ストップ

見切り発車P

本文

 例えば高校からの帰り道。いつものように友人のタカトシと、いつものように歩道を横広がりになって歩く。代わり映えのしない話題。先生の悪口。近づいているテスト。ハルヒさんのおっぱい。そんなどうでもいい日常に、突然巡回バスが飛び込んできて、しかもそのバスの前には、僕らと同じ高校の制服の女子。女子の命は危ない。しかし一手でもミスれば、危ないのは僕らの命だ。そんなとき、あなたならどうするだろう?

 僕はこうする。手をやや斜め前方に挙げ、やや前傾姿勢で、

「ちょ、待てよ!」

 と叫ぶ。

 すると、巡回バスは女子の前で止まり、女子は巡回バスの前で立ち止まり、タカトシは僕の横で立ち止まる。僕は、『時の止まっている』バスの運転席を見る。年配の運転手は、僕を見ているが、見ていない。目は虚ろで、口は半開きだ。これは『時が止まっている』からというよりも、てんかんか何かの発作のようだ。時が動き出したら、バスのほうにもケアが必要だろう。今は、僕は女子の手を取り、引っ張る。『時が止まっている』女子は動かないが、運動エネルギーが蓄積されているはずだ。今の『ちょ、待てよ!』だと、おそらく10秒ほど時は止まる。つまり、そろそろだ。

 ゴォーというエンジン音、遅れて、キキーというブレーキ音。音が復活したことで、僕は時が動き出したのを感じる。同じ高校の女子は僕がさっき引っ張った方向にふっとばされ、歩道の白線のあたりで転んでいる。

「えっ、おい、今のなんだ、ヤバかったな!」

 タカトシが動揺しながら僕らの方に駆けてくる。そのさらに向こうで、バスが安全に停車したのを確認。

「……ミツキさん、だっけ? 大丈夫か?」

 僕は女子に声をかける。ミツキはその女子の名前だ。昼休みにはいつも机で本を読んでいるような、地味な女子。ユニクロのジーンズのように痩せている。好きな人は好きなタイプだ。

「大丈夫だけど、あの、今、何が……?」

「いきなりバスが突っ込んできてさ、いきなりトキオがバスの前にワープしたんだ」

 タカトシが口角泡を飛ばした。

「いや、思いっきり走っただけ」

「思いっきり走った?」

「うん、思いっきり走った」

 タカトシは納得いかなそうだったが、『目撃者』はこいつだけ。なんとかごまかせるだろう。


*


 そしてごまかした。

 ミツキも運転手も周りを見る余裕はなかったし、タカトシも最後には折れてくれた。つまり、『思いっきり走った』説を信じてくれた。警察も来たが、通りいっぺんのことだけを聞いてすぐ帰してくれた。

「君には感謝状が出るかもね」

 と、警察官は言った。

 僕は言う。

「当たり前のことをしただけです」

 と。

 本当は全然当たり前じゃないが。時を止める能力なんて、少なくとも現実世界では当たり前ではない。

 でも僕はある時この能力に目覚めた。

 あれは二学期のころ、タカトシがどうでもいいジョークを言った時だった。僕はタカトシに対して、「いい加減にしろ」とツッコミを入れた。すると、一瞬の後、タカトシの動きは止まっていた。タカトシだけではない。周囲の生徒たちも、教師も、グラウンドのバスケットボールが跳ねる音も、全部止まっていた。

 そして『時は動き出す』。タカトシは懲りずにジョークを言い続け、周囲の生徒たちは笑いあい、教師はやれやれと肩をすくめ、バスケットボールは跳ねた。

 どうやら時を止めることができるらしいと、気づいたのはその時だ。

 『いい加減にしろ』でも『ちょ、待てよ』でも何でもいいが、とにかく、僕が何か静止の言葉を発すると、時はそれを、自分への命令と勘違いして、止まる。語気が鋭いほど止まる時間が長い。止まっている間は、僕のみが動くことができる。それ以外のものは、動かない。正確には光や空気は動いてるのか? その辺はファジーに処理されているようだ。とにかく、時が止まったっぽい状態になる。

