第17話 異なる答え
役目を終えた伝令が戻っていき、レンとマルコは再び〈鳥籠〉に向かって歩みを進めている。しかしその足取りは非常に重い。
レンには道という道があっけなく閉ざされたかのように思えていた。
もし彼女のニルバド行きが政府によって決定されてしまった場合、奴隷部隊から脱走してきたマルコに護衛など務まらないはずだった。
ジャズイール第六皇子が治めるニルバドの地へ再び足を踏み入れようものなら、マルコを待っているのは死のみである。
彼だけではない。レンも十中八九、殺されるであろう。
ニルバド皇国が欲しているのは〈遠見〉としてのレンだ。そう考えて要求したにもかかわらず、やってきたのが実は〈遠見〉を騙った偽物とわかれば、その時点でレンの命運は尽きる。
とはいえニルバドの要求を断れば、ヴァレリアに待ち受けているのは戦争だ。それも劣勢であるのが明らかな。
「わたしに選択する権利がないのはわかってる。わかってるよ。でも、このままじゃどうすることもできないまますべてが終わっちゃう」
先の見えない不安に苛まれ、冷静さを欠いたままレンは前を歩くマルコの背に言葉をぶつける。
しかし彼からの返事がない。
不気味なほど沈黙を保ったままのマルコだが、おそらくはずっと打開策を探して沈思黙考を続けているのだろう。そうレンは信じることにした。
長い無言の道行きの末、ようやく彼が口を開いたのは、もう間もなく〈鳥籠〉という地点にまでたどり着いてからのことだ。
「レン様。いつでもここを出られるよう、すぐに支度を済ませておきましょう」
「は? ここを出る? 出てどこへ?」
自分でも不思議なくらい素っ頓狂な声が飛びだした。
マルコは久々にレンへと顔を向け、真っ直ぐ見つめてくる。
「正確には逃げるというより、ニルバド行きを想定しています。ヴァレリアの選択がどうであれ。おそらくはそれが最も生き残れる確率の高い道かと」
「そんなはずないじゃない!」
思わずレンは激高してしまう。
不可避の戦争へ突入するヴァレリアに残るのは茨の道だが、ニルバドへ行くのはそもそも自殺行為同然でしかない。レンにとっても、マルコにとっても。
感情の昂ぶりを抑えられない彼女をなだめようと、マルコは何度も「レン様、レン様」と繰り返し呼びかけてきた。
「聞いてください。これは以前にフランチェスコ様とも意見をすり合わせていたことなのです」
「またそうやってあなたたちは……!」
人の運命を勝手に決めようとするな、と怒鳴ってやりたかった。
自分自身でさえどうにもならないと諦めているというのに。
「おれなんかの謝罪でよければ後でいくらでも。ですが今は他に優先しなければならない事柄があります。レン様、どうか」
重ねてマルコが嘆願してくる。
この場でさらに無意味な意地を張るほど、レンも愚かではない。非常に長い深呼吸をして気持ちの揺れをどうにか鎮め、状況を受け入れた。
「──わかった。もうすぐ着くし、〈鳥籠〉で聞くよ」
「ありがとうございます」
階段の先を往くマルコが頭を下げる。
その際に見えた彼の横顔には、レンも初めて目にするほどのただならぬ緊張感がみなぎっていた。
◇
ヴァレリア政庁内では政府高官が招集され、時間の余裕はいくらもない喫緊の問題への対応を迫られていた。
議題はもちろん、ニルバド皇国使者テスレウの「〈遠見〉のレンをこちらへ譲り渡せ」への回答をどうするか、である。
参加している面々はいずれも文官であり、ヴァレリア共和国軍を率いる立場のフランチェスコ・ディ・ルーカの姿はない。
「いかに大国ニルバドからの要求とはいえ、さすがに無礼が過ぎましょう。我が国の根幹ともいえる〈遠見〉を手放すなど考えられません」
断固拒否です、と訴えた意見に対し、即座に反論の声が上がった。
