慶應商学部を制覇するヤンキーの話

おいも

第1話

「ここがK.O.か––––––」


 横浜駅から東横線に乗り換えて10数分。日吉駅の改札を出た先、横断歩道を渡ったすぐのところの門の前に、一人の青年が立っていた。


 彼の名前は西山紅蓮。両親は共に北九州の出身で、父が暴走族の棟梁、母はレディースの頭。伸び切った襟足と逆立たせた学ランの襟が映える、生粋のヤンキーである。


 そんな波瀾万丈な経歴を持つ彼がなぜ慶應義塾大学日吉キャンパスの門前にいるのか。その発端は数ヶ月前に遡る––––––



 ・・・


「K.O.高校ゥ?なんか強そうな名前じゃあねえか!!」

「ちゃいますよ兄貴、慶應でさぁ!」


 街中で見かけた塾校の部活帰りの生徒が身につけていたスポーツバッグを見て、紅蓮は慶應に興味を持った。「KEIO」その中に含まれている二文字のアルファベットは、格闘技が共通の趣味だった西山家においても確認された文字なのであった。


 舎弟のケンジに訂正されるもその指摘の意義が紅蓮には分からず。ただ「格好良い」学校が存在するという事実だけが紅蓮の脳内には刻まれた。


「なぁおいケンジ、あのK.O.ってのは今から通えんのか」

「一応兄貴は高三ですし、大学に出願するという選択肢もあるにはありやすが……」


 ケンジは不良の舎弟をしている割に受験事情を掌握していた。幸か不幸か、紅蓮はケンジの知恵によってK.O.には高校だけでなく大学が存在すること、そしてその大学へは出願書類を出すことで入学試験を受けられること。などを知った。


 そう、と決まってからの紅蓮の動きは迅速の一言であった。校長を脅し卒業見込みの確約を得たのち、調査書並びに出願書類を作成し郵送する。紅蓮が慶應の存在に気づいたのは一月半ばであったため、まだかろうじて出願に間に合ったのだ。



 そして試験当日。

 彼はケンジに「これは絶対要るんで持ってくんすよ!!!」と言われた受験票、鉛筆、消しゴムを片手に慶應義塾大学へ「入学試験カチコミ」を仕掛けたのである。


 最初の科目は社会であった。

 紅蓮の選択科目は世界史であったが、今年は例年と比べて異様に長文穴埋めが多かった。紅蓮に長文の内容も、語群の世界史単語の何一つも分かるものではなかったが、「まぁ、塗りゃええんだろ」と適当にマークシートを埋めていった。––––––奇跡的にそれは、平均点を超えていた。


 二つ目の科目は英語だった。

 生まれてこのかた紅蓮は碌に英語に触れたことがなかった。K.O.がKnock Outの略であることすら知らなかったし、不良グループの先輩から受け継いだバイクには「SEKANDO」と刻み込んでいた。二代目を示すsecondの意だったようである。しかしこの試験も文法問題や並び替えのマークシートが多く、紅蓮はまた一心不乱にそれらを埋め進めた。


(塗り漏らすのはなんかダセえよな)


 彼の答案にマークズレという概念は無かった。


 ––––––これは合格者平均点さえもゆうに超えていた。


 最後に課された小論文ばかりは紅蓮も難儀した。マークシートではないがゆえ、しっかりと課題に向き合って返答を紡ぎ出す必要がある。議題は「孔子の『論語』に基づく人生観とそれの現在との照応」––––––。


(孔センじゃねぇか!?)


 紅蓮の家は両親さえも格好良さを突き詰める人たちだった。要するに、「孔子とかいう格好良い人がいたらしい」的なノリで、息子に幼少期から孔子の教えを吹き込むほどであった。(その情報源はYoutubeのまとめ動画やweb上のまとめサイト並の粗悪なものではあったが)

 それが不幸にも(?)幸を奏して、紅蓮は幼い頃から教え込まれた句を引用していくだけで字数を稼ぐことができた。この年の小論文が後々、孔子の原典の知識が求められる史上最悪のクソ問と予備校各所で語られるのは、また別のお話––––––。


 そんなこんなで試験は終わりを迎え、なんやかんやで合格発表日に番号を特別サイトに入力した紅蓮。彼のフィルムのバキバキになったスマホの液晶に映されていたのは、「合格」の赤い2文字であった。



