第15話 墓前に花束を

 長い話を語り終え、静かにマルコが言った。


「──そんなわけで、おれはあの方の下で働くことになりました。時期的にはダルマツィオの蜂起よりもかなり後ですね。言及に多少の抜けはあるにせよ、おれが見てきたすべてをありのままにお話ししたつもりです。もっとも、それを証明する術などありませんが」


 ここまでじっと耳を傾けていたレンはようやく口を開く。


「証明なら、できる」


 マルコが語るその壮絶な半生を聴きながら、レンも覚悟を決めていた。

 きっと誰にも知られたくない話ばかりだっただろう。ここで素知らぬ顔をしながら「いろいろ話してくれてありがとう」とだけ伝えることもできるが、それは誠実な振る舞いではない。


 彼女はマルコに訊ねた。


「ねえ、昔から身に着けている物って今もある?」


 しかしマルコの返答はあっさりとしたものだった。


「残念ながら、何も。奴隷として船に乗せられたとき、その手の物は全部取り上げられたんですよね」


「それもそうかあ……」


 彼の前で〈鑑定〉を披露する決意を固めていただけに、レンの落胆は激しい。

 ただマルコは何かに思い当たったようだった。


「いや、ちょっと待ってください。そういえば一つだけあります」


「ほんとに!」


 勢いよく椅子から立ち上がったため、その衝撃でカップに残っているお茶が波打った。慌てて飲み干し、レンは手を差しだす。


「じゃあそれ、わたしに少し触れさせて」


「構いませんが、いったい何をされるのですか」


「いいからいいから」


 レンの鼻息は荒い。

 有無を言わせぬ調子でさらにマルコへ詰め寄っていく。


「で、どれなの」


「もうお渡ししていますよ。先日お貸しした短剣がそれです」


「あれが!」


 自身の気まぐれといっていい行動がここで繋がり、否応なくレンは巡り合わせのようなものを感じる。

 あの短剣ならばいつでも手に取れるよう、仕事机の上を定位置としていた。

 今は机もクロスをかけられ、お茶会仕様となっているため移動させていたがすぐに手元へ持ってくる。


 前回、彼女が〈鑑定〉に及んだ際は柄へ触れることでその記憶を視た。

 ならば、と今度は鞘に目を向ける。


「レン様、その短剣なのですが──」


「静かに」


 何かを言おうとしていたマルコを制止し、短剣の鞘にそっと指先を当てた。


「この短剣にどういう物語があるのか、その断片をわたしが今から確かめてみるから。だからあなたは少しの間だけ黙って見ていて」


「レン様……」


 明らかに困惑している様子のマルコだが、レンの〈鑑定〉は既に始まっていた。


 彼女の眼前に現れた光景は丘の上だった。

 それがどこなのかまではわからないが、とても美しい眺めの場所だ。

 野山に咲き誇る色とりどりの花、草むらを駆けていく足の長い獣の群れ、さらにその向こうには橙色の屋根が連なっている街並みが小さく見える。


 そんな景色を背に、簡素ながら装飾を施された三つの棒が立っていた。太陽と月と星を表した細い線に、それぞれの棒に刻まれた違う名前。

 いずれの棒にも花束が供えられている。


「アンドレア、あるいはベルタ。最後の墓はこの名前でいいんだったな」


 声の主はまたしてもフランチェスコだった。

 その隣で跪いているのがマルコであり、目を瞑ったままで「ええ」と答えた。この場にいるのは彼ら二人だけだ。


「弟だったらアンドレア、妹だったらベルタ。決めていたんです」


「そうか」


 三つの棒が何であるのか、これでレンにも理解できた。

 マルコの父と母、そして生まれてくることができなかった弟妹の墓なのだ。


「本当に、ありがとうございます」


「よしてくれ!」


 語気を強めてフランチェスコが否定した。


「感謝をされる資格など私にはない。テザンの中には埋葬できなかったし、おまえ以外を見殺しにした事実はどれほど月日が経っても消えることはないのだからな」


「いいえ。おれの家族をこうして丁重に葬っていただいていただけでなく、この短剣までずっと預かってくださったとは」


 そう言ってマルコは腰に差していた短剣に触れる。


「十歳になったときの贈り物なんです。立派な商人になりなさい、と両親から。でもおれはニルバドでひたすら血塗れになって戦い続けた。もうどこにもおれと家族を結ぶものなんて残っていない、と思っていました。でもあなたはこうして再び結び直してくれたんですよ」


