つまづく女

天鳥そら

第1話つまづく女

 私はスタートでつまづく女だ。小学校の入学式、一年生になったばかりの同学年男子にランドセルを放り投げられた。向かった先は川。真新しい真っ赤なランドセルは泥まみれ。ランドセルに入れていたお道具入れも泥まみれ。真っ青になった男子の両親が平謝りに謝り、新しく高級なランドセルを用意してくれた。


 中学校入学式、地元の公立小学校から公立中学校に入学。仲の良い子たちと同じクラスになれず、グループにづくりに難儀したあげくぼっちに。ひとりが好きなのだと勘違いされていたことに気づいたのは夏休み前だった。お詫びにと言って、クラスメートが夏休みに遊びに誘ってくれたおかげで楽しくなったけど。


 高校の入学式は、人身事故の影響で大遅刻。ギリギリ入学式には間に合ったものの、妙なかたちで目立ってしまいひやひやした。大変だったねと声をかけてくれた女の子が友達になってくれた。


 他にもいろいろ。初めて好きな人に渡そうとしたチョコは、野良犬に吠えられて怖くなったのであげてしまったし、初めてのデートでは、奮発して買ったハイヒールが折れてしまった。


 気持ちの良いスタートを切ったことがあまりない。成人式の日も雨が降っていたし、車の免許を取って初めて車を運転するときは雹と雷に見舞われて怖かった。


 指折り数えている内に指が足りなくなるほど、スタートでつまづくことが多いことに私はため息をついた。


「でもさ、スタートでつまづいてるけど挽回もできてるんじゃない?」


 私のそばで黙って本を読んでいた先輩がくすりと笑う。メガネの奥が愉快そうに輝いている。


「そうでしょうか。なんか、肩透かしをくらったというか、置いてけぼりをくったというか」


 今は大学生。ここは大学の図書室。隣に座っている男性は、同じ大学同じ学部の先輩だ。大学の図書室は私と先輩がよく過ごす場所だった。図書室の使い方を教えてくれたのも先輩だった。出会ってから何かと世話を焼いてくれている。そして私の好きなひと。奇遇にも私のことを好きなひと。


 「短距離走じゃないんだからさ。どこかで帳尻が合えばいいんだよ。俺なんか留年してるしさ」


「先輩は留学のためでしょ? 自分の意志で決めたことと、私みたいに運命に翻弄されるのとは違うんです」


 先輩はくすくすと笑うがそれ以上は何も言わなかった。図書室だから、大きな声を出さないよう気をつけているのだろう。私もそっとあたりを見回して口をつぐむ。


 私は、大学一年生。先輩は四年生。留年していなければ、先輩と会うことはなかった。先輩と出会ったとき、私は文字通りつまづいていた。転んだ拍子に買ったばかりのお気に入りのワンピースが破れたものの、大したことはなかったし、ケガも大したことなかった。だが、鞄の中身をぶちまけてしまった。


 慌てて拾い集める私のそばで、一緒に拾ってくれたのが先輩だった。ちょうど留学先から帰ってきたところだった。提出前のレポートが水たまりに落ちてぬれていたのを一緒に乾かしてくれた。


「それにさ、肝心なところではつまづいていないと思うよ」


静かな図書室の中で、先輩の小さな声が耳に届く。ふと目を上げると、先輩の顔が近い。知らず知らずの内に頬が赤くなる。


「そ、そうだといいんですけど」


 慌てて視線をそらしても、先輩が自分を見ているのがわかる。心臓の音がうるさくて先輩に聞こえてしまいそうだ。ちらりと横目でうかがうと、先輩は本に目を落としていた。


「本当に、そうだといいんですけど」


 つまづいたから先輩に出会えたけど、やっぱりつまづかないで出会いたかったかな。もし、つまづいてなかったら、どんな出会いになっていたんだろう。


 つまづく私は、つまづかなかった出会いを夢想する。どれだけ、考えてみても、つまづかない人生は想像できなかった。


 スタートでつまづかない人生。それは、私にとって憧れになっている。


 


 


 

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