 ・・・


 そんなこんなで、彼、西山紅蓮は慶應義塾大学商学部に入学した。

 そしてこうして今、日吉駅の傍の門の前にて、かつて憧れたK.O.の文字を背負えることに感動しているのである。



「やったぜケンジ……これで俺もK.O.だ……」


 ちなみに舎弟のケンジは不良的素行をするものの裏ではしっかり勉強をしているタチであったため、生粋のヤンキーたる紅蓮が一般入試で合格したと知るや否や卒倒してしまった。


「さて、K.O.の名を冠する奴ら…どんなヤンキーがいるか見物だぜ……!!」



 –––––––––しかし、彼には依然として勘違いがあった。それは勘違いと言うにはあまりに深刻な、超ド級の勘違い。

 西山紅蓮は、慶應義塾大学のことを不良の溜まり場大学だと勘違いしているのである。


 彼の想定では、そこらを見れば日本全国からのヤンキーが闊歩していて。伝説の族長、伝説のスケバン、伝説の喧嘩屋––––––下手に「日本トップクラスの私立大学」という評だけケンジから聞いていたが故に、天下一武闘会のような光景への期待を胸に抱いていたのである。


 しかし彼の期待に反して、周囲を闊歩しているのは慶應ボーイ・慶應ガールのキラキラ大学生たち。長い襟足に学ランという時代錯誤もかくやという服装をした紅蓮を横目に見ながら、スターバックスのフラペチーノを片手に校内へと歩いていく。


「おぉ、あそこにもこっちにも––––––マブいスケばっかじゃねぇか、一体どこの族長のモンだ……?」


 と、慶應のJDに年相応に見惚れていたところで、ふと声がかかる。


「ウェーーーーイ、君いかつい格好してんねぇ、どこの人ォ?もしかして迷っちゃった?どしたん話聞こかぁ?」


 声の主はすぐ後ろからやってきた、軽快な男子学生だった。令和の世には奇抜すぎる紅蓮の格好を見ても何も言わないのは、あまりに突飛すぎてそういうファッションだと思い込んでいるのであろうか。そういう彼はといえば、綺麗に整えた黒髪のマッシュに、前髪を長く下ろし揃え整え、全体的に黒のトップスとボトムスに金色のネックレスを併せた––––––所謂、「どしはな」の装束に身を包んでいた。


「おう、俺はショウ学部所属の西山紅蓮。夜露死苦!」


 ビシィ、と姿勢を正しながら、紅蓮は声量を張って高らかに名乗る。しかしその目線はあくまで男子学生の方を向いていて、眼光鋭くその身なりを観察していた。


(まだこいつが何処の馬の骨かもわかっちゃいねぇからな……こんななんも考えてなさそうなナリと言動をしちゃあいるがもしかしたらどっかの県をシめてた頭かもしれねぇ……。ここはK.O.、油断すると取り殺される––––––!)


「そっかぁ、商学部の紅蓮っちね!商学部はだいたいあっちの号館で授業があるから、あっちにいくと良いよ〜!」


 しかしそんな紅蓮の思惑とは予想外に。ただの大学生にすぎないこの黒髪マッシュの青年はいたって親切に紅蓮が行くべき場所を案内する。


「おおそうか、ありがとよ!こっからも夜露死苦!」


 踵を返して、指し示された西側の校舎へ向かう紅蓮。


(今は大人しく聞いてやるが–––お前の本性、暴き明かした時が楽しみだぜ……)


「うんうん、どういたしまして〜!–––––––––おぉっとおそこのお姉さん、大丈夫?迷ってない?どしたん話聞こかぁ?」



 学ランの背中を見せて校舎の方へ去る紅蓮は校門を後にする。黒髪マッシュの青年はといえばまた次の相手を即座に認識するや否や、話を聞いていく。「どしはな」––––––これが親切か迷惑かは、誰にも分からない。



 ・・・



「––––––––––––おいおい。なんだよ、これは」


 商学部の必修科目を終えて。

 彼の選択言語であるスペイン語のクラスは、スペイン語選択大学生に相応しい/慶應の一年生に相応しい「キラキラ」加減を備えていた。


「これからクラス会ねーーーいく人横浜のまねき集合で」

「えっちょっと待ってBeReal来たんだけどBeReal!!ねぇみんな入ってマジで」

「二次会どうするよ一休?ちばチャン?年確なけりゃどこでもいいけどさぁ」

「いやここはオケオールっしょ明日俺ら1限無いし。みんなどう?異議あるーーー?」


「「「異議なーーーし」」」


 数コマの授業を終えて、放課された折。既に一日の生活を終えて、紅蓮が察するに余りある「大学生」加減––––––つまるところ、鈍感極まりない紅蓮であっても薄々勘付き始めたのである。ここは不良の学校では無い、と。


