第5話 Youぷう? NoぷうNoぷう。

 重要な場面で出てはいけないものって、けっこうありますよね。


 お母さんにお小遣いをもらう前に見つかる点数の悪いテスト。大切な面接なのにシャツの裾がズボンにちゃんとinしてない。など、こんなはずじゃないのに、といったシチュエーションがやってくることがあるんですよ。


 ワシの場合は、彼女と焼き肉を食べに行ったときでした。


 訪れた人気の焼き肉店は満席で、一時間待ち。立って待っているより車で待とうか、ということになり駐車場に戻る。

 二人きりの車内でする会話。好きな人と待っている時間は楽しい、はずなんだが。

 腹が痛い。なぜだ。エネルギーを吸収しきった食べ物の残りカスは、すべてデート前にさようならしてきたのに。


 そのとき、ふい腹の感覚でわかった。色で表すのなら間違いなく黄色だ。名前も知っている。そう、こいつは


 オ・ナ・ラ。である。


 悪魔が腹の中で暴れまわって、すぐにでも外に出ようとしていた。マズい、マズいぞよ。


 まだ付き合って日が浅く、今はちょっとでもカッチョいいと思われたい時期。アルバイトでお金を貯め、選んだ先はちょっとお高めの焼き肉店。使う車はとーちゃんから借りている。もうこれ以上ないってくらい、つま先立ちの状態で挑んだデート。失敗は、許されない。


 ニコニコ笑って会話を楽しむ彼女。ワシは悟られないよう、身体をゆっくりと「く」の字に曲げて痛みに耐える。


 アハハ、ウフフ。と時折笑いながら会話を進めているが、お尻に力を入れていて話の内容が全然頭に入ってこない。まるで外国にいるみたいだ。


 なぜだ。なぜ今なんだ。タイミング考えろよ!


 先生に怒られているのに、後ろで変顔をかまして笑わそうとするクラスメートのように、この黄色い悪魔は場違いである。今はマジメな顔をして奥に引っ込んでくれよ。


 悪魔はワシの気持ちなんて考えずに足踏みをしている。く、ここでしてしまったら最後だ。彼女に悟られる前に、悪魔にどこかへ行ってもらわなければならない。


 お尻の最終防衛ラインは今にも突破されそうだった。焼き肉店のトイレに間に合いそうにない。


 周囲を見渡す。駐車場に誰もいない。このタイミング。今だ!


「ちょっとゴメンね」


 会話の切れ目を狙い、流れるような動きで車から降りてドアを閉める。離れて数メートル。腹の中で暴れまわっていた黄色い悪魔を大気に解き放った。


 素晴らしい解放感。腹に平穏な時間が戻り、薄暗い世界に輝きが戻る。


 よし! 誰にも見られなかったぞ。


 もし、鼻を摘まんだ異国の警察官に呼び止められて質問されたとしても、大丈夫だ。


「Youぷう?」「NoぷうNoぷう」と首を振って否定できる。完璧だ。完全勝利である。


 スッキリした気持ちで車に戻ると、彼女が肩を震わせていた。


 なんだ寒いのかな? それとも感動させるようなこと言ったのかなぁ。 彼女が口元を手で隠しながら言った。


「ああた君がさ、ブッとしてから良し! とか言って、ガッツポーズしながら戻ってくるのが面白くて。ああ息ができない。ふふふ」


 終わった。終わったわこれ。


 どうやら黄色い悪魔を解放した音も、盛大に聞こえていたらしい。彼女を悪魔の香りから守ったつもりだったが、車のドアはワシの解放音まではガードする気がなかったようだ。つま先立ちして大きく見せていた自分が、ストンと小さくなるのを感じた。もう焼き肉の味なんて覚えていなかった。


 とまぁ、笑い過ぎてひーひー息していた彼女も、今ではワシのワイフ。あのときの失敗も、過ぎてしまえば良い思い出なのだ。


 この焼き肉駐車場事件は、時間がどれだけ経っても、いまだに我が家で語られている。

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