ミカンちゃんとお餅ちゃん

ゴオルド

鏡餅を目指す

 博多の魔女、そんなふうに呼ばれるようになって、もう何年だろう。女子高生のころはすでにそう呼ばれていたような気がする。


 基本なんにでも明太マヨネーズをかけるというだけのことなのだ。もともと博多とは縁もゆかりもない人間だ。私は福岡県福岡市南区の人間なのであって、福岡県福岡市博多区の人間ではないのである。

 しかし、人は私を博多の魔女と呼ぶし、いつしか私もそう名乗るようになった。


 二十代後半となった今、私は地元のピザ屋で働きながら、何にでも明太マヨネーズをかけつつ、おもに深夜帯には博多の魔女と呼ばれている。



 ある日の早朝、そんな魔女の私のところに、一人の男が訪ねてきた。私がインスタにアップしている画像を見て、うちの住所を特定したらしい。

「どもー。スパゲティ栗下でーす」


 なんだ、こいつ。

 それが栗下に対する私の第一印象だ。

 ファーストインパクトが消えた後には、腹立ちが残った。


「あんたはお笑い芸人……いや、お笑いを目指しているが芽が出ないまま10年たったって感じの人やな」

「えっ、あ、はい、そのとおりです……」

 人の良さそうな顔をした30過ぎの垢抜けない男、栗下はしゅんとなった。

「私、舞台で最初の言葉が「どもー」の芸人、嫌いなんよ」

「あ、はい……」

「そんで、スパゲティ栗下でーすのこの「でーす」の芸人も嫌いなんよ。あんた落語って聞いたことある?」

「え、まあ、多少はある、かな……?」

 さっきから栗下は目を白黒させてばかりだ。

「じゃあ、わかるよな。噺家は最初の一言をおろそかにせん。客はそれを知っているから固唾をのんで噺家の口元を見つめる。なあ、そうやろうもん。だからこそ、客はすっと話に耳を持っていかれるわけ。あれが芸ってもんやん。さっきのあんた、どもー、でーすって、ほかの芸人がやってるのをまんま真似てるだけ、なんか流れで言ってるだけやん。どもーって言いたいんやったら、どもーっでなければいけない理由を自分のなかにしっかり持っておかないかんやん、それがあんたにはないっ!」


 我ながらくっそウザイ。しかし、早朝から見知らぬ芸人の卵(30代男性)に訪問されたのだ。イライラを容赦なくスパゲティ栗下にぶつけて何が悪い。こちとらポムポムプリンのパジャマ姿やし眉毛もないんやぞ。こんな恥ずかしい格好した二十代の女をつかまえて「どもー」なんて気の抜けた挨拶されて、黙ってはいられない。

 さすがにここまでコケにされたら、人の良さそうな眉毛をした栗下だって我慢がならないだろう。しかし予想外にもマイナスの感情を苦そうに飲み下してみせた栗下は、上半身から力が抜けたようになって頭をさげた。


「あの、ボクが博多の魔女さんに会いに来たのには事情がありまして」

「なん?」

「あ、まず先にこれ、お土産なんですけど」

 男が持ってきたのは、銘菓「博多の女」である。一口サイズのバウムクーヘンになんか甘いやつがねじこんであるやつだ。

 このあからさまな「接待の要求」に、私は冷めた目でみてしまう。

「博多の魔女へのお土産が……博多の女って……なんでーやねーん、みたいなことを言って欲しいのか、おまえは」

「いや、まあ、ちょっとイントネーション変ですけど……」

「おああ? なんか文句あるか? ああ? なんでーやねーん!」

「いや、済みません、ほんと済みません」

「刻むぞ、おああ?」

「き、刻む?」

「お前のリズムを刻むぞ、ああ?」

「いやちょっと意味がよく……」

「おああああ!?」

「済みません済みません」



「それで用は。わざわざうちの住所特定するなんてキッショイことして訪問したぐらいや、よほど大事な用なんやろ?」

「はい。博多の魔女さんって、いろんな芸人のラジオの常連ハガキ職人じゃないですか。ラジオを聞いているとき、「福岡県、ラジオネーム博多の魔女」って聞こえてきたら、うわ、またこいつかって思うぐらいの常連じゃないですか」

