逃げろ、現実だ!

氷見冷美

プロローグ

 僕は猫に嫉妬している。


 特に家猫に対しては人類史上最も嫉妬していると自負している。


 気まぐれに過ごし続ける生涯…


 なんて自由でストレスフリーなんだろう。ああ、羨ましい!僕だってそれくらい吞気に人生の駒を進めたい!実際の猫がどう思って日々を過ごしてるかなんてぶっちゃけ知らないけど!


 なのに、人間というのはどうも面倒なことが好きらしい。幼少期は教育、成長したら仕事…どこのお偉いさんがそうさせたのかは分からないけど、余計なことを決めるもんだ。僕は猫のように気まぐれに、世間や社会のことなどを気にせずに気分に身を任せる生き様、そんな自由を体現化した暮らしがしたいんだ。


 とまあ、色々言ってきたんだけど、人間の世界ってのはどうにも甘くないみたいなんだよね。その日暮らしで狩りをしていた時代は終わり、僕たちは国のため社会のために汗水を垂らさなければならなくなっちゃたんだ。全体的にみればこれは種族としての進化なんだけど、この変化は僕のような人間にとってはどうも厳しい作りとなってしまったんだ。でも、それが僕の生き方を曲げる理由にはならないと思うんだよね。


 子供の頃に抱いた夢は尊い。僕は初めて友達の家で猫を見たあの日からずっと、猫のような生き方に憧れていたんだ。その後特定の職業に憧れることもなかったし、やっぱりこの夢をかなえることこそ、僕の人生の意義だと思うんだ。


 そんなわけで僕は深く思考する機能をゴミ箱に捨てたんだ。未来のこと?そんなもんは未来の自分が決めてくれるさ。僕は自分がそのとき楽しそうと思ったことだけをやり、そうでないものは切り捨てるような人生を歩んできた。


 一見、そんな暮らしはただ惰眠を貪るだけと思われがちだけど、実はそうでもないんだよね。気まぐれっていうのは面白いんだ。なにをもたらすかが予測不能だから。普段何も思ってなくても、そのときの気分や衝動によって思考が変動するんだ。


 僕はなるべくその思いに答えた。興味を持ったあらゆる分野に手を出し、飽きるまで堪能し続けるんだ。飽きたら直ぐにやめるけど。おかげさまで、無駄に賞状だけは部屋にいっぱい飾ってあるぞ。全て中途半端な段位だけどね。まさに器用貧乏。いや、ここまでくると富豪かな?まあいいや。

 なにはともあれ、一つ言えるのは、僕は充実した日々を送っていたということだ。


 まぁ、かといって面倒くさいことは面倒くさい。能動的にやることは問題なかったんだけど、どうにも僕は人に指示されることを嫌っている傾向にあるんだ。


 つまり、学校は僕の天敵なんだよね。受けたくない授業も強制参加という場所だからね。まあ、授業中は勉強以外のことをしてたら時間が勝手に過ぎてくれたから嫌ではなかったけど。


 嫌いだったのは進路調査とかなんだよね。今やりたいことですらコロコロ変わっているんだから、将来のことなんてまだ南半球あたりで転がってると思う。なんで今考える必要があるんだろう?


 それに、僕は気づいたんだ。人生は意外となるようになるってことに。実際、そのスタンスで僕は18年間生きてきたけど、なんだかんだ何とかなってるんだ。これからもそうなるでしょ。仕事とかも知らないけど、まあ今考えなくてもいいでしょ。


 これぞ猫式人生。気まぐれにフリーダムに。徒然なるままに僕は人生を歩むんだ。

 

 こんな価値観を持ちながら、僕は大学生になった。大学に入ったおかげで僕は仕事という地獄に飛ばされる期間を4年猶予できたというわけだ。なんかこういった考えで大学に入った人って意外と多そうだよね。関係ないけど。


 さて、ここまで自身を振り返ったことによって、僕は初心に帰ることができた。

 やっぱり、新しいことが始まる際には初心って大事だからね。今日から僕の大学生活がはじまるんだ。大学も適当に頑張ろう。最低限の単位だけ取って、あとは楽しそうなことに時間を費やそう。そう心に誓った。

 

 今日はガイダンスのために登校しなければならない。

 正直、こういったものはサボって後から友達に必要な情報だけを受け取りたいところなんだけど、生憎この大学に僕の知り合いは一人もいないんだよね。

 昨日学生寮への引っ越しが終わったばかりで疲れてるというのに、面倒だなぁ。

 それに、初日にいかなければコミュニティが勝手に形成されてしまう。後からグループに入れてもらう胆力とコミュ力は持ち合わせていないので、友達作りのためにも今日は重い腰を上げなければ。

 一応挨拶として近くの部屋にも何軒か訪れたんだけど、留守なのか空き部屋なのか誰もいなかったんだよね。

 まあいいや。知り合いが近すぎるとこにいるのはそれはそれで面倒だしね。


 よし、時間も押してきたしそろそろ出るか。ウチの寮はキャンパスまで徒歩20分。割と遠いんだけど、どうやら寮からキャンパスの土地が全て大学のものみたいなんだよね。広すぎる。すごい金がかかってるなぁ。


 とりあえず髪をチェックして…うん。そのときの気分で髪の先端部分にピンクのメッシュを入れてみたんだけど、これがなかなかに残念な出来映えとなってしまった。

 例えるならそう、見た目に個性をつけたがっている新人動画投稿者のような感じだ。担当していた美容師が帰り際笑い堪えてるのを僕は見逃さなかったぞ。アイツ絶対許さん。店の売り上げ1割減ろ!


