第3話 『スタート』からスタートする推理

「『スタート』という言葉は概念的だ。これだけで被害者が犯人を指定するのは難しい。それに、大きな問題がある」


「何ですか?」


「例えばさっき、スタートダッシュが得意な隣人がいると言ったね。名前は日吉朋子だったか」


「そうです。結構怪しいんじゃないですか?」


「いいや。彼女を疑うのはお門違いだ。なぜなら、日吉さんを示したいなら『ヒ』と『ヨ』と『シ』を集めればいい話じゃないか。スタートダッシュが得意だからって、死に際に『スタート』を遺すのは不自然だ」


「あー……たしかにそうですね」


「となれば必然的に……どういうことか分かるか?」


「えっと……いえ、分かりません。さっき原さん、『スタート』が犯人の特定に繋がるとおっしゃっていましたよね。でもそれって、誰に対しても『名前をカタカナで集めれば良かった』という話になりません?」


「いや、そんなことはない。では例を出そう。例えば犯人が『あいいちろう』という名前だったらどうだ?」


「……極端な例ですね。ですがそうなると、まず『ア』を拾って……でもそれだけでは分かりにくいから下の名前も拾うことになりますね」


「だが、ここで問題がある。カタカナパネルは1。となれば、次の『愛』の『ア』は拾えないし、『愛』で『イ』を使ってしまったら、次の『一郎』には『イ』を使えない。つまりだ。犯人が同じ文字が続くような名前だったら、カタカナで名指ししにくいということだ。こう考えていくと、犯人は定まるな」


 乙川は動悸が激しくなるのを抑えられなかった。まさか、まさか……。


「まさか……茅森……」


「そうだ。『桃』は犯人として指摘するなら『モ』でしか表せない。フルネームで表そうにも、名字の『茅森』にも『モ』が入っているから、ダイイングメッセージは『カヤモリ』にしかならない。そしてこの名字は、被害者自身と同じだ。これでは犯人が分かりにくいから、ダイイングメッセージを名指しにしなかったんだ」


 あんなにいい子が、まさかそんな……。


 茅森桃は事情聴取のとき、悲しみにうちひしがれながらも気丈な表情で乙川と向き合い続けてくれた。あの子が犯人だなんて、そんなことはありえない。乙川は心の底から確信していた。


 乙川の心証通り、原警部の言葉には続きがあった。


「――とも解釈できる。が、別の理由も考えられる」


 乙川はすがりついた。


「その理由というのは……?」


「少し話を戻すが、茅森桃が犯人だとしても、依然として『スタート』が彼女の何を示すのかは分からない。そうだろう?」


「そうですね。捜査の中では上がっていません」


「そもそもだ。茅森桃にはアリバイがあるだろう?」


「あ……あります。ずっと学校で勉強していたそうなので」


「なら当然犯人ではないな」


「……ふざけているのですか? 私はてっきり桃ちゃんが犯人なんじゃないかと恐怖しました」


「それはすまなかった。だが、ふざけているつもりはない。あくまで論理に沿って説明しているだけだ。茅森桃が可能性から外れた以上、他に同じ文字ばかりが続く名前を探してみるが吉だろう。関係者に誰かいないか?」


 乙川は見てきた名前を思い返してみるが、該当する名前はなさそうだった。


「いない……気がします。現時点では」


「ならば、一度別の方面も考えてみよう。被害者がなぜ犯人を名指ししなかったのかを」


「まだ他の可能性もあるのですか?」


「ああ、あるさ。被害者にとも考えられるじゃないか」


「あ……たしかにそうですね」


「つまり、犯人の名前が分からなかったから、『スタート』で代用しようとしたというわけだ。では『スタート』とはどういう意味なのか。分かるか?」


「それはずっと考えていますが……すみません。分かりません」


「そうか。まぁ俺も推測にすぎないといえばすぎない。俺は『スタート』はそもそも並べ方が間違えているのではないかと考えた」


「並べ方から違うのですか? しかし……『ス』と『タ』と『ー』と『ト』をどう並び替えても上手く行かない気がしますが……」


「いいや、そこが甘い。さっきも言ったろう。カタカナは1文字ずつしかないんだ。今回は逆に、どれか1文字が足りなかったと考えてみればいい。1文字増やしてみろ」


「『ススタート』『スタタート』『スターート』『スタートト』……うーん、なかなか……あっ」


「分かったか?」


「はい。『スターート』を並べかえると『トースター』になりますね」


「そういうことだ。まさに被害者が伝えたかったのは、その『トースター』という5文字だったんだ。でも『ー』はひとつしかなかったから、仕方なく諦めた。では当然次は、トースターとは何なのかという疑問に移る」


「トースターと言えば……桃ちゃんはオーブンでグラタンを焼いたと話していました」


「それだ。厳密に言えば、トースターとオーブンは別物だ。たぶん被害者のほうは理解していただろうが、小学生の茅森桃には見分けられなかったとしてもおかしくない。料理もやったことがないようだし」


「グラタンを温めるのが初めての家事手伝いだそうで」


「では茅森桃がオーブンだと認識していたのは、実際はトースターだったと解釈できる。で、それが犯人を示すとなれば答えはひとつ」


 原警部は一息ついてから言った。



「なんと……」


「犯人は被害者をトースターで殴りつけた。では、被害者がなぜ『トースター』をダイイングメッセージに採用したのか。それは、トースターを調べれば犯人を特定できるからに他ならない」


「犯人の証拠となるものがトースターに?」


「そういうことだ。おそらく犯人はトースターで殴るとき、トースターの向かい合う側面を両手で挟んで殴りつけただろう。ここで、普通はトースターを運ぶとき、どう持つ?」


「両手で下を支えるように持つでしょうね」


「だろう? となれば、向かい合う側面の両方に真新しい指紋か掌紋が見つかれば、それがまさしく犯人の物証というわけだ」

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