第8話 再会の続き〈2〉

 葵と泉、彼女たちを幼い時分からよく知っているが、互いの仲がすこぶるいいわけではないにせよ昔はとりたてて険悪ではなかった。

 風向きが変わったのは三年前だ。この双子の姉妹は小学校時の卒業式直前に壮絶な喧嘩をやらかしている。


 小学校最後の日だからといって、別にこれといった感傷に浸るわけでもなくいつも通り普通に登校してみれば、違うクラスの友達が血相を変えて飛びこんできたのだ。


「やばい、志水マジであれやばいって!」


「おーう、おはようさん。なになに、いったい何のことだよ」


「ばか、いいから早く行け! 二人の有坂がガチでやりあってんだって。喧嘩なんて感じじゃなく、あいつら本気なんだって。先生たちも式の準備中だし、止められるのはおまえくらいなんだよ!」


 六組だからな、と怒鳴る声を背に受けて返事もせずにおれは走りだしていた。六組は泉のいるクラスだ。

 内心では「あいつら、また面倒なことを」とぼやきながら。


 急いで駆けつけた六組の外では、教室へ入らずにたむろしている児童たちが廊下から中の様子を見守っていた。

 いや違う、その子たちはあまりの尋常でなさに入れずにいたのだ。それほど教室内の状況はひどかった。

 ほとんどの机が横倒しにされ、中身はどれが誰の持ち物かわからないくらいに散乱していた。


「だったらわたしにどうしろってのよ!」


 聞こえてきた叫び声は葵か泉か、はっきりとはわからない。

 教室の中央にはぽっかりと舞台のような空間ができており、葵とまだ黒髪だった泉がそこで距離をとりつつ対峙している。

 二人の制服はところどころが破れ、顔や腕などに出血もあった。


 それでも二人が争うのを止めようとする気配はまるでない。おれは廊下の人混みをかきわけて教室内に足を踏み入れた。

 突然、おれの足下近くに椅子が飛んできた。泉が葵に向かって投げつけたのだ。

 避けた葵がそこにいるおれを見て言った。


「何しに来たの? あんた、邪魔よ」


 鼻から出ている血を拭いながら泉も言う。


「陽ちゃん、邪魔だからどいてて」


 いったい何でこんなことに。これはもう喧嘩と呼べるレベルなんかじゃない。


「ストップ、おまえらとにかくいったんストップ」


 格闘技の試合を裁くレフェリーのごとく真ん中に割って入り、両手を目いっぱい伸ばしておれは二人を制止しようと試みた。


「何があったか知らないが、話ならおれが聞く。だから頼むからここでお互い引いてくれよ。見たくないんだよ、こんなの」


 だが二人にはレフェリーの指示に従う気などまるでなかった。


「陽平には関係ない」


「陽ちゃんには関係ない」


 くそ、こんなところだけ息が合ってやがる。


「ほら、早くどきなって」


「もうすぐ終わるから」


 最終ラウンドに向かおうとする二人をどうにかして止めなければ。

 もはやなりふり構ってなどいられない、おれはそう自分に言い聞かせてまず葵を標的として定めた。


「──なによ」


 真正面から見据えられた葵が不満げな声を漏らすが、無視したおれはさながらタックルのようにして彼女を床へと押し倒す。もちろんできるだけソフトにだ。


「ぎゃーっ! 何やってんのこの変態! バカ! 地獄に落ちろ! 百回、いや千回落ちろ!」


 案の定、葵からは罵詈雑言の嵐を浴びせられる。どこ触ってんのよ、と暴れつつ痛烈な肘打ちも下から顔に食らわせてきた。他意はないのだという正当な申し開きをおれは腹に飲みこみ、甘んじて肘鉄を受ける。


 マウントをとった姿勢のまま振り返り、一方の泉へと視線を遣れば彼女はファイティングポーズを解いて静かに立っていた。


「ほんと、バカじゃないの。ありえない、ありえなさすぎ」


 冷めきった目でおれを蔑む。


「ん、逆がよかったか?」


 わざととぼけたような声で煽ってやれば、「もういい」と口にした泉がふいと顔を逸らして足早に自分の教室を出ていってしまう。


 即興ながら作戦通りだった。もしかしたら実際に逆でも上手くいったかもしれないが、役回りを入れ替えると不確定要素が強くなってしまう気がした。

 これは彼女たちと長く付き合ってきたおれの直感だ。


 どうにか場を収めたおれはやたらと青痣の目立つ顔でそのまま卒業式に出席し、母には深いため息をつかれてしまった。

 家に帰ってきた父は経緯を聞くなり手を叩いて大笑いしていたが。


 今、さすがにあのときほどの険悪さはない。

 葵と泉、双方から「答えを間違えるなよ」というプレッシャーをかけられているような気はするが、考えてみればいつだってそんなものだったじゃないか。至誠天に通ず、これしかないだろう。


「泉の金髪は似合っていると思うし、葵の性格だって悪くない」


 日和見的な返事ではあっても嘘はついていないつもりだ。

 それでも葵のお気に召さなかったらしい。


「『悪くない』ねえ、それはつまり『よくもない』って言いたいわけ? 泉には『似合ってる』ってプラスの評価なのにさ」


 腕組みをした彼女からじろりと睨まれると、おれはまるで蛇の前の蛙のようになってしまう。チャーミングな性格だ、くらいに言葉を盛っておけばよかった。

 だがそんな葵を茶化す声が飛んでくる。


「ヨウヘイ、お姫さまがいたくご立腹だよー。ハングリーでアングリー」


「確かに空腹は人を怒りっぽくさせると言いますもんね!」


 常盤くんからの助け舟にすかさずおれも乗った。

 おれだけじゃない。唯さんも「それもそうね。そろそろみんな席についてちょうだい」と促してくる。うむ、これで何もかもうやむやになあれ。


「ほら泉も、エプロン脱いで。ちゃちゃっと用意してくるから全員いい子で待っているように。二人のこと、お願いね陽平くん」


 さらりと空気を変えてくれた常盤くんもまた準備に戻り、手慣れた動作でテーブルにシルバーやグラス、たくさんの取り皿を整えていく。


「こっちはボクがやってるから、ヨウヘイは姫たちにかまってあげなよ」


 大人二人の発言に葵が反発する。


「ちょっと、何でお母さんも常盤くんもわたしのことを子供扱いなわけ? ていうかむしろ陽平の面倒をみるのがわたしだから。昔からそうだったでしょ」


「そうなの? じゃあ陽平くん、悪いけど葵と泉の間に座って、二人からいろいろと世話を焼いてもらってねえー」


 にやにやしている唯さんは半分悪乗りなんだろうが、実際のところ不測の事態を考えれば葵と泉を隣同士にはできないので、席の位置としてはそれがいいかもしれない。ただしおれの胃がきりきり痛みだす可能性は否定できないが。

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