第25話 ジャズイール第六皇子〈2〉
今回の案内役を務めてくれた女は「目的地に到着しました」と告げると、レンのみを残して静かに去った。
ジャズイールの姿はどこにも確認できない。
ぽつねんと一人佇む形となったレンは周囲を見回す。城塞から続く吹きさらしの渡り廊下を通ってやってきたわけだが、突き当たりにそれらしき扉があった。
テスレウは「別棟の収蔵庫」と言っていた。眼前の両開きになっている大きめの扉が、その収蔵庫とやらへの出入口なのだろう。
地形に高低差がある関係で、城塞の二階部分と収蔵庫と思われる建物の一階部分とが渡り廊下で繋がっているらしい。
風に乗った夜の外気が肌に触れ、幾分冷たさを感じてしまう。
「ここに入れ、ってことかな……」
取っ手を握り、そのまま引こうとするもまったく動かない。
だが場所が間違っていないのであれば、錠だってかかっていないはずだ。おそらくは単純に重いのだと思われる。
レンは呼吸を整え、腰も落とした。
「んんんッ」
歯を食いしばっていきみ、全体重を後ろへかけて引き倒そうとする。
そこまでやってようやく扉も少しずつ開き始めた。
全開にしてしまう必要はない。レンの体が扉の向こうへ潜り込めるだけの隙間さえできればそれでいい。
中は明かりが灯されているらしく、開いた箇所から石造りの床へ光の筋が走る。
「来たか」
ジャズイール第六皇子の声がした。
やはり彼は先に来て待っていたのだ。
「大変お待たせいたしました、殿下」
「よい」
入室したレンの謝罪にも取り合わず、そのままゆっくりと歩を進め始めた。
慌ててレンは彼の後を小走りで追う。
左右には円柱が等間隔で整然と並んでいた。そのすべての柱に灯りが備えつけられ、小さな炎が揺らめている。
「ここは……」
独り言のようなレンの呟きに、ジャズイールが振り返って反応した。
「テスレウから聞かされていないか? 戦や外交によって私が勝ち取ってきた美術品などを収蔵している、いわば倉庫だな」
彼にとっては、レンさえも生きた美術品の一つくらいにしか捉えていないのだろう。裏を返せば最後の〈遠見〉であり続けるかぎり、ジャズイールにとってのレンには価値があるのだ。
少し余裕の出てきたレンが展示品を眺めていく。ジャズイールの自慢に付き合うのであれば、それなりに話を展開できなければならない。
とはいえレンに芸術の素養などないに等しい。できるのは求められたときに率直な感想を述べるくらいのものだ。
柱と柱の間に並べられている展示品の数々は、絵画のような美術作品だけでなく多岐にわたっているのが意外だった。芸術とは到底思えなさそうな物までもが多く陳列されている。
そんなレンの疑問をジャズイールも察したらしい。
「美術品と言ったが、まあ内容は雑多だ。例えば政敵に敗れた怨念を獄中でつづった日記、数多の敵を屠ってきた森の民の斧、恋人の裏切りを許せずに石膏で人体を固めただけの像。高名な作家に勝るとも劣らぬ美しさを放つ品々ゆえ、いずれはきちんと分類せねばな」
さすがに趣味が悪すぎる。危うく口に出しかけたレンだったが、どうにか寸前で堪えることができた。
一方のジャズイールは謁見時と大いに異なり能弁だ。
「書物、絵画、彫刻、武具防具、装飾品、磁器陶器、他にもあるだろう。それらを一堂に集めた、巨大な収蔵庫を建設したい。〈遠見〉の娘、おまえでさえ目にすることが叶わぬほどの遠方の品々であろうと見られるような施設をな」
途方もない野望を彼は語っている。
それも大勢の犠牲なくしては実現し得ない野望、見果てぬ夢だ。
レンは足を止めた。
「そのような大事なお話、わたしなどに聞かせてもよかったのでしょうか」
ヴァレリアの人間である自分に、という意味を言外に含ませる。
ジャズイールも踵を返し、レンへとゆっくり近づいてきた。
動けずにいる彼女の濃い茶髪へそっと触れ、毛先に向かって手ですいていく。
「構わんだろう。なぜなら〈遠見〉の娘、おまえには何の力もない」
そう告げるなり、彼はレンの胸倉をつかんでそのまま引きずり倒してきた。
いきなりの出来事になすすべなく床へ転がったレンだったが、さらなる言葉の刃が彼女へ突き刺さる。
「臆面もなく〈遠見〉などと詐称し、ここまで演技を続けてきた胆力だけは見上げたものだ。褒めてやろう」
ああ、とレンは心中で嘆息する。彼にはわかっていたのだ。
小細工を弄してのらりくらりごまかそうとしたところで、結局は通じる相手ではなかった。まさに役者が違う。
ジャズイールは酷薄な笑みを浮かべていた。
「はて、テスレウから聞かされていないか?」
先刻とまったく同じ台詞を繰り返す。
「決して私に嘘をつくな、と奴なら指導したはずだ。甘い男だからな」
その通りである。テスレウから事前に警告は受けていた。ジャズイールは非常に嘘を嫌っているので注意しろ、と。
あれは「嘘に鋭敏だから気をつけろ」という意味合いだったのだ。
死相が見えると吹聴している一国の将軍だっているくらいだ。どこかに嘘を見抜ける皇子がいたっておかしくはないだろう。
そうはいってもレンにとれる選択肢などほとんど残っていない。〈遠見〉であることを初めから否定するわけにはいかなかったのだから。
「さあ、自身の口で吐け。わたしは〈遠見〉を騙る偽物です、とな。おまえが認めるまで、拷問とともに一晩中問い詰めたって構わないのだぞ」
仮に朝までレンが戻らなかったなら、確実にマルコは彼女を捜すはずだ。テスレウに制止されても振り切るだろう。朝まで待たないかもしれない。
けれどもそれは彼を巻き込んでしまう滅びの道だ。
レンが偽物の〈遠見〉であるとジャズイールに看破されてしまった以上、護衛役のマルコだけでも助かると考えるのは楽観的に過ぎる。
どうあっても今、この場でジャズイールにレンの価値を認めさせなければならない。それだけがレンとマルコ、二人揃って生き延びられる道なのだ。
失敗したらごめんね、と心の中でマルコに詫びる。
ここからは突き進むだけと腹を決めれば、いくらか気持ちも落ち着きを取り戻していくのがわかる。
体を起こしてジャズイールと正対したレンははっきりと表明した。
「おっしゃる通りです。確かにわたしには〈遠見〉としての力など欠片も持ち合わせておりません」
「やはりそうか。よくもまあこの私を謀ろうなどと──」
「ですが!」
勝ち誇ったジャズイールの声にあえて被せていく。
「ですが殿下、わたしには別の力があります」
切り札を使うべき時が来たのだ。
ジャズイールへ反応する間を与えず、レンはそのまま畳みかけた。
「断片的ではありますが、手で触れることで物に宿った過去の記憶を視ることができるのです。わたしはこの力を〈鑑定〉と名付けました」
顔の前で左手を広げてみせ、ジャズイールへ挑発的な視線を送る。
必ず主導権を握り返してやる、そんな強い意志を込めた目だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます