第13話 呪い
この日の放課後は、諸事情あって小室は菱津と共に下校しつつ、彼と交流を持つことになった日のことを思い出していた。
考えるほどに最悪の出会い・・・といって過言ではなかった。ただし、同じクラスではあったから、本当の初対面というわけではない。だが、お互いがお互いを、おそらく全く認知していなかった、去年の梅雨時の出来事である。
*
良家の生まれである小室は日々、折り目正しく過ごしていた。朝5時に起床、2時間勉強、7時ごろ朝食、8時学校到着、下校後も寄り道することなくまっすぐに家に帰り、宿題を片付け、復習をし、次の日の予習をして10時ごろには就寝。そんな判で押したような毎日を送っていた。
腕に巻きついている時計の奴隷、家の人間に失望されないようにということだけに特化した人形、自分の存在意義は家を継ぐこと以外にはありえない・・・そのように教育され、それが当然であると思い込んできた。しかしそうした
それは、夜に楽しげに外を談笑しながら通る人々を見た時か、父親が朝帰りをした時か、あるいは母が自殺未遂を図った時か。
それでも、他の生き方がわからない。学校で、派手な生徒と関わろうとしても、自分の見るからに堅物かつ圧迫感を与える外見が、それを許さない。そもそも、話しかけ方すらわからない。
それでも普段の生活から、なんとか抜け出したいという思い、どうにかして、自分以外の何かになりたい・・・そんな切実な願望が引き寄せたのは、残酷なものだった。
「父さん・・・」
「お前は死んだんだ。悪く思うなよ。」
冷たい、あまりに冷たい声だった。これまで確かに、愛されていると感じたことはなかった。愛情をくれたのはもっぱら母親だったが、それも自殺未遂事件以降、実家へ追いやられてここにはいない。
どうしようもなく虚しかった。なすがままに身体中に布を巻かれて、座敷牢に放り込まれて。一体、これまでの人生はなんだったのか。なんのために勉強し、身を慎み、あらゆる娯楽を遠ざけてきたのか。
この時になって、自分自身に嫌気がさした。父親が、周りが見捨てるのも当然である・・・意のままに動く人形ならば、代えなどいくらでも効く。なら、捨ててしまっても、なんの後悔もない・・・
そんな絶望感の中で、周囲から悲鳴が聞こえてくる。何かあったとしても、もはや自分にはなんの関係もないことだった。
飢えて死ぬにしろ、体に巻き付いた目玉型の呪いによって死ぬにしろ、他の何かにしろ、大して差はなかったから。
「あはは、間に合った間に合った。全く、若い美空でこんな呪いに引っかかるなんて、世も末だねえ。」
「お前は・・・」
絶望的な状況に似つかわしくない、明るい声に顔をあげると、牢の前に、顔くらいは知っている、美しいクラスメイトが立っていた。・・・ただ、それだけだ。話したことさえない。少し不思議な雰囲気を纏っていて、長い髪が全く違和感なく収まっている、変な人間。三峰と同じくらい、自分とは関わりなさそうな人種。その彼が、今まさに素手で、座敷牢をこじ開けようと躍起になっていた。
「うーん、意外と頑丈。ここの鍵、知らない?」
「・・・多分、親父の棚の中だ。なぜ、ここに?」
「仕事だよ仕事。でも、取りに行っているうちに火が回るよな。よし、仕方ない。見たことは秘密にしておいてね。」
そう言うなり、懐から見慣れないものを・・・銀色に輝く刀を抜き放つと、サクッと牢を両断してしまう。
(いやおかしいだろ、これ金属だぞ。)
そんな困惑と驚愕に構わず、済んだ音を立てて散らばった残骸を踏みながら小室に近づくと、巻かれていた包帯を、なんの躊躇いもなく解いてしまった。
「なんとも思わないのか。」
肌には黒い影のようなものが張り付き、服の上まで染み出している。蠢く無数の手は絶え間なく体を締め付け、気味が悪かった。
「・・・ただ、気の毒に思うよ。死を願わないかぎり、この呪いにはかからないから。」
そうだったのか、と、どこかで納得していた。逃げ出したい、逃れたかったのは生活ではなく変えることのできない自分自身、命そのものだったのかも知れないと。
「まあ、引き剥がすのは割と簡単だけど、完全に消すのには時間がかかるかな。あ、それからちょっと痛いけど我慢してね・・・」
と、いきなり手首にあった蠢く手を突き刺され、悲鳴をあげそうになってからきょとんとした。痛みは、注射針で刺されたほどのものしかなく、血も出ていない。しかし体を苦しめていた呪い、影は声にならない悲鳴をあげてのたうち、苦し紛れに菱津の体へと入っていく。
「おい!今度はお前が・・・」
「この手のものは、こうするのが一番早いんだよ。」
