第9話

 響とムッカに戻り、コーヒーを飲んでいると卯月が友人を連れて店にやってきた。


 黒髪ロングの華奢な女の子。遠目にはミステリアスな雰囲気を感じる。


 手を挙げて二人に場所を教えると、卯月を先頭にこちらへ向い始めた。


 だが、卯月の友達は店の中ほどでピザ窯を見つけると立ち止まり、ピザ窯に向かって一礼をした。


「クセ強そ……」


 響がぼそっと呟く。


「ま、アイドルに大事なのは強烈なエゴだよ。ただの女の子じゃないってことも重要な要素だからな」


「エゴねぇ……」


 そうこうしていると、二人が俺達の前に座る。


「黒子さん、響さん、お待たせ。美馬みまさん。この男の人が黒子さんで、こっちのお姉さんが響さんだよ」


 美馬さんと呼ばれた女の子はペコリと頭を下げる。近くで見ると華奢さが際立つ。ご飯、ちゃんと食べてるんだろうか、とお節介になりそうなほどだ。


「どもっす。美馬みま茉美まみといいます。口から読んでもアナルから読んでも『みままみ』です」


「よ……よろしく……あと、前と後ろを体の部位で例えなくても分かるからな……」


 美馬姓でマミなんて名前つけるか普通!? やはり独特な家庭なんだろうか。


「あ、ちなみに美馬は母方の姓です。生まれたときは別の名字だったようですが、物心付く前に離婚して美馬になりました。なので産まれたときはミママミなんてギャグのような名前ではなかったんですよ。ははっ」


 俺の心を読んだように説明をした茉美が一人で笑う。


 笑いどころが分かんねぇ!


「おや? 面白くありませんでしたか? 片親ジョークですよ」


「あ……あはは……」


 誰よりも先に卯月の顔が青ざめていく。さん付けで呼んでいたから友人でないんだろう。自分の想像の上を行く変人だった事に驚いているようだ。


「あー……み、美馬さんね、ラップが上手なんだ」


「そうなのか?」


 茉美は「えぇ」と言って真顔のまま頷く。


「褒められて照れマヨ、照りマヨですね」


 全く嬉しくなさそうに淡々とそう言った。


「本当にできんの!?」


「出来ます〜百マス〜」


 シュールな雰囲気が隣りにいる響のツボに入ったようで一人でゲラゲラと笑っているが、おちょくられているだけじゃないんだろうか。


「あのさぁ……」


「舐めてんのか? とお思いですかね。逆に私からも聞きたいですよ。アイドルグループのメンバー募集だと言われてきてみたら隠れ家イタリアンで――すみません! マリナーラを一つお願いします!」


 茉美は真面目な話の途中でピザを注文。マジでクセの塊だな。


「メンバー募集だと言われてきてみたら美味しそうな匂いを漂わせる隠れ家イタリアンのお店じゃないですか。ラップを披露するのはやぶさかではありませんが、本当にアイドルグループなんて作る気があるんですか?」


「当然だ。練習場所はもう確保したよ」


「ドヤ顔で言ってるけど私のお陰だからね〜」


 横から響が茶々を入れてくる。


「ま……まぁそうだけどさ……俺はとある芸能事務所でマネージャーをしていたんだ。それなりにこの手の活動への知見はあるつもりだよ」


「ふぅむ……分かりました」


「それで……本当にラップできるのか?」


「出来ますよ。前にクラスでフリースタイルラップに憧れた男子達がいたんですよ。全員を泣かせました」


 不敵な笑みを浮かべる茉美に「どうぞ」と促す。


「ここで披露するのは店の品位に関わるので……バックヤードに入っても?」


「あ、うん。いいよ。そこの扉から入って」


 響のOKが出たので、俺は茉美と二人でバックヤードに入る。トマト缶や小麦粉の袋が積み上げられた小さな部屋。茉美の目つきが急に鋭くなったことに気づく。


 茉美は目をつむりスッと息を吸う。


「吟じます」


「吟じてくれ」


「おめぇ◆◆の✕✕✕! ●●●●●! ※※が★★★! ■■■? ▲▲▲? ✳✳✳――」


 放送禁止用語の連発。これを店内で披露しないという判断は賢明だし、その良識が彼女に備わっていた事に安心感を覚える。


 一方で俺に向けられた言葉の数々はナイフのように心を切りつけてくる。


 一分間ほど茉美が『吟じた』後、気づくと俺は目から涙を流していた。


 彼女の言葉はただの音ではない。凶器、ナイフ、刃物。そんな言葉がしっくり来る。


「そ……そこまで言うかよ……」


「どうでした? 実力は証明できたかと思いますが」


 その点は申し分無かった。語彙はもう少しマイルドにしてもらうとして、リズム感も良いし声もラップにあった声質を作っていた。


「あ……うん。完璧。よかったらメンバーになってくれると嬉しいよ」


「もとよりそのつもりで来ていますので」


 茉美はそう言うとハンカチを取り出して俺の頬を流れていた涙を拭ってくれた。


「ありがとう、オリゴ糖」


 冗談めかして礼を述べる。


「えぇ、どういたしまして」


「韻を踏んで返してくれよ!?」


 俺のツッコミも虚しく、茉美はニヤリと笑ってバックヤードから出ていく。


 扉の向こうから「ケチョンケチョンにしてやりましたよ。今後ともよろしくお願いします」と茉美が二人に挨拶をする声が聞こえてきたのだった。

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