02.

 ◇


「わぁ、なんてすごいのかしら……!」


 イルハム国の王都の入り口にて。


 一人の女性が遠くから宮殿を見上げ、感嘆の声を漏らした。


「それに、人もとても活き活きと活動しているわ。……本当、うちとは大違い」


 小さくそう続ける。その後、ポケットの中に入れていた時計を見つめた。


(約束の時刻まで、あと一時間。……なんとか、無事辿り着いたわ)


 ぎゅっと時計を握って、女性――アルティングルは、もう一度宮殿を見上げた。


 真っ白な大理石をふんだんに使用した宮殿は、この国の豊かさを物語っているかのようだった。要所要所にあしらわれた色とりどりの魔法石も、これまた美しい。


 ぼうっと宮殿を見上げていれば、近くから「お嬢ちゃん」と声をかけられる。


 そちらに視線を向ければ、そこには年配の女性がいた。彼女はにっこりと笑って、アルティングルの顔を見つめてくる。


「お嬢ちゃんも、観光客かい?」


 その問いかけに、一瞬だけ言葉に詰まる。……実際は、アルティングルは観光客ではない。


 かといって、ここで正直に答えることもできなかった。ほんの少し視線を彷徨わせた後、誤魔化すように笑う。


「いえ、観光客っていうか、お仕事で用事があって、ここに来たの」

「あぁ、そうなのかい。王都は観光名所だからね。……もしかしたらって、思っちゃってさ」


 ころころと可愛らしく笑った女性は、すぐにうんうんと頷いた。


「ここら辺は本当にいいところだよ。……永住するなら、本当におススメ」

「まぁ」

「私は元々旅の者でね。……お嬢ちゃんみたいに、仕事の一環でこのイルハムの王都に来たんだ」


 何処か懐かしむように、女性が宮殿に視線を向ける。暑苦しいほどの太陽の光を浴びて、きらきらと輝く宮殿はまさにお城だ。


 そう思いつつ、アルティングルは女性の言葉に耳を傾け続ける。


「この国は、本当にいいところさ。……他国にはいろいろと危なっかしいところもあるそうだけれどね。ここは、平和そのもの」

「……そう、なのですね」

「あぁ、それもこれも、全部王室のおかげさ。……しかも、現在の陛下は、それはそれは見た目麗しいお人なのさ」


 ……それは、アルティングルが最も手に入れたかった情報だ。


 そのため、ぐいっと女性に顔を近づける。


「よかったら、王室のこと。教えていただけませんか?」


 いきなり強い興味を示したアルティングルだが、女性は驚くことはない。ただ「まぁまぁ」と宥めるような声をかけてくるだけだ。


「若い女の子は本当に王室のことが好きだねぇ。……まぁ、あれだけ美しい男性なんて、誰もが魅了されて当然か」


 女性がそう言って肩をすくめる。その姿を見つめて、アルティングルは頭を必死に働かせる。


(今のところ、メルレイン陛下のことは、容姿がとてもお美しいこと。それしか、聞けていないものね……)


 先触れを出し、返事はもらった。が、彼が一体どういう性格なのか。そこら辺を、アルティングルはあまり知らない。


「メルレイン陛下は、御年二十六のお人。三年前に先王の崩御に伴い、王位を継いだのさ」

「……それで?」

「性格は合理主義っていう言葉が合うのかねぇ。あとはまぁ、慈悲深くいらっしゃって、国のためならば命をも削ってくださるお方さ」


 その言葉に、アルティングルは息を呑んだ。


 ……国のために命を削る人。だったら、自分の言葉にも少しくらいは耳を傾けてくれるのではないか。


 一抹の希望が、胸の中に芽生える。


「ただ、完璧なお人なんていないんだろうねぇ。メルレイン陛下にも、欠点があるんだよ」

「……欠点、ですか?」


 ここまで民たちに慕われている王なのだ。欠点などないと、アルティングルは勝手に想像していた。


 だって、そうじゃないか。容姿端麗で、人望もある。そんな人に、欠点だなんて……。


「あぁ、メルレイン陛下は、極度の女性嫌いでね。後宮があるにも関わらず、そこにいる美しい女たちには見向きもしないのさ。だから、世継ぎの問題が心配されている」

「……そ、うですか」

「おや。もしかして、お嬢ちゃんも陛下に見初められるという夢を見ていたのかい?」


 ……正しくは、少し違うのだけれど。


 そう言おうかと思ったものの、口から言葉が出ない。ただ、曖昧な笑みを浮かべ続けるだけだ。


「期待するだけ、無駄っていうものだよ。……陛下は、恋愛にうつつを抜かすようなお方じゃないっていうことさ」


 女性が今度はけらけらと笑ってそう言うので、アルティングルも笑う。


 ……少し、頬が引きつったような感覚がするのは、気のせいじゃない。


「あ、じゃあ、私はこれにて失礼するよ。……お姉ちゃん、一応気を付けておきなよ」

「……え、えぇ、わかっています。いろいろと教えてくださって、ありがとうございます」


 ペコリと頭を下げて、アルティングルは女性と別れる。


 風が吹いて、アルティングルのその長い金色の髪がさらりと揺れた。フェイスベールに隠れた桃色の目には、確かな不安が宿っている。


(……私、上手く会談できる……かしら)


 そう思って、ごくりと息を呑んだ。


(けど、これは必要なことだもの。……民たちを守れるのは、私しかいない)


 自分自身にそんな風に言い聞かせて、一旦深呼吸。砂埃が舞う空間を、アルティングルは前に進む。


「私は、ナウファルの皇女だもの。……民を守るのが、務めよ」


 アルティングルは、小さくそう呟いた。

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