第60話 知らされた“その日”(※sideアレイナ)

(…俺にクラリッサを捨てさせ?……はぁ?何を言ってるのよあいつ。自分があの女を捨てて私を選んだんじゃないの。何もかも上手くいかないからって、責任転嫁するんじゃないわよ。しょうもない男ね…)


 いくつもの障害を乗り越え、ついに結ばれたはずの私たちの真実の愛。

 だけど結婚してまだ日が浅いというのに、互いの気持ちは大きくずれはじめ、二人の間にはすでに大きな亀裂が生じてしまった。

 ダリウスは私との結婚を後悔している。

 クラリッサ・ジェニング侯爵令嬢と別れたことを後悔している。

 ダリウスのあの一言でそのことが分かってしまい、私は怒りと悔しさでいっぱいになった。そして同時にどうしようもない惨めさが襲ってくる。


(私は内心エリオット殿下と結婚できなかったことをいまだに惜しんでいる。そして夫はエリオット殿下と婚約したクラリッサ・ジェニングに対していまだに未練タラタラ…)


 選ばれなかった私。人生の選択を誤った、余り物同士の惨めな私たち。そして今や共に落ちぶれていっている……。


(……ううん、ダメ。こんな馬鹿なことは考えてはダメよ。今だけじゃないの。今が一番辛い時。このどん底から這い上がってからが私の本当の人生の始まりなんだから。ダリウスが学園を卒業するまでの辛抱だわ)


 何があったのかは知らないけど、ダリウスは今勉強や学園のことだけで手一杯らしい。だから先日のような喧嘩になってしまったんだろう。

 あいつが卒業したら、領地の仕事に専念しはじめる。そうなってから私たちの巻き返しが始まるんだから。


(きっと学期末試験やら何やらで大変な上に、あのジェニング侯爵令嬢が殿下との婚約で皆からもてはやされているのを見て落ち込んでいるのよね。私へのムカつく態度は許せないけれど、……まぁ仕方ないわ。今は我慢してやるしかない)






 せっかくディンズモア公爵家に嫁いだというのに、公爵夫妻からは日々厳しく節約を言い渡されろくに買い物もできない。結婚以来新しいドレス1枚買わせてはもらえないし、三度の食事もごく質素なものばかりだった。


「ドレスやアクセサリーならあなた充分に持ってるじゃないの。もううちはどこのお宅のパーティーにも晩餐会にも呼ばれることはないのよ。一体何のために新しいドレスがいるって言うの。お金は全くないのよ。贅沢言わないでちょうだい。それも全部あなたたちのせいでしょう。買うどころか、むしろ少しはあなたの贅沢な持ち物を売って生活の足しにしてほしいぐらいだわ!」


「うちはもう食べていくのがやっとの家なのよ。仕事もろくに覚えないくせに食事が質素だからと文句を言われたのではたまったものじゃないわ。しょうがないじゃないの。あなたたちのせいでジェニング侯爵家には慰謝料を支払い、ミリー嬢のせいでうちよりさらに貧困に苦しんでいるあなたの実家にも生活費を支援させられているのよ。余裕は一切ないの。文句を言うならもっとしっかり働いてちょうだい。あなた、フィールズ公爵家で一体何を学んできたの?どうしてこんなに役に立たないの?」


 ディンズモア公爵夫人は弱って寝込んでしまった公爵の分までと言わんばかりに私をネチネチといびってくる。いつまで経っても金のことで文句を言われる。

 無理矢理出勤させられると、今度は店の女たちがまるで私をサンドバッグ扱いだ。接客がダメ態度がダメとあらゆることに口を出し説教ばかり。

 ダリウスに助けを求めても冷たくあしらわれるだけ。

 せめてたまには茶会を開いて気分転換をしようと思っても、誰一人参加してくれない。

 心安まる時や楽しいことが全くないままに、ディンズモア公爵家はどんどん貧しくなり、そして月日は過ぎていった。






 ダリウスの卒業を間近に控えたある日のこと。

 ディンズモア公爵家が経営する店は貴族たち富裕層の客離れが激しく売り上げは落ち込む一方で、私たちの生活はますます苦しくなっていた。


 そんな中、私はほとんど寝たきりになってしまった公爵の薬を取りに来させられていた。屋敷の使用人たちも大幅に解雇し、雑用に手が回らないのだ。


(なんで私がこんなお使いを頼まれなくちゃいけないわけ?ああ、もう嫌…。つまらないことばかり)


 溜息をつきながら街の大通りを歩いていると、向かいから見知った令嬢たちが数人歩いてくる。私は馬車を降りて一人で歩いていたけれど、向こうは背後に何人も護衛や侍女らしき者たちを従えていた。


(あれは……学園で同級生だった子たちだわ!)