そういって笑った菱津は、脇差を自分に向け、なんの躊躇いもなく心臓を貫いた。咳き込んだ口からは鮮血が溢れ出していたが、青年は楽しげに笑うと、奇妙な小さな壺に、その血液を流し込んでいく。
「よし、と。任務完了。・・・・・あ、このことも内緒ね。」
どうせ言ったところで、誰も信じない。小室は、徐々に塞がっていく傷を見ながら思った。それと同時に、これほどこだわりがない人なのだったら、自分でも、これから先もしかしたら、少しは親しくなれるかも知れない、とも。
「あ、そうだ小室、ここから持ち出したいものってある?」
「いや・・・」
「ならよかった。さっさと逃げるよ。侵入するために火を放ったらさ、思ったより大事になりそうで。焼け死ぬのは苦しいだろうから、行こう。」
白い手を掴み、知れず笑った。これまでの生活、日常、そして自分を捕らえて離さない家、全てを壊してくれた爽快感が、たまらず愉快だった。
外に出てみれば、親や使用人たちが呆然と屋敷を見上げていたが、菱津はちょっと笑うと、どこか別の場所へと誘導し始める。曇り空からは雨が降り始めていたが、何も気にならなかった。服が汚れることも、靴の中が水浸しになることも、ただただ愉快だった。
どこへ行く気かも、聞かなかった。それは信頼というよりは、諦めにも似た愉悦だった。
見慣れた街を抜け、遠くに見えていた小高い丘を抜け、親が決して立ち入らせないような集合住宅を抜け、工場を抜け、そして小さな家の前で、ようやく菱津は止まった。
「あそこにいたら君はきっとまた、碌でもない拾い物をするだろうから。まぁ、帰りたくなったら、僕が拉致したことにして、帰ればいいから。」
それだけ言って、ヒラヒラと手を振り去っていくのを見送り、目の前の小さな家を見上げる。雨の中白い洗濯物が干してあり、誰かが中にいるような風情だった。
(嘘だろ・・・・・ここどこだよ。)
そのまま踵を返そうとしとたところで。立ち止まる。懐かしい、声が聞こえた気がした。
*
菱津には、三峰と知り合って割とすぐの頃、流石に毎日大量の菓子を作るのは無理だと宣言されてしまってから、よく通うようになった場所があった。三峰力作の菓子でなければ、いっそ氷砂糖かチープな味が取り柄の駄菓子が好物と言っていい菱津に打ってつけのその場所へは、(菱津から見て)暇そうな小室を伴っていくことが多い。無論、用があるから、というのも大きかったのだが。
「菱津、ずっと思っていたんだが・・・」
今日もそんなこんなで駄菓子街を練り歩き、買い込んでいるのに付き合わされつつ、いつまでも沈まないで止まっている、夕焼け空に浮かぶ太陽と、舗装されていない、砂埃の立つ道、そして店主のいない木造の、趣のある店が軒を連ねているだけで、人のいないこの世界を見回した。
「こんなに頻繁に来てもいいものなのか?こういう場所に。」
「そうだねえ、ここは地下12階の世界だから、もし誰かに見つかったら、かなりまずいことになる。ま、出てくるのは夜になってからだけど。」
怖いならそろそろ戻ろうかと、最後にいくつかの飴を買い込んだ後で、町外れの五階建ての建物、3階の窓から白く細い布が風もないのに揺れているのが見える場所に立った。ちょうど其の位置に見える、何かに破壊されたらしい土蔵の前に置かれた薬を取り、小室に手渡した。
「君の病気の方は、だいぶ回復はしているけど、まだちゃんとこれは飲みなよ。今度こそ、本当に死ぬからね。」
「わかっている。」
土蔵と建物の間を通り、勝手口を開け、地下空間へと入った。
「・・・二つ、質問があるんだが、いいか?」
白い布を辿っている最中、菱津に問いかけると、彼は微笑み頷いた。
「なぜ、母の居場所を知っていたんだ?」
「いやあ、なんだか君が気の毒だったから、足で探したんだよ。多分この街のどこかだろうって思ったからさ。それで、もう一つは?」
小室は少し言い淀んだ後、意を決して菱津を見る。
「その、全快しても、一緒にいても、構わないだろうか?」
菱津の家に着き、拒否されるだろうかと思いながら尋ねると、青年は首を傾げた。
「え?」
「いや、だから・・・俺には、友達とか、いないから。」
菱津は眉を開いてにっこり笑うと、まだ玄関にいた小室を引っ張って中に入れた。
「僕にはね、君の面倒を見る義務なんて最初からないの。興味がなかったら、こんなふうに連れ回したりもしないしね。友達なら大歓迎。」
白蛇君は異界へ通じる道を閉じながら、なぜこうも、少し面倒そうなタイプばかりが集まってくるのだろうかと、肩を落とすのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます