった。

 だが彼女に送った年賀状もまた、彼女にとって劇物となった筈だ。


 生涯独身だった彼女に『家族写真』を送りつける真似をしていることに、些かの悪意も無かったかと問われれば、沈黙せざるを得ない。


 本当はただ感謝していたのに。


 二人きりの別れ際に素っ気なく帰宅したのは、いっときの恋より生涯の友情を選んだからだと伝えたかった。


 いつか、有名な猫の絵本を子供に買い与えたとき、これが正解だったか! と、

 俺は自分と彼女を比較するのではなく、ただこう言えば良かったのだと、知った。


 だがまぁ遅い。


 ◇


 宛先も書けない手紙のような短編を綴る。


 いつかどこかのエアポケットで彼女はこれを見つけてくれるだろうか。



◇◇◇

◇◇


この物語に限り、作者は一切コメントを返しません。

あらかじめ御了承ください。

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