第9話 新しい土地へ



「おぉ……今日も良い天気だな」


 雲一つない晴れ空。眩しい光が指しており、時刻はちょうど正午だった。

 青い空に豊かな原っぱ。爽やかな風が吹くこの村の名はリセイユ。


「ラルダーー!」


 聞き覚えのある声が、私の名前を大きな声で呼んでいた。

 声がする方向に急いで向かえば、そこにいたのはリセイユに来てから初めてできた知り合いの顔だった。


「今日も良いじゃがいもが取れたんだ。良かったら持ってっておくれ」

「そんな。何も返せるものがないのに」

「何言ってんだ! この前屋根の修理してくれただろう」

「そのお礼ならもらいましたよ?」

「出来が良かったってことで、追加の礼だよ。また困ったことがあったら頼らせておくれ!」

「……わかりました。ありがとうございます、マギーさん」

「たくさん食べるんだよ」


 マギーさんに向かって深々とお辞儀をしながら、自分の家へと帰るのだった。


「……ラルダ。まだ慣れないな」


 ラルダ。これはロザクという作り名ではない、恐らく私の本名。


 私が孤児として捨てられた時、紙に包まれたペンダントが一緒に置かれていた。恐らく……というのは、その紙は濡れており、滲んだせいでよく読めなかったらしい。

 辛うじて読める場所には、”ラルダ”と記されていた。本名と離れた時間が長すぎたからか、まだ体に馴染んでいないのが現状だった。


 ロザクという暗殺者を引退してから一週間という時間が流れていた。ルゼフから届いた手紙によれば、社交界ではロザクが死んだという話題と、英雄が誰にも殺されなかったという話題で持ちきりらしい。


(平民の方にも話が流れてくるのは時間の問題か)


 私はと言えば、英雄アシュフォードの暗殺日を境に、このリセイユで過ごすようになっていた。

 組織がある裏路地、ヴォルティス侯爵領の両方から最も離れた土地であるリセイユには、知り合いが誰もいなかった。ロザクの時はそもそも姿を隠していたため、今特に変装することはしていない。


 元々、ルゼフとスティーブによる案の続きは、私が引退後田舎村でゆっくり休むということだった。

 スティーブからは「ロザク君は一生分働いた。今君に必要なのは休暇だ」と断言されてしまったため、反対することはできなかった。


(本当は、貴族派の動きとか知れる場所で違う職に就こうと思ってたのに……それさえも拒否されるとは)


 しかし、スティーブの言い分は一理ある。ロザクが死んだ話を浸透させるには、まずは息を潜めておくものだから。貴族派の土地にいるなど言語道断という剣幕で、リセイユの土地はルゼフが見つけてくれた場所だった。


「まさか、あんな短時間でこんな立派な家を用意しているとは思わなかった」


 以前から準備していたと疑えるほどの家具の備えの良さ。もしかしたらずっとロザク引退は二人の脳内にあったのかもしれない。二人によって贈られた一軒家は、この村に溶け込むほど柔らかな色の外装で特段目立つことのないものだった。


(一人住む分には丁度いい大きさだ)


 本当ならルゼフと一緒に来たかったのだが、誘う前に本人から断られてしまった。

ルゼフ曰く「万が一にでも追手がかかった時、俺がいたら足手まといなので」とのことだった。


 あんなにも完璧な死体偽装をしておいてそう言われてしまうと、途端に不安が生まれてしまう。だが、用心するに越したことはないのでルゼフの意思を尊重することにした。


「ルゼフ。落ち着いたら、必ず紅茶店に顔を出しに行くから」

「いつまでも待ってますよ。最悪、十年後とかでも」

「さすがにそんなには待たせないさ」


 これが別れの挨拶だったが、お互い暗い感情は表に出さなかった。また会うことを実現させるために。

 スティーブは、引き続き貴族派の伯爵兼医者として過ごすと言っていた。何か緊急事態があれば、お互いすぐに連絡することを約束に、見送られたのだった。


 殺伐とした裏社会から一転し、今はのどかで穏やかな土地にいる。マギーさんからもらったじゃがいもは、一つ一つがとてもずっしりとしていた。マギーさんとは家が隣にあるが、家同士は少し離れている。というのも、マギーさん宅には家の敷地に畑があるので、その分所有の土地が大きい。この村はどこも自家栽培をしているようだった。


「じゃがいもは茹でてもおいしいんだよな。……よし、昼飯にしよう」


 鍋に水を入れて火をかけ始めた。


 リセイユは小さな村なので、大きな店などは存在しない。出店も少なく、行商が週に一度出入りするくらいだ。そのため、住民のほとんどが農作物を育てており、自給自足のような生活をしている。


 私は暗殺者時代にもらったお金があり、スティーブによって手配された食糧のおかげで苦労はしていない。しかし、周囲からはラルダは田舎に引っ越してきた平凡な女性にしか見えないのだ。


(過去の人生でも、近所づきあいを大事にしてた頃があったな)


 懐かしい記憶をたどりながら、スローライフのような平和な日々を送り始めたのだった。




 リセイユに来てから二週間が経った。

 田舎というのは顔を覚えられるのが早いらしく、もうほとんどの住民に名前を呼ばれるようになっていた。


(……と言うのも、たくさん手助けをしたからだろうな)


 他の家の屋根の修理や、ぬかるみにはまった行商の荷車を押したり、腰を痛めたおばあさんを背負ったりした。基本的に暇だったので、呼ばれればすっと飛んで行ったのだった。


(顔を覚えられたということは、違和感なくこの村に溶け込めているということだな。良かった)


 村に来る前に、ルゼフとスティーブに口酸っぱくして言われたのが“絶対に目立つな”ということだった。偽装がバレるリスクを伴うので、静かに暮らしていてくださいと言われた。


(リセイユはのどかだが村としては狭い。引きこもっていたら目立つからな。よかった、馴染むことができて)


 ただ、残念なことにまだ子どもからは警戒されているのである。


(今日もまた、マギーさんのとこのコナーにつけられていたな。警戒されているみたいだ)


 もちろん、すぐ人間関係が上手くいくとは思っていないため、これから少しずつ改善していくことを願うしかない。


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