後宮のうえで 月は囁く

甘月鈴音

第1話

 光が降りていた。一筋の淡い金色の月光は後宮に咲いている月下花げっかばなの花畑を照らす。


 しゃらりと夜風が吹くと、ピンクの花々が気持ちよさそうに頭を揺らした。


 そこにひとりの三つ編みをした、薄汚れた衣を着た痩せた少女が立っていた。


背には大きな竹のかご。少女は満月の夜にしか咲かない月下花の花びらを、ひとつ摘んで篭に入れる。


花はこの国では后になれる花と信じられ、お茶として毎日飲むのが習わしであった。


──嬉しい。


 れん 紅葉もみじは天を仰ぎ嬉しさから微笑んだ。

 今夜は満月。満月の夜は月人つきびとである朔夜さくやと話すことが出来る日だ。


「だいぶ下界は寒くなってきましたけど、月はどうですか?」

「夏も終わるから、こっちも冷えてきた。紅葉は今日もひとりで花茶はなちゃ摘みかい」


 苦笑いして紅葉は誤魔化した。いつものことだが、腹違いの妹の嫌がらせで、今日も茶摘みをひとりでやらされていた。


「まったく紅葉も同じ後宮の妃なんだ。言い成りになる必要なんてないだろう」

「そうなんだけど……身分低いし」


「妹もだろう。それに低いと言っても中級だろ。そんな扱いされるような立場じゃない。それに妹の仕事も全部、紅葉がひとりで引き受けているだろう」


 ここ月輪国げつりんこく天上人てんじょうびとである月人つきびとの配下であった。


その下界の後宮には上級妃(四人)中級妃(九人)下級妃(二十七人)と四段階に分かれ、その頂点に皇后がいた。下働きの女官を加えれば千人ほど。


上級妃以外の妃には仕事があり、宴の準備や衣類関係の管理などが振り分けれれている。


「ちゃんと寝れてるのか? 茶摘みをひとりでなんて徹夜するつもりなんだろう」


 朔夜の言葉に紅葉はぐうの音も出ず、へらりと笑い「でも」と言った。


「そのおかげで私は朔夜とこうしてお喋りができるわ。朔夜も私に付き合って朝方までお喋りしてくれるんでしょう」

「まあ……それが仕事だからな」


 朔夜は月にある宮殿で働いている皇帝の側近で、ここ、後宮の様子を魔法を使って満月の夜に下界を視察している。満月の夜が最も力が発揮されるからだ。


「初めて朔夜から声をかけられたときは驚いたわ。だって月の光から声がするのだもの」


 十一歳で後宮入りしたあの日。ちょうど満月で、妹とその側近たちは嘲笑いながら、真夜中にたったひとりで後宮の片隅に咲いている漣家の花畑に行けと紅葉に命じた。


女官を付けることも許されず、花を燃やしては大変だと、妹たちは紅葉に灯りになるものは一切渡さなかった。


慣れない場所に後宮の広さ、暗い竹林に風が揺れると足がすくみ恐怖で紅葉は泣いてしまった。


震えながらも花畑に行き、ふくろうの不気味な声を聞きながら月明かりを頼りに月下花を摘んでいた。


『どうして泣いてるの』


 月夜の光がいきなり一筋伸び、花畑を照らすと男の人の声が響いた。驚いて顔をあげる。月光が紅葉を照らす。


『誰?』

『俺は朔夜。月の住人だ』


 それが朔夜との出会い。以来。満月の夜はこうして朔夜と話すようになった。


 なので紅葉は朔夜の顔は知らなかった。


 紅葉は前妻の子供だった。実の母を病気で亡くし悲しんでいると、すぐにお腹に子供を宿した後妻が訪れた。紅葉がまだ三歳のときだった。


最初は優しかった後妻だが子が産まれると紅葉に冷たくなった。


気がつけば、自分の部屋を奪われ、召し使いの部屋に移され、同じように仕事をやらされた。


 それが、どういうわけか、後宮に呼ばることになり、紅葉は入ることを決意する。


当然、後妻の妨害を受ける。


我が子の方が相応しいと主張するが許されず、ならばと、我が子と共に後宮入をするように手配し紅葉の入内が決まった。


 これで嫌がらせが無くなる、と思ったのだか、後妻は根回しして、妹の女官を懐柔し、側にいなくても紅葉を見張り気に入らないことがあれば、ご飯抜きや、いびりや、虐めが増すことになったのだ。


「──早いですね。朔夜と出会ってそろそろ四年だわ」


 さぁっと風が舞い、紅葉の髪がなびく。月夜に浮かぶ後宮が神々しく聳え立つ。


──ずっと満月が出ていればいいのに。


 この時間だけが紅葉の癒やしだった。次の満月は29日後。朔夜は紅葉にとって初めてのお友達。


この場所で初めて朔夜に遭遇してからずっと紅葉の心を支えたのはこの月人だった。


──今さえあれば幸せ。


 この静かな時間があれば紅葉はなにもいらなかった。


「そう言えば月下夜げっかやの宴が来月にあるでしょう。後宮ではその話題で持ち切りなのよ」

「へぇー」


 神無月の上旬に宴が行われる。月の皇帝の18歳になる月下夜の宴茶会で皇后候補が本格的に決まることになった。


その日は皇帝自ら下界に降りられる。そのため後宮中では気に入られるため躍起になっていた。


特に皇帝に献上する物を何にするかと頭を悩ましていた。


「皇帝のお顔も拝見したことないから、なにが相応しいのかしらって、皆、困り果てているみたい。妹は有名な木彫り師と組紐師に頼んで帯の飾りの根付けを作るって言っていたわ」


「紅葉はなにか用意してるの?」

「妃は全員用意しないといけないのよね……そうね刺繍をした手巾ぐらいなら作れるかも」


「いいと思うよ。きっと喜ばれる。──そうだ。俺から紅葉にプレゼントがあるんだった」

「プレゼント?」

「手を出してごらん」


 紅葉は両手の平を出すと、満月から一粒の雫が落ちてきて、紅葉の手の平に月の雫が転がり煌く。


すぐに硬化して、鎖が現れると、ひとつのペンダントに変じる。


「わぁ、可愛い」

「月の雫のペンダントだよ。月下夜の宴の日に、そのペンダントを首に付けてごらん、そして唇にペンダントを触れさせて」


「唇に? なぜ?」

「……発動条件もあるけど、まぁ、気にしないで」

「?」


 紅葉は小首を傾げた。それでも初めての友達からのプレゼントに紅葉は感動した。


「ありがとう大切にするね。朔夜も宴に来るの?」

「行くよ」


 紅葉に小さな希望が湧く。


──そうだわ。私も朔夜にプレゼントをしよう。朔夜ともっと仲良くなりたい。


 友達にプレゼントなんて初めてで紅葉は意気込んだのだった。

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