第8話 ふたりのひみつ
「僕か。ふむ。一人称が僕っていうのもたまにはいいものだな」
彼がスイッチが急に切り替わったかのように、落ち着き払ったトーンで言った。
「えっ」
「中身が男なのに必死でかわいい奥さん、保育士さんを今まで演じてきた姿が透けて見えるようですごくそそられる」
「!!」
その言葉に僕の背筋にゾクリとしたものが走った。今まで彼の前でノリノリで演じてきたかわいこぶりっこやいちゃいちゃの数々が走馬灯のように蘇る。
「どうしたケイコ?うつむいたりして」
「恥ずかしくて死にそうです。許してください」
「いいじゃないか。俺がかわいいからもっとやれって思ってるんだから」
ベッドまでお姫様抱っこで運ばれてしまう。
「許して!許して!」
「かわいいからだーめ」
ほっぺたにキスの雨が降らされ、ベッドに軽く降ろされる。
僕の横に寝転がると彼は顔を近づけ耳元でささやいた。
「ケイコって俺にからかわれたり、ちょっかいかけられたりするの好きでしょ?」
図星だった。必死になって悪態を突いてくる彼をかわいいだなんて内心思いながら、嫌がる素振りを上っ面では演じつつ、言いたい放題にさせていたのだ。
「そんなこと……」
「俺はしっかり見てるんだぞ。いやいや言いながらも、ときどきにやにやって笑ってるの。笑顔が隠しきれてない」
「もう!バカバカ!」
「ケイコが笑った。良かった」
ほっとため息をついて言った。そこで私は彼のやさしさに気付いた。私の心に傷を残さないために、今までの関係を壊さないために、わざわざふざけたふりをしているんだ。そんな彼だからこそ、私は惚れてしまったのかもしれない。
「俺さ。怖かったんだよ。ケイコがこのまま遠くに行っちゃうかもしれないと思うとさ。だけど、今まで通りのケイコで居てほしい。妻として母として、これからもうちの家庭を守ってくれ」
「はい!ふつつかものですが」
返事を確認すると、彼が電気を消し、どちらからでもなく唇をあわせる。
「怜香。愛してる」
「私も」
私は彼の頭の後ろに手を回してキスをする。二つのシルエットが重なる。
「ごめん。また、俺だけが……。気持ち良すぎた……」
「いいのよ。私も本当に気持ちよかったし」
落ち込む彼がかわいすぎてたまらなくなりキスしてしまう。
その夜、私は遅くまで起きていた。彼の寝顔をどうしても見たくなった。そして、寝息を立てているのを聞くと、ふふっと心の奥底から笑いがこみあげてきた。
その日以来、入れ替わりの話には、お互いほとんど触れなくなっていた。彼はとてもやさしくて思いやりのある人だと思う。長女と新しく生まれた長男を深い愛情のもと、私と二人三脚で育ててくれている。
明石家と交流をはじめた。お互いの元の家との関係を捨てることへの罪悪感があったのが、もともとのはじまりであったが、うちの子どもたちと圭悟くんの子どもたちはすっかり遊び相手として仲良くなっている。
時が過ぎ、子育てが一段落すると、正式に保育士の資格をとるために専門学校に通い始めた。正職にはなかなかなれないとは思うけど、仕事への知識を深める修行だと思って頑張っている。夫から会社の経理をやってほしいと頼まれたこともあるけれど、なんとなく、そっちには向いてないことは自分でもよくわかっていた。とはいえ、オルガンの演奏もそっちはそっちで苦手ではあるのだけども。シンセサイザーを買って夫と子どもたちに練習曲を聞いてもらっているけど、下手くそだと夫が大笑いすると、娘がまねっこをして野次を入れ、大笑いをする。そんな日々も楽しい。
そして、それからさらに大きく時が過ぎ、子どもが大きくなって自立したころ、私は病にかかり、隼人さんよりも、圭悟くんよりも一足先に天に召されることになった。
「元の体に戻ったら、あと数十年生きながらえることができるんだぞ」
そう圭悟くんは言ってくれたけど、私は2人の子どもを生み育てた母として八代家のお墓に入りたいと告げた。私の最後のわがままを、人生最大のわがままを圭悟くんは、隼人さんは聞き入れてくれた。大人になってからは私のわがままばかり聞いてもらって、本当に申し訳ないと思っている。私は本当に幸せものだと思う。
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