「カリーナさん、イヴォンヌさん!それに…、まぁ、ルーニー子爵家のシエラさんね?久しぶりじゃないの!お元気だった?」


 私は嬉しくなって自分から声をかけた。何せ学園を中退してダリウスと結婚して以来、かつての友人たちとは一切会うことがなかったのだ。中には茶会に呼んで断られた子もいたけれど、同級生と再会できた喜びの方が大きかった。


「……あら……フィールズ公爵……じゃなかった、今は、何でしたかしら?」

「ほら、ノリス男爵家でしょう?あそこは」

「ま、そうでしたわね。ふふ。ご無沙汰していますわ、ノリス男爵令嬢」


 3人は顔を見合わせてクスクス笑いながらそう言うと、私を値踏みするようにジロジロ見てくる。すぐに話しかけたことを後悔した。


「まぁ、懐かしいですわね、ノリス男爵令嬢のそのドレス!私覚えていてよ。随分以前にお茶会で着ていらっしゃったわね、たしか。あれは……何年前だったかしら」

「ご実家も嫁ぎ先のディンズモア公爵家も大変なんですって?素晴らしいわね、そうやって古いドレスを着回して節約なさっているのね」

「……っ、別にそこまで困ってはいないけど。嫌だわ、変な噂が出回っているのね。実家はまぁ妹のせいで一時期はそれなりに大変なことになってしまったけれど、ダリウスの実家は羽振りがいいから。ちゃんとたっぷり支援しているし、どちらの領地も随分持ち直したのよ」


 思わずムキになって虚勢を張ったけれど、ま、そうですの、などと言いながら3人は目配せしあっている。


(何よ、感じ悪いわね……!)


 こうなったら思いきり豪勢な茶会を開いてやるわ。それを見て少し黙ったらいいのよ。

 私は何も気にしていないふりをして3人に声をかける。


「そうだわ!月末にお茶会を開こうと思っているのよ。先日ディンズモア公爵のところに外国からのお客様がいらしてね。たくさんの手土産の中に美味しいお茶菓子がいろいろあったの。あなた方もいらっしゃる?」


 茶菓子など適当に調達すればいいと思い私は作り話で令嬢たちを誘う。ところが3人は「月末ですって?」と驚いた顔を見合わせると露骨に私を馬鹿にしたように笑いはじめた。


「嫌だわアレイナさんったら、見栄を張ったってバレバレですわよ。社交界にもう交流のある方がいないのね」

「本当だわ。だから何も情報が入ってこないのかしら」

「……は?何よそれ。一体何が言いたいわけ?!」


 苛立って尋ねると、1人が言った。


「もし本当に開催されたとしてもね、この月末の大切な時に、あなたのところの寂れたお茶会なんか誰も行くはずがないわ。だっていよいよエリオット殿下とクラリッサ様の結婚セレモニーが開かれるんですもの!」

「………………え……?」

「今や学園中月末のセレモニーの話題で持ちきりよ。クラリッサ様も皆に囲まれて毎日お祝いを言われていてとてもお幸せそう」

「ええ。幸せなオーラが滲み出て、ますますお美しさに磨きがかかったわよね。才色兼備で、本当に素敵なお方…」

「あなた方のお宅には……そうよね。その日の晩餐会の招待状なんか、届いているはずがないわね」

「当たり前よ。クラリッサ様を溺愛していると噂のエリオット殿下が、そのクラリッサ様を傷付け訴訟沙汰にまでなったこの人たちを招待するはずがありませんもの」


 ……結婚、セレモニー……?

 卒業後、そんなに早く……?


 何も知らない私は、動揺のあまり3人を見つめたまま呆然とする他なかった。


「では、失礼しますわね」

「もう私たちには話しかけてこないでちょうだい。あなた方と親しくしているなんて社交界で噂になってしまったら大迷惑ですわ」


 そう言い捨てると彼女たちは護衛や侍女をぞろぞろと引き連れてさっさと行ってしまったのだった。


(……あの女が、ついに、……エリオット殿下の妻になる……)


 分かっていたことだ。だけど、ついにその日が来てしまうのかと思うと体が途端に鉛のように重くなる。


 ふいに、幼い頃のことを思い出した。


 茶会の席でダリウスの後を一途に追いかけていた白いエプロンドレス姿のクラリッサ・ジェニング。王妃陛下の隣に座ったエリオット殿下が、優しい眼差しで彼女をじっと見つめていた。


 今度は純白のウェディングドレス姿になったあの女を、殿下は愛おしくてたまらないという風に隣に寄り添って見つめるのだろう。


 私は拳を固く握りしめた。


(……不幸になればいい。何か大失敗でもやらかして、エリオット殿下に愛想を尽かされればいい。見てなさいよ。こっちだって、このままでは終わらないんだから……!)




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