第37話 芸術家の勘
店内は静まり返っており、ルゼフの気配がまるで感じられなかった。
「……ラルダ、ここだよな?」
「あぁ……」
店内は灯りが付いておらず、カーテンで日差しさえも遮断されていた。奥へと進めば、そこにはいくつかキャンパスに囲まれた状態でうつぶせに倒れ込んでいる男がいた。
「ルゼフ!!」
「…………」
慌てて駆けよれば、ルゼフからは寝息が聞こえた。
「……どういう状況なんだ、これは」
何も知らないアシュフォードが困惑した声を漏らす。その声に釣られてもう一度顔を上げれば、そこには独創的な絵が並んでいた。私の感性ではあまり理解できない絵だが、ルゼフの作品に間違いない。
「ルゼフ、起きてくれ」
「…………ん?」
ぎゅっと目をつぶったかと思えばゆっくりと目を開けた。
「…………ロザクさん」
「そうだ」
「…………はぁ。いい絵が描けないがあまり、幻想まで見始めましたかね」
「本物だ馬鹿。頼むから起きてくれ」
「……え?」
きょとんとしたかと思えば、二回ほど瞬きをして私の瞳を捉えた。すると手を伸ばして私の片方の頬をびよんと伸ばした。
「えっ、感触がある」
「やめろルゼフ」
ばっとその手を振り払うと、今度はその手を見つめ始めたルゼフ。喝をいれようと立ち上がった瞬間、力強く抱き寄せられる。
「ラルダ、あの男は何なんだ……」
「何って、説明しただろう。仲間だ。彼はルゼフ。芸術家で、死体を作った一人だよ」
「……それだけか?」
「それだけって。他にどう説明しろって言うんだ」
「……いや。何でもない」
何故か不機嫌そうなアシュフォードの腕をどかしていると、ルゼフが真顔でこちらをじっと見つめていた。その視線は間違いなくアシュフォードへと向いていた。
「どちら様ですか?」
「ラルダの仲間だ」
「ラルダ……あぁ、今はそう名乗っているんでしたね」
ぐっと体を伸ばすと、ルゼフはそのまま起き上がって頭をかいた。
「……今更ですけど、本当にロザクーーいや、ラルダさんですよね?」
「本物だ」
「髪色が違うので」
「……本物だ」
ルゼフのためにかつらを外して見せる。
「うん、本物ですね」
「ルゼフの私への判断基準は髪色なのか……」
「他にもありますけど、最終確認ってやつです」
「そうか」
この裏路地で警戒をするのは当然のことなので、ルゼフの言葉に納得する。ルゼフは私の確認を終えると、じっとアシュフォードを見定めるように観察した。
「……この紅茶店の店主をしながらラルダさんの手伝いをしています。ルゼフです」
「挨拶をしてもらえるということは、俺は警戒されていない、と取っていいのか」
「えぇ。見た感じラルダさんに危害を加えるような空気はなかったので……まぁ勘ってやつです」
根拠のない答えに戸惑うアシュフォード。
「勘。それでいいのか?」
「芸術家なんで。感覚に重きを置いてます」
適当なことを言っていそうに見えるが、芸術家という言葉には不思議な説得力があった。アシュフォードは少し考え込むと、かつらを取って赤髪を見せた。
「ルゼフ。よろしく頼む。俺はアシュフォード。ヴォルティス侯爵を務めながら、ラルダに求婚している男だ」
「最後の一言はいらなくないか!?」
「アシュフォード・ヴォルティス……えっ。英雄侯爵様ですか?」
「そう言う呼び名もあるな」
肯定的な言葉に固まるルゼフ。それもそのはずで、最後の暗殺の標的が目の前に立っているのはにわかに信じがたいことだろう。
「英雄侯爵様がラルダさんの味方をするってことですか?」
「あぁ。ラルダの望みを叶えるために」
凛とした声が部屋の中に響いたが、ルゼフにとっては圧倒的に情報不足で、混乱した表情になっている。
「あの、ラルダさん。簡潔でいいんで、事の成り行きを教えてもらってもいいですか」
「もちろんだ」
ルゼフの申し出を受けると、私はアシュフォードからの逃亡劇からサルバドールに遭遇したことまでを話した。その上で、法で殺すことに決めた旨を伝える。
「……なるほど。英雄侯爵様から求婚されている今なら、権力使い放題ってわけですね」
「言い方! もっと他の言い方があるだろう」
「いや、ルゼフの言う通りだ。ラルダの為ならいくらでも使おう」
「使わないでくれ」
さらりととんでもないことを言うアシュフォード。心の中でため息を吐くと、ルゼフが今度は店に来た理由を尋ねた。
「それで、ここに来た理由は……」
「実は追われているんだ。相手の素性はわからない」
「物騒ですね。それじゃあ撒く必要があるってことですか。……なら、裏口を使ってください。普通の人は知らない抜け道なんで」
「ありがとう、ルゼフ」
ルゼフの提案通り、裏口から出ることに決めた。アシュフォードの愛馬は裏口からも連れて来れるので、早速準備をすることにした。アシュフォードが裏口から店を出て行く。
「ルゼフ、スティーブはどうしてる?」
「スティーブさん、最近忙しいみたいなんですよ」
「忙しい?」
「何でも伯爵としての仕事があるみたいで。連絡も少なくなるって、最後の手紙に書いてありました」
「最後に手紙が来たのはいつなんだ?」
「一週間以上前ですかね」
「そうか……」
スティーブが忙しいのは立場上当然のことだった。貴族派として、伯爵としてこなさなければならない業務が多いことは想像できた。
「さっきから何しているんだ、ルゼフ」
アシュフォードが愛馬を取りにいてからというもの、ルゼフはバックに物を詰め込んでおり、何か準備しているようだった。
「何って。出発の準備ですよ」
「……着いてくるのか?」
「えぇ。問題ありますか」
「それは――」
巻き込む理由がない、そう伝えようとすればルゼフが驚いた顔をしながら遮った。
「まさか、巻き込む理由がないとかいうつもりですか? 何を今更ですよ。ラルダさん、先に返しますけど、もう巻き込まれてるんで」
「うっ」
「なので、最後まで付き合わせてください。芸術家の技術が役に立つかわかりませんけど、何でもするんで」
「……いいのか」
「えぇ、面白そうなんで」
なんとも芸術家らしい返しだな、と思いながら笑みをこぼせば、カランコロンと店の入り口が開くのだった。
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