(おいおいなんでだよ……お前らK.O.じゃねぇのか?どうしちまったんだよ……)


 世間一般と照らし合わせて、実際どうかしてるのは紅蓮の方であるのはさておき。


「ウェーーーーイ!西山くん、だよね?西山くんも来るでしょ?クラス会!」


「お、おう…」


「おけ!じゃこの後横浜駅西口集合ね!ウェーーーーイ!!」


 陽気な男子学生が紅蓮の座っていた机を去ったところで、紅蓮も虚ろに席を立ち上がる。持ってきていた荷物もそのままに、教室から廊下へ出て外へ向かう扉を探す。


(お、おかしい………てっきり不良だらけの学校だと思っちゃいたが……これじゃ只のパンピーの学校じゃねえか)


 –––––––––その通りである。


 とぼとぼと日吉キャンパスの構内を彷徨う紅蓮の脇を、愉快そうに笑う学生たちが通りがかる。

 彼ら彼女らが手に抱えているのは勿論ヤンキーがかかえるようなバット、煙草……などのそれではなく。最新版のノートpc、二外の教科書。家でプリントした講義のレジュメや、その反対の手には喫茶店から持ち帰ったコーヒー等々。


 あからさまに「違う」世界に立ち入ったことを、さしもの紅蓮といえども認識し始めているところだった。


 購買の近くを通り過ぎたところで、紅蓮に向かって手を振り、声をかける女子学生の姿があった。


「西山くん!お疲れ様。今日のクラス会くるよね?」

「ああ、あぁ……」


 彼と同じクラスで必修も被っている女子、平井静香であった。

 同じクラスである紅蓮を目視すれば、屈託のない笑顔で話しかける。たとえ紅蓮の格好が奇抜であってもそこに分け隔ては無く、区別無しに満面の笑で語りかける。


(静香嬢––––––授業で見た時から思っちゃいたが、なんてマブいスケなんだ––––––)


「よかった、じゃあまたね!」

「おう、夜露死苦……」


 友達と並んで、平井静香はそのまま校舎の方向へと楽しそうに並び歩んでいく。


 残された紅蓮はといえば、しばしの放心––––––平井静香が去っていった方角を、ぼんやりと眺めている。


(静香嬢……いや、あの娘だけじゃねぇ。クラスの他の連中も、正門であった怪しげな黒男だってそうさ。こんなパンピーらしからぬ格好をしている俺にだって普通に接してくれている……)


 西山紅蓮には思うところがあった。確かにこの学校は自分が想定していたような学校では無かった。しかしそう思っているのは自分だけ。周囲の学生らは一年生として、実りある未来があることに期待して楽しく過ごそうとしている––––––その中途にいる、紅蓮というヤンキーすらも掬い上げて。


(どうにかするべきは、俺の方なのかもしれねえな。あいつらの好意も無下にはできねえ。––––––このK.O.の優しい奴らのためにも…)


 ––––––紅蓮の意は決した。

 西山紅蓮……彼が今なお保つヤンキーという属性は、今を以て放棄する。


「あぁそうさ、俺は今から元ヤンの西山紅蓮。このK.O.の心優しい友のために––––––この拳はもう、捨てるぜ………」


 心機一転、パンピーとして過ごしていくことを決めた紅蓮は先ほどより軽い足取りでクラスの皆がいた教室へと向かう。

 購買付近の道を曲がり、銀杏の木が立ち並ぶ大通りに出かけたところで––––––



 ––––––それは、聞こえた。



「なぁオイお前金持ってんだろ?早く財、布、寄越せやテメェ!」

「ったく、こんなに、蹴り飛ばしても、なんで渡さねぇかなぁ、オメエは!」


「う、うぐ、うぐぅううううっ」



 銀杏立ち並ぶ大通りの、その脇。

 大きな校舎と校舎の狭間にできた薄暗い空間にて、そのカツアゲは行われていた。


 虐げられている側はメガネをかけた、小柄な男子学生。気弱そうなところにつけ込まれたのか、発色ハッキリとした金髪とチャラついたピアスの男子学生数人に蹴られ、殴られ––––––の繰り返し。


