誇らしい私の娘
あとこ
第1話
今日の仕事はアヴァさんとのペアだからすぐに終わるだろう。
扉の右上に愛想なく表記された部屋番号を確認してから、ドアハンドルに手をかける。指紋認証の働く音はしない。既に鍵もかかっていないのだ。
部屋の主は、つい最近
特に今日のような上層階特有のはめ殺し窓ばかりの部屋は無人になるとすぐに空き家臭がしてくる。
部屋の家具はベッドと小さなビューローのみだ。個人情報がわかる物や貴重品は
耳たぶのスイッチでコンタクトアイカメラ機能を起動させ、部屋の様子を撮影して会社に送ろうとしたところで、アヴァさんに止められた。
「報告あげるのは少し休憩してからでいいよ」
「なんでです?」
「我々は仕事が早い。しかし仕事を早く片付けたからと言って、報酬が増えるわけじゃないし、場合によっては今日の
人民の行動を把握する監視ドローンにサボタージュを見つかったら面倒だと思うが、こんな高層まで登ってくるドローンもそういないだろう。
「まあ、そうですね」
アヴァさんにつられるように私も床に腰を下ろした。薄いカーテンの隙間から射してくる日差しが心地よい。高層階は日当たりだけは最高だ。
私達の仕事は
コポコポと水筒からお茶を淹れてアヴァさんが手渡してくれる。
「この部屋のコップですよね」
私が少し眉をしかめたのをアヴァさんは見逃さない。
「綺麗に洗ったのは保証するよ」
「洗ったの、私ですけどね」
「飲まないの?」
「飲みますけど」
飲み込もうとした瞬間、想定外の甘苦さがのどを刺激し思わず咽せた。
「アヴァさん、このお茶、変な味」
「ええ?ただの緑茶だけどなあ」
私からコップを受け取ったアヴァさんは一口飲み、そして頷いた。
「これは……
そしてコップのお茶をためらいもなくシンクに捨てた後、グラスの底に指を突っ込んだかと思うと、ぺらりと透明な丸いシールを剥がした。
「透明の
ちょうどグラスの底と同じ大きさの円になるようなシールに成形していたせいで、グラスを洗った時にもまったく気づかなかった。
アヴァさんは顎を撫でて言った。
「しかも
「ヤバいじゃないですか。会社に報告しなきゃですよね」
焦る私と対照的にアヴァさんは床にごろりと寝そべった。
「面倒くさいから放っておこう。何も気が付かなかったふりで、すべて闇に葬ろう。世界はそうやって回っているんだよ」
あっという間にシャツを捲られ、とんとんと私の背中の素肌を叩いてくる。アヴァさんはその拍子に
「いやだ、剥がしてくださいよ」
ちょうど私の手の届かない背中の中央だ。
「いやだね~」
アヴァさんは歌うように言って尻を掻いた。どうやらここで昼寝する気らしい。
家に帰ってすぐに寝室へ向かう。レンシャリアは、私が朝家を出た時と同じ格好でベッドにいた。
「おかえり」
「ただいま」
「ごめんヴァリ……、あの」
「お尻気持ち悪い?すぐ拭くね」
レンシャリアの陰部を拭いてオムツをあてがう。慣れた作業だ。
天井に設置した介護用アームを操作することで、レンシャリアは自分の身体を持ち上げ、ベッドの隣のトイレで用を足すことはできる。
「帰ってきて早々に、ごめんね」
「謝らないで」
「うん……そだね」
レンシャリアと私は五年前にパートナー婚をした。どちらもN5の同ランク婚だから珍しくない。
想定外だったのはレンシャリアの病気だった。結婚して数年後、彼女が何もないところで躓いたり、起きぬけに喋りにくくなったりするようになった。病院にかかったが、進行を遅らせる薬はあるが高価なためN5ランクには使用許可がないとのことだった。年齢が若いせいか進行が早く、ついにはベッドから起きることも一人ではできなくなってからもう一年以上経つ。
それでもいい。彼女が笑ってくれれば私はそれでいい。
レンシャリアのために作ったペースト状の夕食を食べさせながら、私はアヴァさんの話をする。
「あの人も相変わらずテキトーっていうか、仕事はデキるんだからもっと出世をめざせばいいのにね」
レンシャリアはいたずらっぽい瞳をきらめかせて言った。この目が私は好きだ。
「ヴァリだってもっと出世を目指せばいいのに」
「所詮このランクで出世したところで、天井は見えてるし」
私が前髪を掻きあげながら言うと、レンシャリアは笑った。
「その言い方、アヴァさんに似てる」
「え~、地味に嫌なんだけど」
お互いに顔を見合せて笑った後、レンシャリアが咳払いしてから言った。
「あのね」
私はレンシャリアの美しい唇が動くのを見た。
「明日、私は
突然、世界から音が消えたような気がした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます