空よ暁、還る夢

月水蒼

空よ暁、還る夢

 ――……空に落ちることはできるのか。


 目覚めた夜明け。淡い色が徐々に青く、蒼く、碧くなっていくのを眺めながら、そんなことを思う。海に落ちる、なら誰でもわかる。けれど、何ものよりも上にあるはずの空に落ちる、なんて体験はそうそう出来ない。


 夢の中でなら味わえるのだろうか。空を映した鏡の水面になら落ちることができるだろうか。想像して、虚しさで口元に笑みが刻まれた。


 こんなことを考えてしまうのは、夏の蒸し暑さで頭が沸いてしまったからだろう。太陽が真上に昇ってしまえば、息を吐き出そうとしても苦しくて仕方がない。


 朝である今なら。少しだけすっきりとした気持ちで呼吸ができる。それでも、完全には程遠い。



   ◇



 ――どこに行くの?


 問いかけに、応えはなかった。


 木漏れ日が降り注いでいた。かつて連れて行かれたのは『あお』が広がる場所。濃い緑に囲まれた先にあったということは、覚えている。


 自分よりも大きな手を握り返しながら、不安と安堵――相反する感情がせめぎ合っていた。


 木々がざわめいた。


 お腹を空かせて足元が覚束ず、トンと押されてしまえば、抵抗などできるはずもない。


 ――たすけて。たすけて。たすけて。おねがい。だれか。


 もがいて、もがいて、もがいて、体がくるりと反転した。


 ガラスを散りばめたかのように、きらきらと歪む水面の先にいたのは。



   ◇



 鍵盤に指を置く。ポーン、と音が宙に消える。ぎこちない動きはいつの間にかなめらかになり、音を紡ぐ。気が向いたときに意味もなく弾いているけれど、やはり正解はわからない。誰かに教わったことなどないのだから。


 荒れ果て、忘れ去られたこの建物には、どこか見慣れた、見覚えのない物であふれていた。長い時のなかでここだけが置き去りにされているかのようだ。


 天井のガラスから注がれる光が強くなっていた。目が痛いと片手で覆い隠すものの、ずっとこのままというわけにはいかない。


 外に繋がる扉はあるのだ。扉を隔てた先に、望むものは何もないけれど。


 ギギ、と錆びた金属と古びた木のせいで、一人で開けるのは時間がかかる。ドアが開いたときには、白い雲が太陽をわずかに隠してくれていた。


 一歩、踏み出す。かたい土の上を素足で進み、振り返った。風雨に晒され、一部が崩れた外壁。薄汚れた建物の上には、澄んだ『あお』い空が悠々と広がっている。


 手の届かない、遠い遠いその場所に。


 ――……いつか還る夢を見た。

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