 …まあこれも気まぐれの醍醐味だ。たまにこういった失敗をしちゃうんだけど、これも愛嬌だよね。

 というか、失敗の割合の方が多いまである。おかげさまでストレス耐性は人一倍あるぞ。


 アホ毛処理も完了したし、僕は部屋から出た。やっぱり付近に誰もいない。ウチの大学は全寮制だから、学生同士部屋の近くでたむろしていてもおかしくないんだけどなぁ。

 もしや、僕が時間を間違えたのかな?そうとなれば急げ、と普通はなるんだろうけど、僕は違う。賢者のごとく達観している僕にはわかる。10分だろうと20分だろうと、遅刻認定されるのは一緒で、最終的に怒られるのも同じだ。

 それなら、怒られる運命を受け入れて素直に諦めた方が気が楽だよね。これぞ僕が持つ48の楽の極意の一つ、「に間違いを犯す」だ。

 こうして僕は、競歩のおよそ半分ほどのスピードで歩みを始めた。なぜか遠くから爆発音が聞こえたけど、気のせいだと思う。


 道中、路上で寝ている人が何人かいたので足を止めた。酔いつぶれてるのかな?同級生となると未成年飲酒だ。悪い子達だなぁ。

 流石に初日に酔いつぶれるのは…と思ったけど、もしやこれこそ自由を体現化した姿なのでは?

 いや、でも全く羨ましいという感情が湧き出ないな。たぶんこれは間違った自由ということなんだろうな。また一つ賢くなった。


 僕に成長の機会を与えてくれた勇者たちの顔を見る。よし、覚えた。こいつらとは関わらないようにしよ。留年しちゃいそうだし。

 暗記を終えた僕は歩みを再開した。そういえば、奴らの付近では地面にクレーターができていたな。まったく、領地を広げすぎた弊害で整備が滞っているではないか。よくないなぁ…高い学費を払ってるんだから、こういった所はしっかりしてほしいよね。


 さて、講堂まであと僅かという所まで来た。人の声も聞こえてきた。随分と賑わっているなぁ。というかうるさい。

 人だかりがあるので、とりあえずそこに行こうっと。そう思ったら、人だかりは僕をめがけて走り出した。

 ああ、この光景は…昔ゲームで所かまわず突進してくるクソ猪を思いだした。懐かしい。

 そう思い出に耽っていたら、僕の体が宙に浮いた。そういえばあの時の僕もこのように吹き飛ばされたんだっけ。


 そして、ゲーム内の僕と現実の僕は同時に地面にたたきつけられた。ほんのり痛い。

 初日から泥酔したり暴徒と化したりと、ここの生徒は随分と乱れてるなぁ。ぶつかったらせめて一言謝ってほしい。都会の人間には気遣いが足りないって老人が言っていたけど、確かにそうだと納得できた。

 立ち上がって先ほどの集団がいた位置に向かって歩いた。そこには小柄な女の子が一人倒れていた。また酔っ払いかな?

 人混みが危ないし、とりあえず安全な場所で寝てもらうよう起こすことにした。

 しかし、よほど深い眠りに入っているのか、全く起きる気配がない。

 というか触ったら手が濡れたんだけど…ハンカチで拭こうっと。

 拭いたらなぜかハンカチが赤く染まった。

 ん?もう一度手に抱える女の子をみると、後頭部から血がドクドク出ていた。うわ、僕のフードも赤く染まった!

 助かったことに、助けを求めたら近くにいたナース服の女性が彼女を引き取ってくれた。

 なぜか引き渡したときにナース服の女性は怪訝な顔をしていた気がするけど、僕の気にしすぎだと思う。


 というか、さっきから周囲がうるさいなぁ。新たな生活に浮かれる気持ちはわかるけど、もう少し節度をだなぁちゅどーん!!!

 騒ぎすぎるのもよくないし、周りを見ずに走り回るのなんて論外だよ。 ぼかーん!!!

 ほらまた僕にぶつかった!せめて謝れ!どかーん! 

 うるせぇ!なんださっきから!人が珍しく思考を巡らせているっていうのに!

 

 騒ぎの主へ一瞥した。しかし、砂埃が激しくて何も見えなかった。目に入ると痛いので僕は反対方向を向く。

 すると、僕を照らす太陽が隠されたことに気づく。なんでだろう。気になって首をあげてみた。


 そこには、円盤状の物体が宙に浮いていた。これは…UFO?え、すげぇ!撮影したらテレビ局に映像を売れないかな⁉あ、UFOがなにか大きな光を発射したぞ!まさにレーザービームと形容されるものだ。壮観だなぁ。

 そう悦に浸ると、また轟音が僕の背後から鳴り響く。

 今度はさらに近い位置で何かが起こったのか、僕は強い振動によって大きく体を揺らされた。耳がずっとキーンとしている。

 ビームが着弾した僕の後方を振り返ると、目の前には文字通り、なにもなかった。そう、地面すら。


 …え?


 再度確認してみる。うん、なにもない。


 …え、なんで?

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