第24話

 港湾の貨物倉庫のような装飾がされた地下格闘技番組『Getdown』のスタジオはピンク色のネオンを中心とした照明で淡く薄暗い空間に仕上がっていた。


「アヤさん入りまーす!」


 スタッフに案内された椅子に向かう最中、試合を組む相手となる候補の選手たちがジロジロとアヤのことを見る。


 その中でも列の真ん中に座っている髪の毛をコーンロウでまとめた人のニヤついた顔にアヤは不快感を覚えながら椅子に座った。


 スタッフから合図があり、撮影が始まる。今日はとにかく尊大に、冷たく振る舞えとスタッフから事前の指示があった。


「えぇと……アヤさん。有名なアイドルの方ですよね。何故参加を決められたんですか?」


「別に」


 司会の質問にアヤは足を組み直し、椅子の背もたれに体重をかけながら答える。


「別にじゃねえだろ!」


 コーンロウの女性がガヤとして叫ぶ。アヤは横目にそれを一瞥し「オファーがあったから」とだけ答える。


 すると、カッとなったコーンロウの女性が立ち上がり、アヤに近づいてきた。今日は誰と試合をするか決めるパートの撮影。試合は後日生配信だ。


 試合の相手がどうなるか事前に聞かされてはいないがこの人が相手なんだろうとアヤは察する。


 目の前に来て睨みつけてくるコーンロウの女性の腕はアヤの倍はあり、アヤは少しビクつきながらも立ち上がって睨み返す。


「何よ?」


「アイドル崩れが目立てるほど甘い場所じゃねぇかんな?」


「ふぅん……そう」


「テレビに出てるときから前から鼻につく奴と思ってたんだよな。アタシとやろうぜ? AV堕ちする前に弄んでやるよ」


「人前で晒す事に需要があるだけマシだわ。アンタみたいなゴリラの交尾なんて誰も見たがらないでしょ? ま、肝心のゴリラも発情しなさそうだけど? そういえば、ブスに面と向かって僻まれるのって初めてなのよね。こんな惨めな気持ちになるんだ」


「……この野郎!」


 闘争本能を剥き出しにしたコーンロウの人がアヤに頭突きをした。


 アヤは受け身も取れず無様に地面に倒れ込む。


 周囲のスタッフが止めに入るが、ここまで込みの演出。


 だが、頭突きの入りどころが悪くアヤは鼻血を出してしまった。いくらなんでも出血をしている映像は使えないだろう、とアヤは経験から察する。


 アヤは取り囲みにきたスタッフに鼻血をアピールして床についた血をサッと拭き取りながらカメラに背を向ける。


「AVに出た方がマシだったって思えるくらいボコボコにしてやるよ。覚悟しとけよ! 5分倒れなかったら認めてやるよ」


 そんな挑発を背中で受け止めながらアヤは自分の置かれた状況をふと客観視する。


 最盛期の勢いのまま行ったとしたら、今頃はドームを埋め尽くす観客の前でライブをしていたはず。歌も踊りも何故か黒子がいなくなる前に比べて劣化。


 更にバラエティ番組でも以前ほど強烈なエピソードトークも出来なくなり、爪痕が残せない。今のマネージャーは愛想笑いしかせず雑談も広がらない。黒子との雑談の中で使えるエピソードがあれば随時教えてくれていたことを思い出す。