 僕はこの能力を『ストップ! イン・ザ・ネーム・オヴ・ラヴ』と名付けたが、やがて縮んでただ『ストップ』と呼ぶようになった。誰にも名前を話す機会が無いのだから、長い名前の意味がないのだ。

 そう、僕はこの能力を秘密にしている。少なくとも、『ミッション・インポッシブル』略して『ミッション』をこなすまでは。


*


 『ミッション』は単純だが、奥が深い。『ミッション』に必要なものはいくつかある。

 知恵――例えば、時が止まっているときにスマホは動くのか、といった予備知識。

 幸運――ちょうどハルヒさんが所定の場所にいないといけない。

 勇気――いざ実践となると、やはり勇気が必要だ。

 その3つが揃った時、僕は『女湯』に突入するッ!

 『ミッション』の概要は、ハルヒさんが銭湯を利用しているときに、時を止め(5分くらいは止めなくてはならないのではなかろうか)、女湯に突入して、ハルヒさんを撮影する、というものだ。

 ハルヒさんはここ最近、銭湯を利用している。家のガスが止まっただか壊れただかのせいだということで、そのこと自体は秘密でもなんでもない。

 ここでハルヒさんについて解説しておこう。ハルヒさんは僕のクラスメイトで、やや赤みを帯びた茶色い髪を、ポニーテールにしている。優しい性格で、いつも笑顔だ。まるで春の日差しのような女の子なのだ。あとおっぱいが大きい。

 僕に限らず、ハルヒさんのことが好きな男子は数多い。しかしハルヒさんは優しく、笑顔でありながら、『フラグ・クラッシャー』の異名も持つ。つまり、告白されそうになるとするりと逃げるというもっぱらの評判だ。

 おそらく僕やタカトシが告白しても、やはりさらりとかわされるだけだろう。だから、僕は『ミッション』を決行することにしたのだ。


*


 ある澄んだ空気の夜、ハルヒさんは住んでいるアパートの階段を、コツコツと下りた。ああ、なんという甘美な響きだろう。僕も踏んでほしい。

 じゃなかった。僕はハルヒさんの背後で、尾行を開始した。銭湯までの300メートルの長かったこと。

 ハルヒさんはとうとう、銭湯の入り口にたどり着いた。僕は自分も客であるようなそうでもないような感じ、有り体に言えば怪しい感じで、そのへんに立っていた。

 ……そろそろか? 女子の着替えの時間はよく分からないが、脱ぐだけならそんなに時間はかからないだろう。つまり、そろそろか?

 僕の心臓は爆発しそうだった。僕は全身これ肺であるかのごとく空気を吸うと、大声で叫んだ。

「『ちょ、待てよ!』」

 時が止まった。止まったこと自体は、さっきから鳴いていた松虫の声が、聞こえなくなったことで明らかだ。こうなったらもう猶予は少ない。僕は銭湯に入り、止まっている番台のおばあさんをちらりと見ると、女湯の方へと走った。

 そして、脱衣所に入り……、入り?

 体が、動かない。

 この症状は初体験だが、妙に覚えがある。まさか……?

「私が時を止めました。時止め能力は『上書き』され、今は私のみが動ける状態なのです」

 ハルヒさんの声がした。僕の視界の端の方に、確かに赤茶色のポニーテールがある。視線を向けたいが、向けられない。

 ハルヒさんのほうから向かってきてくれた。ハルヒさんは『時坂高校』と書かれたジャージを着ていて、その胸のあたりには『春日』とプリントされていた。

「あなたの能力のことは、しばらく前から把握していました。バスを止めてミツキさんを助けたり、良いことに使っているようなので放置していましたが……」

 そのときのハルヒさんの表情は忘れられない。いつもニコニコしているハルヒさんが、本気で軽蔑している。気味悪がっている。ある意味ご褒美……、じゃなくて、僕は恥ずかしさに震えそうになった(が、動かなかった)。