「そうね」

「だから、ボクのためにネタを書いてくれません?」

「できるかー! くそが! ネタは芸人にとって魂やろうが。魂をどこかしらん女につくってもらうアホがどこにおるん!」

「あ、済みません、言い方がおかしかったですね。あの、つまりボクの相方になりませんかっていう話なんです」


「えっ」


 こんなに驚いたのは、友人のお父さんが不倫して出ていったのに、パンツ一丁で帰宅して、友人母に土下座して家に入れてほしいニャンと半笑いで訴えているところに居合わせた2015年の2月以来である。

 ネットにネタの批判を書き込まれることはあっても、家を特定されてコンビのお誘いを受けるなんてこれまで一度もなかった。こいつストーカーやなキッショイと思うものの、嬉しい気持ちも隠せなかった。


「えっ、あの、そうか、そうなんか……えっと、いや、あの、いろいろ暴言はいてゴメンな……」

「いや、大丈夫です、博多の魔女さんがそういうキャラなのはわかってますから」

「そうか……」

「それとあと、ぼく気づいたことがありまして。博多の魔女さんって、投稿先を選んでますよね」

「そらそうよ」

「くらふんとガイブルアンの番組にはネタを送ってないですよね。それに気づいてから、ボクらはお笑いの方向性が一緒なんだなって思ったんですよ」

 くらふんもガイブルアンもお笑い芸人なのだが、いわゆるゲミュートローゼ的感性のお笑いをやるタイプだ。誰かが痛い痛いと泣くのを面白いと感じ、何かをやらせたら不器用な人を笑い、セクハラをして笑い、人の尊厳を踏みつけることこそが「尖っている」という立場のお笑いだ。言葉遊びで笑いを誘おうとする私とはまるで合わなかったし、番組で取り上げられるネタも「学校のブスをいじめてやったら泣いたんですけど、その泣き顔がまたブスで(笑)」みたいないじめ自慢ネタばかりで、投稿する気にもならなかった。


「ああいうお笑いが好きなやつ、けっこう多いでしょう。ボクのまわりもそんなんばっかりで、なかなか相方にしたいと思える人がいなくて困っていたんです。そんなときに博多の魔女さんのことを思い出して、ボクも佐賀県民で家近いですし、そうだ、この人とお笑いやろうって思ったんです」

「思ったんですってさあ……っていうか、あんた佐賀なんか。それやったら博多の女やなくてを買ってきてよ。いや、まあ、それは今はいいか。ともかく、そんなふうに言ってくれるのは光栄やけど、私はただのハガキ職人なんやから芸人はやれんと思うよ。だってハガキのネタと芸人のネタ作りはベツモノやん」

「うーん。でも博多の魔女さんのネタって面白いし、ボクはいけると思うんですよね」

「いやいや。そんなん言ってくれて嬉しくて泣きそうやけど、やっぱり無理よ。そもそもハガキ職人はさ、まず大前提としてしゃべりのうまい芸人さんがラジオをやっているという環境があって、そこに自分のネタを乗っけさせてもらっているだけなのよ。鏡餅でいうところのミカンなんよ、ハガキ職人って」

 栗下が真剣に聞いてくれているのに気をよくして、私は持論をぶつ。

「でも芸人ってのは鏡餅の本体、餅やん。餅としてしっかり存在してくれているからこそ、ミカンも安心して乗っかれるわけでね。悲しいけどミカンは餅にはなれんのよ」

「餅になりましょうよ!」

 栗下は私の手をとって、叫んだ。

「ミカンの人生とはきょうでお別れして、餅としての人生をスタートしましょうよ」

 ぶんぶんと手を揺さぶられる。


 私はあっけにとられて栗下を凝視した。こいつ本気か? 栗下は顔をほころばせている。私がこいつと一緒に餅になるんか。餅としての人生。そんなの考えたこともなかった。


「私……なれるかな、餅……」

「なれますよ、いや、なりましょうよ、餅」

「……うん」


 こうして、お笑いコンビ「スパゲティ鏡餅」はスタートしたのだった。



 私たちは一生売れないまま終わるかもしれない。でも、餅になろうとしてあがいた経験はきっと、次のネタづくりに生かされることであろう。

 芸人としてブレイクしてもよし、売れなくて博多の魔女として復活してもよし。どちらにしてもおもしろおかしく生きるのみである。



 <おわり>

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