第8話 過去と未来
夜明け前には〈鳥籠〉が少し騒がしくなっていた。
フランチェスコ配下の兵士たちにより夜を徹して棺が運びこまれ、サラの遺体がこれ以上ないほど丁寧に納められていく。
目を閉じ、冷たくなった彼女へ最後のお別れを告げなければならない。
それでもレンにはいまだに信じられなかった。
もうサラとお喋りもできず、戯れて触れ合うこともできず、いつだって安心させてくれた温もりさえ感じられないなんて。
粛々とサラの死が確定していく眼前の光景が、彼女と過ごした日々からあまりにもかけ離れていておよそ現実のものとは思えないでいたのだ。
そんな中、レンとは対照的にフランチェスコは冷静そのものだった。
サラの死を確認したのも彼だ。取り乱したり感傷に浸ったりする瞬間などまるでなく、すぐに階下の護衛兵たちへと矢継ぎ早な指示を出していった。
「なんで……?」
放心状態が続き、誰とも会話していなかったせいでかすれた声しか出せなかったレンの呟きを、耳聡いフランチェスコは聞き逃さなかったらしい。
すぐに「どうした」と問い質してくる。
「訊ねたいことがあるなら今のうちだぞ。もうすぐ余計なところに神経を使う時間の余裕はなくなるからな」
彼の口振りはこれまでと変わりない。
いつもと同じ一日がまた始まるのだと錯覚しそうになるほどに。
そんな彼の態度がレンには心底気に入らなかった。余計なところ、という言葉の選択にはあまりに情がなさすぎる。
はたして彼とサラの関係はそんなに薄情なものだったのだろうか。
「フランチェスコ……様はさ、悲しくないの?」
だってサラがいなくなってしまったんだよ、と手を広げる身振りを交えて彼へと詰め寄った。
「わたしにはまだ信じられないよ。信じたくない。あんなに楽しかったのに。サラが傍にいてくれなければ、わたしなんてただの──」
「泣き言ならそこまでにしておけ」
まだレンが話している最中にフランチェスコが割って入った。
「いいか、よく聞けレン。おまえはこれからサラ様の跡を継ぎ、〈遠見〉となる。今のおまえに必要なのは過去の思い出にすがることではない。未来を見つめ、進んでいく覚悟を決めることだ」
「結局、あんたには仕事のことしか頭にないのね……!」
怒りを押し殺し、叫びたいのを堪えてレンは低い声で吐き捨てる。
「どうりで父親だって手にかけるはずだよ」
周囲にいた兵士たちが一様にぎょっとした顔で視線を向けてきたが、そんなことに構ってはいられない。
だが当のフランチェスコは平然としていた。
「否定はしないさ。根っからの性分なものでな」
開き直りともとれる言い草だった。
二の句を継げないでいるレンを尻目に、そのままフランチェスコは何事もなかったかのように元の話題へと戻していく。
「もうすぐ〈遠見〉としての継承式典が執り行われる手筈となっている。言葉遣いに立ち居振る舞い、サラ様ほどとは言わないまでも、それ相応の態度が求められているのだと自覚してほしい」
そして彼は言った。
「頼みましたよ、レン
◇
レンが〈鳥籠〉から下りるのを許可されたのはこれで三度目だった。
ヴァレリア共和国統領との面会を経て、次代の〈遠見〉として正式に認められたのが一度目。二度目はニルバド皇国について直接の報告を求められたサラの付き添いとして。
今、護衛兵たちに囲まれたレンは長い廊下を歩いていく。
そしてようやく会場に到着し、左右からおもむろに開かれた扉をくぐる。
継承式典などという厳めしい言葉の響きから想像していたのに比べると、拍子抜けするほどにこぢんまりとした雰囲気だった。
待ち受けていた出席者は両手で数え足りるほどしかおらず、場所も儀式を催すには随分と小さな部屋だ。窓が一つもないせいで、明かりが灯されていても室内は薄暗い。おそらく普段は使われていないのであろう。
「お見えになりましたな」
年嵩の男が口を開き、レンは奥へ進むよう求められた。
マルコら護衛兵たちは全員退出し、この場に残っているのは左右に分かれて立つヴァレリア共和国の首脳陣八人だけとなった。
その末席に将軍フランチェスコ・ディ・ルーカもいる。
左列の先頭にいた男だけが中央に進み出てレンを待つ。
太い眉が特徴的な彼の顔ならばレンにも見覚えがあった。歴代最年少の若さで統領に就任し、以来十年以上その座にあるモレスキである。
統領モレスキが重々しくレンへと告げた。
「我らがヴァレリアを護る新しき〈遠見〉の娘よ、ここへ」
元よりレンに選択肢はない。言われるがままに統領モレスキのいる場所まで歩を進めていき、あと二、三歩という位置で立ち止まった。
彼は両手で椀のような形を作っており、紫紺の布に包んだ球体を恭しく祭壇へ捧げるようにレンへと差しだしてくる。
「石……?」
思わず疑問が口をついて出た。
だが統領モレスキは別段咎めもしない。
「そうだ。サラの後継となる〈遠見〉の娘よ、これはヴァレリア建国の祖、初代統領であるルージア・スカリエッティ公と、常にその傍らにあった〈遠見〉のミト、二人の手によって掘り出され、磨かれたとされている石なのだ」
手のひらを置いて触れなさい、と統領モレスキが求めてくる。
「誓うのだ。ヴァレリアの歴史を最初から見守っていたこの石へ、歴代の〈遠見〉たちと同じくその身を捧げることを」
室内の空気は張り詰めていた。
これからレンのとるべき行動こそが、〈遠見〉を継承する上での最も重要とされている儀礼的行為なのだろう。
モレスキの言葉に従い、レンはおずおずと球体へ手を伸ばした。
そして彼女の指先が球体へと触れた瞬間、いきなり別の場所へ放り出されたかのような衝撃を受けた。
もしかしたら雷に打たれたのだろうか、と思ってしまうほどであったが、ここは政庁内でも非常に奥まった部屋だ。そんなことはありえない。
いつの間にか、レンの眼前には球状の石に触れている二人の女がいた。
一人はもう片方の手で高々と剣を掲げており、赤い髪をした別の一人は白い歯を見せて無邪気な笑顔を浮かべている。
突然「時は来た!」と剣を掲げた女が叫んだ。
「諸君、ここにヴァレリア共和国の建国を宣言する! 勤勉で誇り高く、悪政に耐え抜いた不屈の民よ、ルージア・スカリエッティはあなた方に約束しよう。誰も飢えることなく安心して暮らせる国を作ると。
野蛮な者たちによる侵略を決して許さず、富を求め皆で分かち合い、必ずや天をも凌ぐ至上の国を!」
先ほどまで静まり返っていたはずの空間に、万雷の拍手と口笛、喜びと涙に満ちた絶叫が混然一体となって響き渡る。
やっとレンは気づいた。
ルージア・スカリエッティを名乗った女が立っているのは政庁前の広場であり、まさしく初代統領の立像がある場所だ。
いったい自分が目にしている光景は何なのか。夢か幻か。
ヴァレリア共和国の重鎮たちが見守る中、〈遠見〉の継承式典を行なっていたはずではなかったのか。
彼女がその答えをつかむのは、もう少しだけ先のことである。
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