旅立ちの時

寿甘

起動

 人類は滅亡の危機に瀕していた。人類は、というより地球がもう限界を迎えようとしているのだ。


 もう何千年も前から言われていたこと。太陽は膨張して赤色巨星となり、地球は飲み込まれて消滅する。とはいえそれが起こるのはまだ何億年も先のことだ。現在の地球は、太陽の膨張によって生命の存在が可能な範囲とされる『ハビタブルゾーン』の内側ギリギリまで近づいてしまっている。当然、気候は最悪だ。世界中の至る所で天候が荒れ狂い、人類は千年ほど前に作られたいくつかの巨大ドームの中でしか生活できない状態になっている。


「いよいよ地球ともお別れですね」


「ああ……地球が滅亡する前にこの恒星間移動船が完成したのは幸いだった」


 人類はただ手をこまねいて滅亡の時を待っていたわけではない。地球を捨てて宇宙の彼方へと脱出することは、百年以上前から決められている。ただ、目的地の選定と移動中の生命維持、そして『何をどれだけ持っていくか』ということを決めるのに激しい議論が繰り返され、少しでも多くの人間が生き残れるようにと使命に燃えた研究者達が大いなる努力を続け、ついに全人類の98%もの人間を運び出せる手筈が整ったのだ。


「宇宙船の中を見てきたんですけど、快適そのものですよ!」


「ほとんどの移動時間を人工冬眠ハイバネーションで過ごすのに、快適性をあそこまで求められるとは、予想外だったよ。もしその要求が無かったら、あと1%は多く乗れただろうに」


 これから恒星間移動船に乗る職員と、この『移民計画』の責任者である初老の男が離陸前の最終チェックを終えて話している。


「いいじゃないですか。たった1%の乗員よりも98%の満足感ですよ」


「……そうか」


 男はそれだけ言うと、船に乗る人々のハイバネーションを実行するために船内の操作室へ向かう。話していた職員は、永遠に離れることになる地球を振り返ることもなく、自分の眠るスペースへと入っていった。


「乗員の皆様はスリープベッドにお入りください」


 マイクを使って数回アナウンスをし、全ての人類がスリープベッドに格納されたことを確認した男は、装置を起動させた。


「おやすみ、人類」


 マイクを切って、誰も聞くことのない呟きを残すと男は船を自動操縦モードに切り替え、船から降りた。全ての人を救わない決断を下した時、男は自分が2%に入ることを決めていたのだ。誰にも伝えることなく。


「地球で生まれたんだ、地球と一緒に死ぬのも悪くはないさ」


 地球に残された人々は、もはや地球と運命を共にするものと覚悟を決めている。だが、自ら望んだ者はそう多くない。地球に残る2%は、公正を期すために抽選で決められたのだ。暴れて取り押さえられた者もいる。男に罵詈雑言を投げかけた者など、数えきれないほどだ。だから、宇宙船の離陸地点は広く壁に囲まれ、地球に残される者達は壁の中へ入ることを禁じられていた。


 その壁から男が出てきた時、人々は目を疑った。宇宙船は先ほど新天地へ向けて飛び立っていった。なのに、責任者が何故ここに残っているのかと。


「さあ、残された我々だけの生活を始めようじゃないか。なにも地球は明日いきなり爆発してなくなるわけじゃないんだ。ドームの中ならまだまだ生きていける。なんならもう一隻作ってしまおうか」


 清々した顔でそう話す男を、責める者はいなかったという。


◇◆◇


「おや、恒星197602の安定装置がエラーを起こしているぞ」


「おいおい、大丈夫か。だいぶ膨張しているみたいだけど」


「心配はいらない、まだどの惑星も飲み込まれていないし、再起動してやれば元通りさ」


「一万年ぐらい膨張を続けていたのに、いきなり小さくなって惑星の軌道とか大丈夫か?」


「平気だって。ほら、問題なく起動した」


「気をつけろよ、生物が進化した惑星もあるんだから」

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旅立ちの時 寿甘 @aderans

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