第15話 シスコンの思いつき
四月は瞬く間に過ぎ去ろうとしていた。
この先、五月にはゴールデン・ウィーク、六月にはレイニー・デイと重要な行事が控えており、女子の目を意識しすぎる男子どもの雰囲気はいまだに落ち着かない。
学園内で最も浮足立っていたのはユタで間違いないだろう。何せやつは早くも海用のゴムボートを購入しやがったのだ。こいつがまた結構なお値段らしいのである。
「これで夏は女の子と……。ぐふふ」
先走りしすぎな上に気持ち悪いこと山のごとし。
そんなユタを筆頭とする男子寮生の突き上げを食らい続けたおれは、どうにか四月下旬に女子寮との合同イベントを企画、そして実行に至った。ただし非常に健全なスポーツ・レクリエーションだが。
世に言う合コン的な集まりを期待した連中からはブーイングの嵐だったものの、大多数の寮生には概ね好意的に受け止められたのではないかと思っている。
その際におれは一人の女子寮生と親しくなった。
宮沢まどか、あの宮沢先輩の妹だ。
男子寮と女子寮、互いにそれぞれの幹事を担当していたからなのだが、ついこの間まで小学生だったとは信じられないほど彼女は優秀だった。さすがに血は争えない。
見た目も中身も「同学年か?」と錯覚してしまいそうになるまどかと一緒にいると、案の定というかあらぬやっかみを受ける機会がさらに増えてしまった。
中でもおれに対していちばん当たりがきつくなったのはまさかの兄である宮沢先輩なのだ。
「てめえ、誰に断ってまどかと仲よくなってやがる」
いったい何度このセリフを吐かれただろうか。
あっけなくおれは寮内におけるシスコン王座から陥落し、代わって寮長自らその座に就いたわけだ。
宮沢亜希人の株は大暴落、もはやおれの中でストップ安となってしまった。
とはいえ、彼に対する恩義を忘れたわけじゃない。
二年前の六月十四日、まさにレイニー・デイその日に妹の花南が誘拐された。有坂姉妹の父であり刑事でもあった辰巳さんの尽力もあってどうにか事なきを得たが、おれの周囲は一気に騒々しくなってしまった。
マスコミ、近所の人たち、親戚、小学校時代の友人たち、どいつもこいつも他人の家庭に起こった事件が面白おかしいらしく、同情するフリをして派手なイベントに乗り遅れまいとしやがる。
自分の手の骨が折れるほど殴り飛ばしたいと思ったのは一度や二度ではなかった。
そんなときにまだ見ず知らずのおれへ声をかけてくれたのが宮沢先輩だったのだ。
「志水陽平、おまえさえよければ寮に来い。阿呆なやつらしかいないが、つまらないものからは全力で守ってやる。約束するよ」
彼はその約束をきちんと果たしてくれた。半信半疑で入寮してきたおれに、誰も事件のことを話しかけてきたりはしなかった。
花南といえばだ。もうすぐやってくるゴールデン・ウィークの帰省をどうするか、その是非を決断しなければならない。
春休みに二泊しかしなかったおれに不満顔を向けたあの子のことだ、もし今回の帰省を見送ろうものならさらなる怒りを買ってしまうだろう。
女子寮との合同イベントとしてスポーツ・レクリエーションを行った翌日の月曜、授業を終えて寮に戻ってきたおれは寮監の二階堂さんに呼び止められた。
「おう志水、妹さんから手紙が届いているぞ」
「どもです」
ごく薄い桜色の封筒を持っている二階堂さんにぺこりと頭を下げる。
「おまえ、ちゃあんと返事を書いているんだろうなァ?」
大股で近づいてきた二階堂さんはおれの肩をつかみ、どすの利いた声で半ば恫喝のように問うてきた。
おれは啄木鳥のように首を縦に何度も振る。
「もちろんです、書いてます、何なら今から書きます」
「それならいい」
納得しておれを解放してくれた二階堂さんはまた大股で寮監室へと去っていく。
ふう、と一息ついたおれはやっと自室に帰ることができた。蜂谷は部の練習か道場での出稽古か、いずれにせよまだ戻ってきていない。
ユタあたりから邪魔が入る前にさっそく花南からの手紙の封を切る。
だいたい文面の想像はつく。ゴールデン・ウィークが目前に迫っているので、今回はちゃんと帰ってきてよという念押しの手紙なのだろう。
「まったくブラコンもほどほどにしねえとな」
そう独り言ちながら便箋に目を落としたおれは、そこに記されていた予想の斜め上をいく内容に「マジかよ!」と素っ頓狂な叫び声をあげてしまった。
ちょうどそのとき、ドアがノックされてからノブが回された。この寮にわざわざ丁寧にノックする育ちのいい人間なんて数えるほどしかいない。
「どうした志水」
ドアを開けたのはやはり宮沢先輩だった。
「昨日のレクリエーションでのジュースやら菓子やら、買い出しの分の金は寮の経費で計上できるからレシートをもらいにきたんだが……いったい何事だ」
立ったまま便箋を持って固まっていたおれを見て、宮沢先輩は明らかに訝しんでいる。これはまずい。
「あ、いや、何でもないっす」
どうにか取り繕おうとするも「そんなはずないだろ」と一蹴されてしまう。
「ん、それだな」
言うが早いか、部屋に入ってきた宮沢先輩はおれから手紙をひったくった。
「ちょっ、おれのプライバシぃー!」
「この寮にそんなものは存在しない。ここでは好奇心がすべてに優先される。知っていたはずだろ? 忘れていたならもう一度よく頭に叩きこんでおけ」
無情な宣告をした宮沢先輩が「どれどれ」と便箋を開く。
肩を落としたおれは膝を抱えた体育座りで先輩が読み終わるのを待つほかない。
首を傾げながら宮沢先輩が便箋を綺麗に折り畳んだのは、体感で一分ほど経った頃だろうか。
「とりあえず感じたのは」
おれに手紙を返しながら先輩は続けた。
「やはり妹は素晴らしいってことだな。それはともかく、これのどこが問題なんだ」
「だって直接こっちに来るんですよ」
そうなのだ。どれだけおれのことが信用できないのか、近々ゴールデン・ウィークに突入するにあたって、花南はわざわざ姫ヶ瀬までおれを迎えにくるつもりなのだという。
確かに勝手知ったる土地ではあるのだが、だがしかし。
葛藤しているおれの肩に、先の二階堂さんとは違ってぽん、と優しく手が置かれた。
「いいじゃないか。妹ちゃんが望むようにさせてやれ」
「先輩……」
「それにな、いいことを思いついたんだ」
宮沢先輩が口の端を上げてにやりと笑う。
あ、だめだ。これはデジャヴを感じる笑顔だ。
「志水。妹ちゃんには片道切符で迎えにおいでと伝えておいてくれ。おまえも当日までバスだろうが列車だろうがチケットを買うんじゃないぞ。もしこの約束を破ったなら寮長権限を行使してありとあらゆる嫌がらせをさせてもらう。本気のやつだからな」
万事おれに任せておけばいい、そう言い放って宮沢先輩は慌ただしく部屋から出ていった。当初の用事だったはずのレシートの件は思い出しもせず。
宮沢先輩の意図がようやくわかったのは花南がやってくる前日、それも夜になってからのことだった。
驚くべきことにあの男、おれの実家最寄り駅までの列車の指定席券を四枚も購入していやがったのだ。おれと花南、宮沢先輩、そしてもう一枚は宮沢まどかの分。
「二組の兄妹、こいつはもう楽しくなる予感しかしねえだろ」
呑気にそんなことを口にする彼とは対照的に、これから間もなく訪れる波乱に満ちた旅路を思って軽く眩暈がした。
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