「はぁ……何やってんだろ。こんなとこで」


 現実は薄暗く冷たい床に這いつくばり、ブサイクに頭突きをされた痛みに耐えながら鼻血を映さないように立ち回っている。


 そんな理想と現実とのギャップにアヤはボソッと呟くのだった。


 ◆


 高校生組がテスト期間の間は響と世莉架の二人だけが店に立つ形で数日営業したが、客足は相変わらず盛況。


 むしろ確実に二人と話せるということで、リピーターとして来る人が多い印象だ。


「行ってらっしゃ〜い」


「……またね」


 響と世莉架が最後の客を笑顔でお見送り。


 二人が店内の方を振り向いた瞬間に笑顔を崩し、レジの前に立っていた俺にだけ疲労感を見せたのはプロ意識の固まりだと思った。


「……疲れた」


「分かる……さすがに二人はキツイねぇ……」


 ヘナヘナと椅子に倒れ込むように座った二人に、近くのカフェで買っておいたカフェラテを持っていく。


「二人共お疲れ。まぁ、今日で全員テストが終わるから、明日からは楽になるぞ」


「だといいけどぉ……」


 響は多少むくれながらカフェラテに手をつけた。


 世莉架はそれを無視して更衣室へと向かった。


「カフェラテ嫌いだったか?」


「前飲んでたの見たけどなぁ」


 不思議に思いながら響と話していると、すぐに世莉架が紙袋を大小2つ持って更衣室から出てきた。


「……どうぞ。バレンタインデーのチョコ」


 世莉架が俺と響にそれぞれ大きい方と小さい方を手渡した。そういえば世間的にはそんな日だった。店でも客に配っていたのにすっかり忘れていた。


「わぁ! ありがと! ……黒子の方大きくない!?」


「……愛の大きさ」


 世莉架はポッと頬を赤くしてそう言う。


「何が愛だよ……」


 発言は冗談と受け取りながらも、チョコ自体は「ありがとう」と言って受け取る。


「黒子のやつ、中身すごいのかな? 気になる気になる!」


 俺の紙袋を覗き込もうとする響を世莉架が制した。


「……家で開ける推奨……だよ」


 本人がこう言うのでさすがにここで公開するわけにもいかない。


「悪いな、響」


「むぅ〜……実は私も用意しててさぁ――」


 響が言いかけたところで店の扉が開いた。


 全員で入口の方を向くと、茉美と虎子がやってきたところだった。


 ふたり共、手には可愛らしいリボンのついた紙袋を持っている。


「こんちゃ〜、お! やってますねぇ。黒子さん、どうぞ。手作りではなく金の力で解決した、お菓子メーカーのマーケティングに踊らされている愚か者が購入する児童労働の象徴たる菓子ことチョコレートです。ちなみにこれはフェアトレードカカオですので可哀想な子供の顔を思い浮かべることなく召し上がっていただけますよ」


 茉美がそんな説明をしながら紙袋を渡してくれた。


「黒子! 食え! あっ……開けるのは後にしろよ! な、中にメッセージとか入ってるから恥ずかしいから……」


 目の前までは威勢よくきたものの、渡す段になるとモジモジしながら紙袋を虎子が渡してくれた。


「ふ、ふたり共ありがとな……」


 大量のチョコレート。何日かけて食えば良いのかと少し気が滅入りそうになりながらいつの間にか更衣室に物を取りに行っていた響の手を見る。


 そこには大きなワインボトルが2本あった。


 ◆


「重てぇ……」


 店を閉めて帰宅。四人からの大量のプレゼントを両手で持って帰るハメになったが近いので助かった。


 心配なのは卯月が顔を見せなかったこと。こういうイベントはまっさきに楽しみそうなものなのに。


 勉強のやり過ぎで体調を崩したんじゃないかと心配になってきた。


 自宅マンションのエントランスに到着。


 一階の入口には見知った顔の女子高生が立っていた。


「卯月? なんでここにいるんだよ」


 店の近くだし、万が一のために備えて場所は教えておいたのだが、ここに来るくらいなら店にまず来れば良いのに。


 どれくらい待っていたのかは分からないが、卯月は鼻の頭を赤くして見上げてくる。


「えへへ……来ちゃった」


「可愛く言ってもダメだぞ」


 卯月は「はぁい」と返事をしながら俺の両手にある4つの紙袋に視線を送った。


「モテモテだねぇ」


「仕事上の付き合いだよ」


「じゃ、私からも『仕事上の付き合い』で渡したいものがあるんだぁ。家上がって良い?」


「駄目に決まってるだろ……」


「なんで?」


 卯月は純粋な目で聞いてくる。


「なんでって……そりゃ……こう……な? 高校生を家に上げるのはさぁ」


「私、別に暴れたりしないよ? それとも何かな? 黒子さんは私と二人っきりになると急に理性がなくなっちゃったりするのかな?」


「ないない」


「じゃ、問題ないよね?」


 両手は四人からのプレゼントで千切れそうだし、ここで説得するのは辛いものがある。


「……5分で帰れよ」


「わーい!」


 俺は渋々ながらも卯月と自室へと向かうのだった。

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