ゴミ屋敷でサレ父と二人暮らし。人生を捨てた父の新たなスタートを応援したい

神楽耶 夏輝

第1話 前編

 リーーンゴーーーン。

 授業終了のチャイムが鳴り、担任のこずえ先生はにっこり笑顔でこう言った。


「はーい、それでは昼食を食べて、お昼休みになります。みんなお弁当持ってきたかな?」


 4年1組の担任、こずえ先生は当然みんな持って来てるよね? という顔で手を挙げた。


 今日は月に一回のお弁当の日。

 4年生に進級して2度目のお弁当の日だった。


 おうちの人と一緒におかずを作ったり、お弁当箱に詰めたりするという父子家庭の華にとっては、なんとも迷惑な学校行事の一つである。


 父子家庭なだけではない。

 華の父親は、他所の父親とちょっと違う、いや大分……アレだ。


 学校からのプリントも読まない。

 読まないので、もう渡さない。

 親に渡すはずのプリントの数々は、ランドセルの中でぐちゃぐちゃになっている。


 仲良しの友達同士、机をくっつけて楽しいお弁当タイムが始まる中、華だけが机の木目を数えていた。


 コツコツコツと足音が近づき

「野山さん、野山華さん?」

 頭上から降って来た声に顔を上げると、こずえ先生が机の前に立っていた。


 一回目のお弁当の日は叱られた。

 ぐちゃぐちゃのランドセルをひっくり返されて、恥ずかしい思いもさせられた。


 また叱られる。

 肩をすくめて、言い訳を考えていると。


「またお弁当忘れたの?」

 こずえ先生は、前回と違ってなんだか少し優しかった。


「3年生の時の担任の先生に事情を聴いたわ。先生知らなくて、前回はきつい事言っちゃってごめんなさいね」


 そう言って、サランラップに包んである大きなおにぎりを差し出した。余裕でお茶碗二杯分はある大きさだ。


「おかかと昆布と卵焼きとたくあんが入ってるの。よかったらどうぞ」


 それが、なんだかとても悔しくて、悲しかった。


 クラスのみんなが注目していて、「やーい乞食乞食」と男子の声が聞こえた。

 

 うるせぇ、クソガキ!


