第2話

 ゴネたところで電車は動かないため、とりあえず外に出ることに。駅の前は同じような寝過ごし難民が数名ウロウロしていた。そして、そんな寝過ごし難民は次々とタクシーに乗って去っていく。


 所持金は2000円。スマホで支払えばいいけれど、仕事をクビになり次の職も当てがない状況。節約を考えたら始発で帰るしかないのか。


 11月の夜は野宿をするには寒すぎる。近くにコンビニがあるようなので歩き始めると、背後から「あのー」と声をかけられた。


 振り向くと、そこに立っていたのはボブカットの女性。黒髪をベースに赤やら青やらのインナーカラーを入れていてオシャレでアンニュイな雰囲気、細身でスタイルが良く、スカウトのためにとりあえず名刺を渡したくなるがもう事務所はクビになったんだった。


「な、なんですか?」


「家、どこですか?」


 どうやらこの人も終電で乗り過ごしてきた人のようだ。


「東京の方です。とりあえず渋谷のあたりまで帰れれば……」


 その女性はぱっと顔を明るくする。


「同じです! タクシー、相乗りしませんか?」


「相乗り……ですか?」


「実は財布にお金が入ってなくて……スマホの充電も切れてるし、カードも持ってないしで代金を払えないんです」


「そしたら俺がただ奢るだけになりますよね!?」


「か、帰ったら返しますから! Peypeyで払いますから!」


 ははーん。この人、こんな感じだから他の人にも警戒されて相乗りを断られたんだな。


 俺が妙に事情を察して黙り込むと女性は更に追撃をしてきた。


「そういえば、家って渋谷の近くなんですか?」


「神泉です」


 女性は目を見開く。


「神泉! 私もです! そこで親が飲食店をやってるんです! 『ムッカ』ってお店、知りませんか?」


「ムッカ……あぁ! 路地裏にある?」


「そうですそうです!」


 少しお高そうな店なので入ったことはないが、確かに家のすぐ近くにあるイタリアンの店だ。


 身近なワードが出たことで妙に警戒心が薄れた気がする。


「それならまぁ……最悪にそこに行けば会えるわけですよね」


「私に会いたいんですか?」


「タクシー代を半額分返してほしいんですよ!」


「アハハ! 冗談ですって。はいはい、乗って乗って」


 女性は話がまとまったとばかりにタクシーを捕まえて後部座席に乗り込む。


「早く早く! 帰りますよ!」


 後部座席から女性が手招きしてくる。慌ただしい人だな、なんて思いながら俺も後部座席に乗り込むのだった。


 ◆


「えぇ!? タメなん!? 黒子〜早く言ってよ〜」


 帰りの車内、25歳とは思えないくらいにおばさんくさく俺の肩をペシペシと叩いてくるのは終電で僻地にやってきた仲間の女性こと牛尾うしおひびき


「牛尾さん……せめて飲み直すのは家に帰ってからで……」


 響の手にはストロングなチューハイ缶。終電に飛び乗る前に買っていたらしい。


「良いじゃんか〜。響って呼べよ〜」


 酒臭い息を吹きかけながら響が顔を近づけてくる。


 この人の絡みはダルい。ただただダルい。


「そういえば黒子は何で乗り過ごして来たん?」


「飲み過ぎかな」


「うわぁ……いい歳こいて何してるんだか」


「響に言われたくないな!?」


「アッハッハ! 確かに!」


 ケラケラと笑いながら響は背もたれに身体を預けて息を吐く。真横から見ると鼻も高くかなりの美女だということを改めて認識する。


 そんな俺の視線に気づいた響はこっちを見て首を傾げる。


「何?」


「あー……いや、なんでも」


「セクハラしそうな視線だったぞ〜」


「うっ……」


 本人に悪気はないんだろうけど、さすがに今日セクハラ疑惑で事務所を首になったばかりなので堪える。


「あ、ご、ごめん! 冗談のつもりで……」


「まぁ普段なら受け流せるんだけどさ。今日はたまたま……」


「なになに? 何があったの? 話してみ?」


「今日会ったばかりの人に話すことじゃないよ」


 俺がやんわりと断ると、直後、頬に生温い缶の感触があった。


 横を見ると、それが新品の缶チューハイを俺の頬に押し当ててきているんだと分かった。既に室温と同じくらいの冷たさになっている。


「電車に乗る前に買ったんだ。旅の仲間を分け与えるんだから話してみなよぉ」


 呼び水となる酒。それを受け取ってプルタブを引くとプシュッと音がした。


 一口飲むとすぐに気が大きくなってきて、今日あったことを洗いざらい話し始めてしまう。当然、個人や会社の名前は伏せつつだけど。


 最後まで話しを聞いた響は「告発しちゃいなよ。SNSで」と何とも乱暴で無責任な提案をしてきた。


「告発ぅ?」


「そ。だってやられっぱなしはシャクじゃん? クビになった無敵の人が出来るカウンターパンチなんてSNSで告発するくらいしかなくない?」


 随分とロックな思想の持ち主らしい。


「それはしないよ。悲しむ人が出るから。そりゃハラスメントをでっち上げた人も、それを是とした社長も憎いけど、影響を受ける人がたくさんいる。関係ないのに仕事を失う人だっている。俺だけが飲み込めばいいんだったらそれも仕方ないよ」


「なーんか……名前通りだね」


「何が?」


「黒子。自己犠牲もいいけどさ、もう少し自分の利益を考えてもいいんじゃないの? で、これからどうするわけ? ニート?」


「うーん……何も考えて……無くもないかな」


「そうなん?」


「まぁ……まだボヤーっとしてるけど」


「そっか。じゃあ決まったら教えに来てよ。『ムッカ』で待ってるからさ。あ、今度ご飯食べにおいでよ。奢るよ〜?」


「その前に今日のタクシー代を請求しに行くからな」


「わ、覚えてたんだ」


「忘れるわけ無いだろ!? まだ乗ってるんだから!」


「アッハッハ! 受ける〜!」


 酔っ払ってゲラゲラと笑う響の声は名前負けせず車内によく響く。それは天性の声質と日頃の訓練が噛み合って織りなされているものだとすぐに分かった。


 ボヤーっとしている俺の『やりたいこと』。そこに彼女はハマるかもしれない。ふとそんなことを思いながらひんやりとした窓に頬をつけ、車窓からの真っ暗な景色を眺めるのだった。

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