「まさか、お風呂に入っているところを撮影しようとするとは思いませんでした。これは看過できません。私は上級エスパーとして、あなたを罰さねばなりません」

「ば、ばばばば」

 体の自由が効かず、それ以上は喋れなかった。

「今時を止めているのは私ですが、その前にトキオさん、あなたが時を止めていましたね。つまり今、この世界の時間は二重に止まっている状態にあります。私はこれから能力を解除しますが、あなたの能力を解除はさせません。『能力の解除能力』をあなたから奪います」

 そういうと、ハルヒさんは僕の頬に手をやり、ズキュゥゥゥンという勢いでキスをした。僕にとっては初めてのキスだ。しかし喜んでいる場合ではなさそうだった。

「これで、あなたは『能力の解除能力』を失いました。つまりあなたにとって、もう時は動き出しません。『時の止まった世界』で無限に生きてください。では、私はお風呂に入ってきます」

 ハルヒさんはそういうと、後ろを向いた。そこでハルヒさんの動きは止まった。つまり、『僕の』時止めが効果を発揮して、ハルヒさんの時止めは解除されたのだ。

 同時に僕は体から力が抜けるのを感じた。僕は動けるようになった。時の止まっている世界で、僕一人だけが動けるのだ。ただ、いつまで経っても、解除はされなかった。

「そ、そんな……!」

 『ストップ! イン・ザ・ネーム・オヴ・ラヴ』の発動時間がもっと長かったら楽しいだろうなと、今までにも思わなかったわけでは無い。ただそれも、あくまでいずれは解除されるだろうという前提があっての話だ。

 しかし、その前提はキスによって砕かれた。

「ハルヒさん、ごめんなさい、二度としません!」

 僕は目の前で止まっているハルヒさんに謝ったが、『時の止まっている』ハルヒさんは許してはくれなかった。


*


 一人で生きていくことになった。

 僕は半分呆然としながら、家のドアを開け……、ドアが開かないことに気づいた。ドアも止まっているのだ。

 まずいんじゃないか、これ。食べ物とかどうなってしまうんだろう。確かに、今のところは喉も渇いていないし、お腹も空いていない。時が止まっている間は食べなくていいということなんだろうか。

 僕はドアを叩いた。何度も叩いた。最後には蹴った。しかしドアは無反応だ。正確に言うと運動エネルギーが蓄積はされているが、ドアが開くのは、時が動き出したときだけだ。

「ちょっと罪に対して、罰が重すぎるんじゃないか? 覗きは犯罪だけどさ……」

 僕はつぶやいた。しかし、誰も聞いていない。

 僕は夜の街をさまよい歩いた。たまにドアが開けっ放しになっていたり、たまたま客が通っているタイミングだったりで、店に入ることができる場合もあるのでは? あった。3キロほど歩いた先のファミマが、ちょうど自動ドアが半開きだった。僕は体を折りたたんで強引に店に入った。

 店内も止まっている。変な感じだ。あのメロディも鳴らなかった。

 店員はちょうど什器に肉まんを入れるところだった。ラッキーだ。僕はその肉まんを奪い取ろうとして……、奪い取れなかった。肉まんも固まっていて動かない。僕はしかたなく、肉まんに直接口をつけた。店員の手で食べさせてもらっているような、変な体勢だ。固い。そして氷のように冷たい。僕は食べるのを諦めた。泣きたくなった。

 僕は店を出て、あてどもなく歩いた。少し小高い丘の上から、夜の街を見回した。たくさんの街灯と、たくさんの車と、たくさんの家の灯り。それらはすべて、人間が作り上げたものだ。そして僕だけが、その世界から悲しく超越していた。


*


 僕は自分の家の近くまで戻ってきたが、やはりドアは開かなかった。ハルヒさんのアパートを通り過ぎて、銭湯に入る。ハルヒさんはやはりそこにいて、固まっていて動かなかった。あとやっぱりおっぱいが大きかった。

「ハルヒさん、ごめんなさい」

 僕はそう言って、頭を下げた。すると、衣擦れのような音がして、ハルヒさんが瞬きを始めた。

「思ったより早く音を上げましたね」

 ハルヒさんはそう言うと、悪魔のように笑った。あれ? ハルヒさんは天使キャラじゃ……?