「だが、そうなると戦争だぞ? 向こうはこちらの態度を開戦の口実にし、大軍を動かして侵攻してくるだろう。その場合、ディ・ルーカ将軍頼みの我がヴァレリアに勝ち目がどれほど残されているだろうか」
「ううむ……」
別の高官はお手上げの姿勢をとる。
「ならばもう要求を呑み、〈遠見〉の娘を引き渡すより他ありますまい。レンといいましたか、当代の〈遠見〉である彼女が死んでしまえば、もはやこのヴァレリアにも跡を継げる者なし。〈遠見〉制度の消滅はいずれやってくる事態なのです」
「確かに。〈遠見〉の存在がニルバドを有利にはするだろうが、背に腹は代えられぬ。しばらく時間を稼ぐことで堅固な防衛体制の構築もできよう」
ニルバドへの〈遠見〉の譲渡に同意する意見がこの後も続き、会議の流れもほとんど決まりかけていた。
しかし中央に陣取っていた統領モレスキが初めて発言を求める。会議の開始以降ずっと黙って耳を傾けていた彼がようやく動いた。
「諸君、結論を出す前に一つお伝えしなければならない」
淡々と、それでいて有無を言わせぬ迫力のある声だ。
「レンという名の〈遠見〉の娘だが、彼女が本当に代々〈遠見〉を輩出してきた一族の血を引いているのかどうかには大いに疑念が残る。先代〈遠見〉のサラ、そしてディ・ルーカ将軍の推挙であったが、偽証の可能性を否定できない」
突然告げられた事実に満座がどよめく。
「当時の我々としても、〈遠見〉を失ったと周辺諸国に思われるのはまずいと判断せざるを得なかった。なので真偽がどうあれ、サラの死後に〈遠見〉として据える選択をしたのだ。お飾りであろうとも、他国がそれを知らなければ本物と同じ。充分に役割を果たせるはずだと」
ここで遠慮がちに「よろしいですか」と挙手があった。
「本物の〈遠見〉かどうかは、その能力で判別できるのでは?」
対する統領モレスキの答弁は淀みない。
「そこに関してはある筋から報告が上がってきている。『本物であるとの確証はついぞ得られなかった』とのことだ」
またしても室内がざわついた。
仮に現〈遠見〉のレンが偽物だったとして、それをニルバド皇国へ引き渡してしまった場合にどういう結果を招くか。
参加者の誰もが頭でそう問いかけ、同じ結論に達していた。
これでは「ヴァレリアに嵌められた」とニルバド皇国側の怒りを買うのは必定である。戦争は不可避とみて間違いない。
二つの案が潰されて振出しへ戻ったかに思えた議論だったが、三つめとなる案はすぐさま披露される。
「以上を踏まえてこの統領モレスキ、諸君に提案する。〈遠見〉のレンを亡き者とし、その死体をニルバド皇国使者のテスレウへ贈るべきだと。つい先ほど二人の顔合わせも済ませたのだ。レン本人だと確認してもらうのにうってつけではないか」
彼にとってはこの案こそが最初から本命だったのだろう。
「どのみちニルバド側は態度を硬化させるのでは」と疑義を呈する者もいたが、統領モレスキはまったく問題にしない。
「彼女自身が国を謀っていたと白状した、とすれば筋は通るだろう。ニルバドへ行くことを恐れ、錯乱しながらこれまで隠していた真実を告白した。テスレウへはそのように説明すればいい」
「なるほど。我々がその後始末をし、〈遠見〉制度は終焉を迎える。図らずもテスレウ殿に立会人となっていただく形へと持ち込むわけですね」
「その通り。これで大きく時間を稼げるはずだ」
満足そうに統領モレスキが頷く。
こうしてヴァレリア共和国としての結論は出た。レンの与り知らぬところで、半ば使い捨ても同然の非情な処遇が決定されてしまったのだ。
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