 レンが静かに視ていられたのはここまでだった。


「そんな大事なものをわたしなんかに!」


 意識が現実へと引き戻された瞬間に彼女は叫んでいた。


「突然どうされたんですか、レン様。しばらくやけに遠くを見つめられていたようでしたが」


 心配そうな表情でマルコが顔を覗きこんでくる。

 反射的に後ずさったレンは、ひとまず体裁を整えて「こほん」と咳払いをした。


「丘の上にあるお墓を見たよ。あなたの家族の」


「なぜそれを」


 よほど驚愕したのだろう。こんなに目を見開いたマルコは初めてだ。


「レン様に〈遠見〉の力は宿っていなかったはずでは。いや、そもそもあの場所を知っているのはおれと──」


「フランチェスコ、でしょ」


 先回りして答える。


「あなたの言った通り、わたしには〈遠見〉の力なんてまるでない。ただのお飾りの女に過ぎなかった。でも幸か不幸か、サラが死んでしまった後に〈遠見〉ではない他の力に目覚めたの。それは物に宿った過去の記憶を視る力。わたしはこの不思議な力を〈鑑定〉と呼ぶよ」


「〈鑑定〉ですか……」


 まだ飲みこみ切れないでいるマルコへ、さらにレンが告げた。


「もう一つ言い当てようか。弟だったらアンドレア、妹ならベルタ。そう名付けるつもりだったんだよね」


 ここまで状況証拠を積み上げられては、いかに荒唐無稽な内容といえどマルコもさすがに信じるしかないだろう。

 そう考えていたレンに対し、マルコはまだ抵抗を試みてくる。


「何だ、レン様も人が悪い。フランチェスコ様からすべて聞いていたんですか」


「あのねえ、そんなわけないでしょ。あのフランチェスコだよ?」


 サラ相手であればあり得ない話でもないだろうが、事務的な話題と嫌味の応酬に終始するレンと彼の関係ではそういった帰結にはなるはずもない。

 そんなのはマルコだってわかっているはずだ。


「では、では。本当に物を〈鑑定〉し、過去の記憶を視られるのですか」


 動揺を隠せないまま、ようやくマルコがレンの異能を認めた。


「まあね」


 ぶっきらぼうに返した後、誤解を招かないよう補足を加える。


「でもあなたが思うような、大層な力ではないよ。いろいろ試してみたけど、どんな過去の記憶を視られるかは選べないしね」


「とんでもない。人知を超えた、恐るべき力だとおれは考えます」


「どうして? 何も変えられないのに?」


 未来を視た初代統領ルージア・スカリエッティでさえ、〈遠見〉のミトとの関係の凄絶な終焉までは予期していなかったはずだ。

 わかっていれば絶対に避けたはずだから。

 おそらくは彼女もレン同様、能力に制限があったのだろう。

 もしかしたらヴァレリア共和国の繁栄と引き換えにして、様々なものを失った人なのかもしれない。


 未来視を持つルージアでさえそうならば、過去にあった出来事を傍から眺めているだけのレンにできることなどたかが知れている。

 せいぜい他者の秘密を暴くくらいがいいところだ。

 そんな卑下は内心だけに留め、片目を瞑っておどけてみせた。


「ま、こうやって過去を視られる人間がいるんだから、世の中には未来を視る人もいるかもしれないね。もちろん死相を視られる人も」


「後ろの方はかなり眉唾ものではありますが」


「あははは」


 笑い飛ばしたレンだったが、ここでふと当初の目的を半ばまでしか達成できていないことに気づく。

 上官と部下に留まらないマルコとフランチェスコの関係、ニルバド皇国についていろいろと詳しかった理由。

 知りたかったそのあたりについては納得できたが、もう一つ大事なことをすっかり聞きそびれていた。


「そういえばまだ肝心なところを答えてもらってないね、マルコ」


「何でしょう?」


「フランチェスコが言っていた、『大それた夢』の意味だよ。あの人はいったい何を企んでいるのか、それを教えてもらわなきゃ」


 ああ、と納得したマルコはあっさりと説明しだした。隠し立てができないのを悟ったからかもしれない。


「レン様はご存知ですか。〈遠見〉を務められた方が亡くなられた場合、その埋葬地は徹底的に秘匿されます。ヴァレリア共和国政府の中でも統領を始めとする、ほんの一握りの役職にある者しか知ることは許されていないのです」


 さらにマルコが続ける。


「共和国軍を率いる将軍という地位にありながら、フランチェスコ様にはその権利が与えられておりません」


「てことは、つまり」


「はい」


 マルコも明言こそしなかったが、言外に込められたその意味はきちんとレンに伝わっている。

 フランチェスコの目的はサラの埋葬地を知ること。


 そのためならばきっと彼は手段を選ばない。反乱を起こし国を転覆してでも、己の目的を達しようとするに違いなかった。

 一将軍のあまりに個人的すぎる理由によって、ヴァレリア共和国は終わりを迎えるのかもしれないのだ。


 サラへ寄せていた彼の感情は想像以上に重く、深い。

 ここにきてレンは、またしても自分がフランチェスコ・ディ・ルーカという男を随分と見誤っていたのだと突きつけられてしまう。

 同時に、彼の不遜にして純粋な夢を否定できないのを認めるしかなかった。

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