いっせーのせ

ミドリ

1 スタートラインに立てない

 いつだって僕は、周りと同じスタートラインに立てない。


 最初に記憶にあるのは、小学校の入学式だ。お受験に失敗して地元の公立小学校に通うことになったのが、お受験を自慢していた母さんにはどうしても許せなかったらしい。


 母さんは寝室に閉じこもり、出てきてくれないまま入学式の日を迎えた。


 当時も今も、僕は荒事が苦手な、気弱な平和主義者。そんな僕は、父さんによく似ている。つまり父さんも、強く出られない気弱な人ってことだ。ちなみに父さんは儚い系美人ってよく言われている。


 そんな父さんが必死に支度をしてくれたので、ちょっとよれよれになった一張羅を着て入学式に向かった。だけど、場所を間違えたりもあって見事に遅刻。体育館に遅れて入った時、全員が僕を振り返った時の目が怖くて、僕はその場でお漏らしをしてしまった。


 それから暫く、僕のあだ名はオネショになった。寝てないよっていう僕の主張は、誰も聞いてくれなかった。


 次に記憶に残るのは、中学受験の日だ。張り切る母さんの連日のプレッシャーからか僕の胃に穴が空いてしまい、試験を受けられなかった。当然、地元の公立中学校に通うことになる。


 母さんは僕の身体がか弱いから受験できなかったと言い訳する為に、あろうことかようやく回復基調にあった僕に胃薬だと偽って下剤を飲ませ続けた。どんどん痩せていく僕を父さんは心配したけど、母さんが「私の育て方が悪いっていうの!?」とヒステリーを起こすから病院には行けず。


 結局母さんが飲ませていたのが下剤だと薬の空き箱で父さんにばれ、離婚騒動が勃発した。すると母さんが警察を呼んだりと大騒ぎを始める。ビビりまくった僕と父さんは、手と手を取り合って知らない土地へ逃げた。それが入学式の日だった。


 幸い、父さんの職業はミステリー作家。通勤も必要ないので、好きな土地に住むことができる。


「僕と拓夢ひろむは、人生で一番のミステリーを経験してるよ」と溜息を吐いた父さんに「僕たちを小説のネタにしたら売れそうだね」って言ったら、「死体を転がさないと売れないかなあ……」と物騒なことを呟かれた。以来、この話は父さんとはしていない。殺人犯の息子にはなりたくないもんね。


 見知らぬ土地に住居を移しほっとひと安心したところで、またもや騒動が起こる。母さんが「子供を誘拐された」とテレビ局に投書してしまい、まあとんでもない騒ぎになったのだ。


 結局、最終的には母さんが精神的に不安定で見栄っ張りで虚言ばっかり垂れ流しているヤバい人、というのが周りに伝わった。だから父さんは離婚もできたし僕の親権も得ることができたけど、そりゃまあ大変だった。半分記憶が吹っ飛んでいるくらい、なんかもう色々あった。


 母さんは実家の監督の元、精神病院に入院することになった。これでもう大丈夫だって父さんと胸を撫で下ろしたけど、だからといって地元に戻るなんて、人の目が怖くて絶対無理だ。だから、誰も知り合いがいない地方に引っ越して、そこで無事に中学校を卒業した。


 高校は、オンラインだけで済む通信制高校を選んだ。入学式は出ても出なくてもいいと言われたので行こうとしたら、人身事故が起きて電車が止まった。僕と父さんは「つくづく入学式に縁がないね」と苦笑すると、近くのファミレスに入って二人で入学を祝った。


 その後の三年間は、穏やかなものだった。こっちには知り合いもいないし、数年前に一時いっとき世間を騒がせた親子のことなんて、もうみんなすっかり忘れてる。ただ、父さんが小説家だとマスコミにはバレてしまっていたせいで、父さんには取材の申し込みがあったこともあったらしい。でも、全部断った。もうあの頃のことは忘れたかったんだ。僕も、父さんも。


「女なんて怖い」という共通認識を持った僕らは、今後は二人で密やかに生きていこうなんて語り合った。僕はこれまで彼女なんかいたことがなかったし、恋をする心の余裕もなかった。だからこのまま一生恋なんてしないで生きていこうと思っていて、それでいいと思っていた。


 そんな時、大事件が起きたんだ。


「ごめん、拓夢ひろむ……父さん、この人と恋に落ちてしまったんだ」


 と言って父さんが紹介してきたのは、父さんが最近足繁く通うようになっていたバーの店長だった。


 ガッチリとした体躯の、無精髭を生やしたひっつめのダンディなおじさんだ。おじさんなので、当然男の人だ。


拓夢ひろむくん。俺は拓人ひろとさんを隣で守っていきたいんだ。頼む……俺たちの仲を認めてくれないか」

拓夢ひろむ、頼む!」

「ええ……」


 おじさん二人に深々と頭を下げられ、嫌だと言えるほど僕の気は強くない。


「お、お幸せに……」

拓夢ひろむくん!」

拓夢ひろむ! ありがとう!」


 おじさん二人の目に浮かんだ嬉しそうな涙を見て、まあいっか……と思えた。本人たちが幸せなら、それでいいと思う。父さんだって、僕がいなければしなかった苦労だって沢山あった筈だ。だったらこの先の人生は、父さんの幸せに注力してもらいたいと思う僕の気持ちに、嘘はない。


 例えそれが、男同士の恋愛だとしても。最近ボーイズラブも流行ってるし、うん、いいんじゃないかな。どっちがどっち役とか、深いことさえ考えなければ。


 父さんは店長の家に引っ越すことになった。この町から少し離れた地方都市での就職が決まっていた僕は、この春からひとり暮らしをする予定になっていたから、問題なかった。


 今住んでいる家は引き払うことになるけど、長年住んだ訳でもないので、思い出も大してない。


「連絡、ちゃんとするんだよ!」

拓夢ひろむくん、うちの部屋余ってるから、遠慮せずしょっちゅう帰ってきてよ!」

「うん。でも、二人とも新婚なんだから僕のことはあまり気にしないでいいからね」

「し、新婚だなんて……っ」

「はは、拓夢ひろむくんは本当にいい子ですね、拓人ひろとさん」

「うん……!」


 イチャイチャしだした二人を見ないようにして、僕はスーツケースを持って引っ越していった。


 今度こそ、周りと一緒のスタートラインに立って、いっせーのせ! で同時にスタートを切るんだ。


 そう思っていた時が、僕にもありました。


 いざ、入社式に赴くと。


 社屋の入口には、書き殴ったような張り紙が一枚。


 僕が入社する予定だった会社の倒産を告げるものだった。


 僕はつくづく周りと同じスタートラインに立てないらしい。もう笑うしかなかった。

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