第19話 いつかまた

「白蛇君、いるかい。」


そんなふうに嫌な奴が呼びかけると、陰から黒いのが出てきた。別に、全く、これっぽっちも怖くはないけど、なんとなく不気味な感じがする。


「全く、獣ならいいと思ったのか。」

「この子、このままだと死んでしまうから。・・・今回の報酬は、猫ちゃんのために使う。」


何が猫ちゃんだ。僕には呼ばれるべき名前があるのに、こいつはそれを無視する。それどころか、せっかくまた得たのに、あの人も奪って行った。このまま死んだら、絶対に呪い殺してやるんだ。


「猫ちゃん、行こっか。」


扉を開けると、何か空間が捻じ曲がったような、気持ち悪い狭間に出た。それを当然みたいに歩いていくけれど、僕は帰りたくてたまらなかった。・・・帰る家が、どこにあるのかもわからないけれど。


そんなことをぼんやりと考えているうちに、階段を登り、洞窟の中を進んでいった先、驚くべき光景が目に飛び込んできた。


「うわあ、これはすごい。前来た時は青一色だったのに。」


歓声を上げる声に釣られ、うっかり顔を上げると、空も大地もとりどりの色に輝き、中空には無数の離れ小島が浮いている。

確かに綺麗だけれど、きっとあの人が見たら、ひっくり返るんだろうな。

あんなところに、どうして陸なんてあるのかって。


その時、凄まじい風が吹いて、嫌な男が僕をギュッと抱きしめ、吹き飛ばされないように踏ん張った。


「ああ、菱津殿、よくぞいらっしゃった。」

また一つ、突風が吹いたあと、それは不意に止んだ。


「猫ちゃん、もう離して大丈夫だよ。」

違う。うっかり爪を出していただけだ。別に、怖かったわけじゃない。今だって、変な生き物が目の前にいるけれど、対して脅威とは感じていない。あんなのは僕が飛び掛かればすぐに退散するに違いないんだ。


「あれ、もしかして、龍とかその系統なのかな?」


そんないいものではないだろう。目の前にいるのは、トカゲをものすごく大きくして、さらに額からツノを生やし、キラキラした鱗をつけた様な外観だ。食べても大して美味しくなさそうだし、引っ掻くのはやめておく。


「龍、か。確か人の子は我らをそう呼んでいた気もするね。時に菱津どの、報酬は・・・」

「ああそうそう。実は、報酬を変えたくてね。」

「ほう?」

「この子に、最後にもう一度だけでいいから、先生に逢わせてあげてほしい。」


どうして、なぜ、そんなことを言うのだろう。こいつは、こいつこそが、奪っていったのに、どうしてだろう。


「それはできない。この世界においてあの石は、命の源としての役割を果たさないから。その代わり、幻影を見せることはできるだろう。それでもいいのかね?」

「ニャン」


幻でも、なんでもいい。抱きしめてくれた温もりを感じられなくても、言葉が聞こえなくてもいい。ただ、死を待つばかりだった僕を救って、愛してくれた人の眼差しを、もう一度見たい。僕を助けるために、あんなところまで来てくれた優しい人に、ただ一言、謝りたかった。


『タンタル、おいで。』

「にゃあ・・・・・」


綺麗な黒い毛並みが好きだった。最初は遠慮しがちだった撫で方も、慣れてきて少し毛を逆立ててきた時・・・はちょっと怒ったけど、それでも全部、大好きだった。


「ニャア」


一緒に日向で寝ていた時間が好きだった。ちょっと指を舐めると嬉しそうだった表情が好きだった。・・・だから、駄目だとわかっていたのに、呼び戻してしまった。


「ニャァ・・・・・」

『まったく、せっかく体重が戻ってきていたのに、またこんなに痩せたのか。名前に負けるなよ。』

「うにゃ」

『タンタルは黒くて重い金属だ。頑丈で、希少で、美しい。ひ弱だった君が、大きく育つように名付けたんだぞ。』


・・・・そういえば、なんだか口やかまし奴だったな。半分も言っていることの意味はわからなかったけど、悪いことをすれば必ず飛んできてかまってくれるから、結構楽しかったんだ。

・・・それなのに、どうして一度僕を他の人の所へ置いて行ったりしたんだろう。


『いや・・・謝るべきは私の方か。君のために、いい飼い主を見つけようとして、失敗してしまった。こんなことなら、ずっと君を預かっていれば良かったな。』

「にゃっ!!」

全くだ。馬鹿なことをする。愚か者だ。・・・でも、謝ったから、許してあげなくもない。・・・・・本当に、ずっと一緒にいられたら、良かったのに。


『タンタル、でも君は、まだちゃんと幸せになれるはずだ。私のことは、忘れてくれて構わない。そこの菱津は・・・色々と難はあるが、悪い奴ではないから。だから、たくさん食べて、長生きするんだよ。それが、私の望みだ。』

「ニャア・・・」

勝手すぎる言い分だ。でも、それで安心するって言うなら、聞き分けないのは大人気ない。

「ニャア」

もう、心配しなくていい。自分のことは自分で、なんとかするから。もう、悪い人間なんかに、捕まったりしないから。

『これまでありがとう、タンタル。君のことを助けられて、本当に良かった。・・・・・それからそこの問題児、いいか、この子に何かあったら、化けて出てやるからな。覚悟しておけ。』

「わかっているよ先生、それに、僕のことは信用できなくても、三峰と吸血鬼くんのことは信じられるんじゃない?」

『・・・まあな。三峰なら、問題なさそうだ。いいか、くれぐれも頼むぞ。』

「はい。・・・君、本当に愛されているね。」

「にゃっ!」

当然だ。そうじゃなかったら、一緒になんていないし、次の命と引き換えにしてまで、もう一度会おうなんて思わなかった。

「にゃ。」

でも、もう後悔はない。今度こそ、ちゃんとお別れを言おう。


『ああ、タンタル。またいつか、遠い未来にまた会おう。君が君でなくなっても、必ず探し出すから』

「にゃ!」

幻影が消えて、胸が痛かった。もっと、一緒にいたかった。もっと、撫でてもらいたかった。下手でもいいから、もっと遊んでもらいたかった。でもそれは、決して望んではいけないこと。


「タンタル、帰ろっか。」

「にゃ。」

「君の気持ちは、痛いほどわかるよ・・・その気持ちを味わいたくなくて、僕はずっと逃げてきたからね。自分は死なないのに、他の人の死を見続けるなんて、不公平だし。死なないなら、それを見る必要もないと思っていた。・・・でも、そうか。人って死ぬ時に、一番大事なことを話すものなんだね。・・・会いたい存在のことを、想うものなんだね。」

「・・・にゃあ」

「僕に、三峰の死は受け入れられるのかな・・・・・」


誰のことを言っているのかわからない。それでも、表情を見ればわかる・・・それはきっと、とても大事な人なんだって。ただ、今は怖くて、それがわかっていないだけ。


「ニャア」

それなら、早く会いにいったほうがいい。・・・幸せは、いつも当然奪われるものだから。

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