 しかし、空腹には逆らえず、華は少しだけお辞儀をしてそのおにぎりをランドセルに押し込んだ。


 貧しくても心は錦。


 そのまま机に突っ伏して完全にバリアを張り、時間が通り過ぎるのをひたすら待った。

 みんなの前で食べなかったのは、せめてもの意地だった。

 小さな小さな、ちっぽけな意地……。

 しかし、華にとっては、そんな事がとても大切に思えたのだ。


 五時間目、六時間目。授業など殆ど頭にはいらない。ひたすら空腹との闘い。



 ようやく放課後になり、一目散に学校から駆けだした。

 通学路の途中で脇道に反れ、河原の土手に腰掛けランドセルを開ける。

 ぐちゃぐちゃのランドセルの隙間に押し込んだおにぎりを取り出して、震える指でラップを剥ぎ、かぶりついた。


 べっとりと海苔が張り付いた塩気の効いたご飯は、涙が出そうに美味しい。

 細い喉を窮屈そうに通り過ぎるおにぎりに地団駄を踏む。


 ――く~~~~、苦しい~~~~。


 それでも、ごはんを頬張る事をやめられない。

 通過するのが待てずに、胸をバンバン叩きながらおにぎりを体内に収めた。


 残り一口を頬張った所で

「華さん」

 と、声がした。


 振り返るとこずえ先生が学校とは違うかしこまった服装で立っていた。


ふぇんふぇー先生


「おにぎりおいしかった?」


ふぁい。ふぉっふぇもはい。とっても


 ぐつっと飲み込んで


「お出かけですか?」

 と、訊ねた。


 先生は微笑んで

「そう。これから野山さんのお宅に家庭訪問をします」


「家庭訪問?」


「学級参観にも来られないし、個人面談も。お父さんとお話する機会がなかなかないから。お父さんおうちにいらっしゃるかしら?」


 華はぶんぶんと首を横に振った。


 あんな父親の姿を見られては死んでしまう。

 もう二度と学校には行けない。


「お父さんはいません!」

 そう言って、ランドセルを乱雑に肩に担ぎ、逃げ出すようにその場を去った。


 家庭訪問など、絶対に阻止しなければ。


 後ろを振り返りつつ、家が決してバレないように、いつもとは違う裏道を通って家に帰りついた。


 戸建てと言えば聞こえはいいが、車が一台ギリギリ通れるか通れないかの小道沿いに建つおんぼろの借家は、小さな台所付きの居間と寝室の二部屋だけ。

 雨が降れば雨漏りだって酷い。

 家賃が滞納しているせいで大家に文句も言えないと、雨が降る度、父が嘆いている。


 ドアノブを回してそっと玄関を開けると、居間に寝転がっている父の背中が見えた。


「ただいま」

「うーーーん」

 唸り声が返って来た事で生きているんだと認識する。


 ゴミが散乱する玄関の隙間で靴を脱ぎ、中に入る。

 腐敗臭など、もう慣れた物だ。

 普通がどうだったかなんて、もう思い出せない。


 母が父に追い出されるようにしてこの家を出て行ったのは、華が3年生に上がった頃だった。

 いずれはマイホームを、というのが家族の目標で、母はスーパーでパート。

 父はソフトウェアの会社でエンジニアをやっていた。


 母が父や華に「ごめんなさい」と泣きながら謝り、出て行った時。

 華は咄嗟に、母はとんでもなく悪い事をしたのだと思った。


 学校で友達が言っていた。

 PTAの役員だった母は、同じく役員の友達のお父さんと浮気をしていたのだと。


 きっとそれが原因で、母はこの家を出て行ったのだ。


 母がいる頃はそれなりに楽しく、普通の家庭だった。

 お弁当の日だって一度も忘れた事はない。

 手作りの作り置きコロッケにひじきの煮物。金平ごぼうに卵焼き。

 梅干しやお漬物だって、母は何でも手作りした。

 魔法使いのようにお料理が上手だった母。


 恋しくなんてない。

 帰ってきてほしくなんて、絶対ない。

 そんな汚らわしいお母さんならいらない。


 華はぎゅっと下唇を噛んで、ちゃぶ台に座りランドセルから宿題を取り出した。

 ぐしゃぐしゃのプリントを手で伸ばして、鉛筆を握る。

 その時――。


 コンコンと、ノック音が響いた。


 大家さんだろうか?


 華は父のふくらはぎ辺りをゆすった。


「お父さん、誰か来た」


「んーーー、ほっとけ」


 コンコン、コンコン、ドンドン、ドンドン。


「こんにちはー。野山さーん。こんにちはー。どなたかいらっしゃいませんか?」

 この声は――。


 華は先ほど食べたおにぎりが喉元にせりあがって来るのを感じていた。


 ――こずえ先生。


 どうしてわかったのだろうか?


 華はその場に立ち上がり、硬直していた。


 ガチャガチャとドアノブが回り、ゆっくりと扉が開いた。

 鍵をかけていなかった事を深く後悔した。。


「こんにちはー」

 この家に、およそ似つかわしくないソプラノの声の後、余所行きのスーツ姿のこずえ先生が姿を現した。


「せ、先生……」


「んあ?」


 その声で、父はようやく体を起こした。

 はぁーっと吐いたため息は、アルコールと、生ごみが腐った匂いがする。


「あ、お父さんですか? 初めまして。華さんの担任の小梢奈々子と申します。すみません、突然お邪魔して」


 こずえ先生は余所行きの顔でそう言った後、部屋をぐるっと二週ほど見回した。


 父は、物が散乱している居間の角っこから、焼酎の一升瓶を取り出し、テーブルの上のコップに注いだ。


「先生が何の用ですか?」


 ぶっきらぼうにそう言い放ち、焼酎を一口含み、くちゅくちゅっと口をゆすいだ。

 アルコール消毒だ。


 先生は余所行きの顔から徐々に真顔になり。

 ちょうど一か月前、華のランドセルをひっくり返した時の顔になった。


 足元に転がる缶ビールの空き缶やコンビニ弁当の空き箱を拾い上げると、父をきっと睨みつけた。


「こういう事だろうと思いました。来てみてよかったわ」


 そう言って、潔くジャケットを脱ぎ、ブラウスの袖のボタンを外しまくり上げた。


「華さん。ゴミ袋はどこ?」


「ゴミ……袋?」


 そんな物はない。

 あればゴミがこんな事にはなってないのだ。


「ないの? ないのなら買ってきてください」

 その言葉は、父に向けられた。


「は? なんだと? なんであんたに指図されなきゃいけないんだよ」

 父はそう言って、再び一升瓶も持ち上げて、コップに添えた。

 その時だ。


 こずえ先生は、鬼の形相でその一升瓶を取り上げ、シンクの上でドバドバとひっくり返した。


「お、おい! 何しやがるんだ?」

 父の怒号に、こずえ先生はひるまない。

 さきほど脱いだジャケットのポケットから真四角の財布を取り出し、1000円札を抜き取り父に差し出す。


「お酒を捨てた分、弁償します。これでゴミ袋と、お掃除用の洗剤を買って来てください」



 続く

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