「––––––なぁおい、お前ら」


 気づけば紅蓮は、カツアゲの現場に降り立っていた。先ほど放棄を宣言したはずの拳は、あまりの力に白く変色するほどに握りしめられている。


「なんだァ、テメェっ!?」

「お前も同じ目にあいてえのか!」


 虐めている側の目線––––––照準の矛先が紅蓮に移り変わったのが認識される。パキ、ポキと拳を鳴らして威嚇するも、紅蓮は意に介さずと言った様子で静かに続ける。


「そいつは俺の同クラの小嶋くんだ………授業初日だってぇのに筆記用具はおろか教科書さえ忘れた俺に優しく貸してくれた––––––」


 ––––––怒り。

 西山紅蓮が真正の怒りを抱くのはあまり普通のことでは無かった。たとえ自分が貶されたり、挑発されてもそれはイラっとするだけ。彼の今までのヤンキー人生において、「怒り」を抱いたのは毎度、そう–––––––––


ダチ」を侮辱された時に限るのである。


「心優しい奴らばかりとK.O.は思っちゃいたがヨォ!お前らみてえなカスがいるとは思わなかったぜ……!」


 そして立ち並ぶ男子生徒たちを目前にして、上着を脱ぎ捨てて高らかに宣言する。その雄叫びはかつて何度も––––––「西高の閻魔」、西山紅蓮が抗争の際に突きつけた死刑宣告である。


「かかってこいや………クズども!」




 ・・・



「ハァ、ハァ、ハァ––––––––––––」


 数分の後。

 その空間に立って残っていたのはただ一人。西山紅蓮その男だけだった。

 使い慣れた拳骨は悪漢を的確に殴打せしめ、周囲には気絶した彼らが横たわっている。



「す、すごいや西山くん。ヤンキーみたいな格好だとは思っていたけど、本当に強いなんて………」


「ハァ、ハァ……。『ダチ』を守るためならこれくらい、安いもんだぜ………」


 先ほど虐められていた学生、小嶋学人は蹴られ殴られた跡をさすりながら、西山紅蓮の実力に感嘆する。

 ––––––そして同時に、これまでに危惧していたことを呟いていく。


「––––––でもね紅蓮くん。これだけじゃあ、ダメなんだ………」

「ダメって、どういうこったよ」


 小嶋は、目線を落として続ける。

 ただ一つ、喧騒を片付けただけでは終わらない。慶應商学部、そして慶應義塾大学に蔓延る悪辣の因子の話–––––––––。


「この慶應商学部には大きな派閥として、一般、指定校、AO、高入––––––そして幼稚舎がある。指定校の僕を虐めていたこいつらは多分一般組さ」


「……一番強いのは幼稚舎のグループ。でもそれだけじゃあない。商学部の更に上、法学部、経済学部………湘南を牛耳っているSFCも最近勢力を増しているみたいなんだ」


「–––––––––本当にごめん、紅蓮くん!僕のせいで他のグループに目をつけられてしまったかもしれない!このままでは商学部幼稚舎連中、法学部一般連中……均衡が崩れた今、今まで息を潜めていたあいつらが出てくるかも……」


 小嶋は、その傷だらけの体を必死に下げて紅蓮に謝る。––––––その身体は震えている。今までに虐げられていた実体験、その全てが自分を救ってくれた友人に降りかかると思うと、涙さえも禁じ得ない。


 しかし西山紅蓮は至って普通な様子で––––––笑って、小嶋の肩に手をやる。


「なぁに、安心しろや。西高の閻魔……この俺はそうヤワなことじゃ負けはしねえ」

「紅蓮くん………」



「この学校のテッペンってやつを教えてくれや、小嶋」

「テッペン––––––定義は難しいけど、多分『三田会』………日本経済を裏で牛耳る『三田会』のトップが、この学校の頂点だと思う」


『三田会』––––––。

 慶應義塾の派閥のその頂点たる存在を告げる、小嶋。しかし西山紅蓮には一切、臆する気配は見られない。


「いいねぇ、暴走族らしい名前じゃねえか!沸るぜ、『三田会』のテッペンの座を取りに、出発デッパツだァ!!」

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慶應商学部を制覇するヤンキーの話 おいも @oimohgn

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