第26話 雨と血と灰
追いこまれたレンの告白は、まずジャズイールの興味を引くことには成功した。
「ほう。ならばそれをどうやって証明できる。苦し紛れの言い逃れなど通じんぞ」
口振りとは裏腹に、彼がその先を気にかけているのが伝わってくる。
「ふふ、殿下には嘘などお見通しなのでは?」
あえてレンは再び挑発してみた。
これにはジャズイールもさっと表情を変え、彼女を足蹴にする。
「ほざけ。おまえの命などいつでも摘み取れるのだ。ゆめゆめそれを忘れるな」
声を荒げて当たり前のことを脅しに使うあたり、冷静さを少し失っているのはレンの目にも明らかだ。
冷たい床へ倒れこんだレンは体を起こす。
起き上がりながら「証明ならできますよ」と告げた。
「わたしの〈鑑定〉にとって、様々な物語を背負った品々が陳列されているこの収蔵庫はおあつらえ向きの場所ではありませんか」
「言ったな? 吐いた唾はもう飲みこめぬぞ」
やや上気しているらしいジャズイールが言質を取ろうとしてくる。
レンの態度は揺るがない。
「もちろんです。撤回するつもりなどありませんよ、殿下」
「ならばついてこい。もしもおまえの力が本物ならば、とびっきりの悪夢を見せてやるとしよう」
そう宣告するなり、ジャズイールは早足で歩きだした。
遅れてついていくレンを振り返ろうともしない。
そんな彼が歩を緩め、ようやく立ち止まったのは収蔵庫の最奥であった。
「ここだ。見ろ、偽物の〈遠見〉の娘よ」
「はい」
目立たぬように並べられていたのは、特にこれといった鮮烈な印象を持たない三つの品々だった。刃こぼれのひどい槍、先端部に大きめの輪っかが作られている荒縄、最後に至っては何なのかもわからない黒く小さな塊だ。
少なくともこの場に飾られるだけの価値があるようには思えない。
説明を求めるようにジャズイールへと目線を移したレンだったが、彼は「いいから触れてみろ」と言うばかりだ。
「これらも歴史の証人であることに変わりはない。物言わぬ証人だが、宿った記憶を視られるのであればぜひ言葉にしてみてくれ」
「……殿下がお望みとあれば」
ジャズイールの口振りからは嫌な予感しかしないし、間違いなくその予感は外れないだろう。
それでもレンには突き進むしか道は残されていない。進んでこそ、マルコとともに生き延びる未来をつかめるのだ。
まずレンは真ん中の荒縄へと手を伸ばした。
集中し、〈鑑定〉を試みようとした途端に衝撃が走る。
彼女が放り出されていたのは、広場に設けられた台だった。雨が降りしきり、広場にいる人影もまばらだ。
膝をついて嘆いているように見える人たちが多いのはなぜだろうか。
振り返ってみれば、そこには一直線にずらりと人が並んでいた。ざっと二十人はいるだろうか。ただし荒縄で首を括られた人の群れだ。
ここは大掛かりな首吊り台だった。
雨に濡れるがまま、どの人も動いて抵抗しようとはしない。おそらくはとっくに事切れているのだ。
降ろすことも許されず、ただただ見せしめにされているに違いなかった。悪臭を放って虫たちが集ろうとも、鳥たちが肉を啄もうとも。
むしろ雨は死体から漏れた糞尿を洗い流し、せめてもの救いとなっているのかもしれない。
声にならない悲鳴を上げたレンはすぐに現実へと引き戻される。
「はあッ、はあッ、はあッ」
激しく肩を上下させ、浅い呼吸を何度も繰り返す。
だが変調をきたした彼女に構わず、ジャズイールは腕をつかんで問うてきた。
「どうした。何が見えた?」
レンはまだ答えられないでいる。整理ができなかった。
大勢の死体を見たことに衝撃を受けたのではない。その亡骸の扱いに一切の尊厳が感じられなかったことが彼女の心を抉ってきたのだ。
「黙っていてはわからんぞ。ならば次だ、早くしろ」
レンの心情など慮るジャズイールではなく、彼女の腕をつかんだまま今度は槍を触らせようとしてきた。
やけに喉が渇いて唾も上手く飲みこめないレンだったが、気丈に再度の〈鑑定〉へと踏みこんでいく。
視えてきたのは壕だ。土を掘って作られた、人の肩よりも深い溝。
その壕の中で列をなして歩いている人たちがいる。誰もが一様に粗末な衣服を着ており、顔には怯えの色が浮かんでいた。
壕の両脇で待ち構えているのは槍を持った兵士たち。
先に進んだ者から順に、好き勝手に上から槍で突き殺されていく。腹であったり胸であったり、あるいは首であったり。運よく槍の穂先をくぐり抜けられた者も、足を止めることは許されておらず、いつかは槍に貫かれてしまう運命だ。
次々に死体が折り重なっていくせいで、いくつもの血溜まりもできている。
そんなことは気にも留めていない兵士たちから、何人刺せたかで賭け事に興じているらしき声も聞こえてきた。
「うぼぇ!」
たまらずレンは嘔吐する。
鼻をつく匂いの吐瀉物が床へ広がっていく。とても美味しかったはずの食事を、たぶん一つも残さず吐きだしてしまった。
そんな彼女をジャズイールが蔑む。
「汚らしくみすぼらしいな、偽物の〈遠見〉の娘。だがまだ終わりではないぞ」
彼は最後の品を指差した。何であったのかさえ判別できない、黒く小さな塊。
「……承知しております」
レンの体力はもう限界に近い。
それでも口元から垂れている涎を拭おうともせず、意識だけをどうにか集中させて三度目の〈鑑定〉へと入っていく。
今度は小屋の中だった。ここにもぎっしりと老若男女がひしめいていた。
一人の少女が人型の像のような物を握り締め、ずっと祈りの言葉を呟いている。おそらくあの像は彼女たちが信仰している異国の神の似姿なのだろう。
そんな少女を後ろから強く抱き締めている女性もいた。
母親なのだろうな、とレンにも容易に推測できた。
重苦しい雰囲気の中、壁という壁に火が燃え広がっていく。どう見ても自然な発火ではない。きっと外から一斉に火をつけられたのだ。
燃え盛る炎と煙とが小屋に充満していく。逃げ場所などどこにもない。
一生耳に残ってしまう程の悲鳴とともに何もかもが無情に焼かれていく光景を、レンはどうすることもできずにただ黙って眺めているしかなかった。
小さな体を折り曲げるようにして少女は胸に像を抱きかかえ、そんな彼女の後ろから母が覆いかぶさって炎から守ろうとしている。
すべてが焼け落ちるのを呆然と見届け、レンは収蔵庫内の現実へと戻ってきた。
それを見計らっていたかのように、指先で触れていた黒い塊が音もたてず粉々に崩れ落ちてただの灰となった。
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