「僕の能力を解除してください、お願いします」

 僕はそう言うと、さらに深く頭を下げた。

「残念ながら、あなたの『解除能力』は永久に失われました。しかしまだある一つの可能性には、賭けてみる価値はあるかもしれません」

「それは、いったい……?」

「あなたの能力は、『時を止める』能力でしたね。しかし、時を止めるということは、時にマイナスの『運動エネルギー』を与えるということ。つまり、あなたの能力は『運動エネルギーを与える』能力でもあるのです」

「何を言ってるんです?」

「まあ聞きなさい。あなたは、時を止めることができる。今まで、時を止めるときには、『ちょ、待てよ』とかそういうセリフを媒介に、時に『マイナスの運動エネルギー』を与えていました。今度は逆に、『プラスの運動エネルギー』を与えてみるのです」

「プラスの運動エネルギー……?」

「そう。例えば『行け!』とか『進め!』とか、そういうセリフを媒介に、時に『プラスの運動エネルギー』を与えるのです。練習すればたぶんできますよ。たぶんね」

 ハルヒさんはそう言うと、再び物言わぬハルヒさんに戻った。

 僕は練習するしかなかった。

「『行け!』」

 僕はそう言ってみた。しかしハルヒさんも、周囲の人間も、動かなかった。

「『進め!』」

 僕は声を限りに叫んだ。しかし何も動かない。時が止まっているから疲れはあまりないが、精神的に疲れてきた。

 僕は思いつくままに叫んだ。元の世界に戻りたい。ハルヒさんやタカトシや、ミツキやなんかがいる元の世界に。

「『行け!』『超えろ!』『ゴー!』『進め!』『ホップ!』『ステップ!』『スタート!』」

 僕は叫び続けた。

 その時、背後からおばさんの声が聞こえた。

「あのー、何を叫んでいるんですか」

 僕は振り返った。おばさんは、動いていた。僕のことを心底気味悪そうに見つめていた。

 おばさんと手を繋いでいる幼女は、動いていた。しかし動きは最低限に、僕のことを初めて見る興味深い存在であるかのように見つめていた。

 僕は、『時の止まっている世界』から、『時の動いている世界』に戻ったのだ。

「失礼します!」

 僕は大急ぎで銭湯を出た。女湯の前で何やら叫んでいる怪しい男子高校生が通報される前に。


*


「だからさ、僕は、『時を止める』能力者だったんだ。いや、その能力自体は、まだ存在しているはず」

 明くる日の教室。僕はタカトシに対して自慢げにそう主張した。

「へえ、じゃあ、時を止めてみてよ」

 タカトシの当然の要求を、僕はスルーした。

「やめておこう。一度時を止めてしまうと、戻せなくなる可能性がある。『スタート』といえばまた動き出すはずだけど、成功するとは限らないからね」

「証拠がないんじゃ、信じるわけにはいかないな〜」

 タカトシがニヤニヤしながら言った。つい1週間ほど前は、僕が『思いっきり走った』というのを信じていなかったのに、今は真逆だ。

「信じるよ」

 突然、教室の隅から声がした。僕は振り返った。ミツキが、僕を見つめていた。

「信じる。トキオくんは時を止められるって」

 ミツキはそう言うと、照れたように笑った。僕の中で何かが終わって、何かがスタートしたのは、その時だった。

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