第7話 再会の続き〈1〉

 さほど大きくないマンションの一階にあるビストロ〈オルタンシア〉の入口には「本日お休み」なる小さな看板がぶら下げられていた。

 葵の話ではおれたちのための貸し切りということで、今日はお昼だけの営業で終わっているはずだという。何だか申し訳ない。


 ちなみに店名はフランス語でアジサイを意味するのだとその昔に唯さんから教わった。ヨーロッパの田舎町にありそうな雰囲気の店構えにもかかわらず、休業を知らせる看板には書道の先生の手によるものかと思うほどの場違いな達筆で字が書かれている。葵の字だった。

 その葵はといえば、付近をうろついていた顔なじみらしき白黒の野良猫を見つけて楽しそうに相手している。


「こんにちはー」


 とりあえずおれだけが一足先に深緑色のドアを開けて店の中へ入ると、忙しかったであろうランチの時間を終えてパーティー用にテーブルのスタンバイをしていた店員がこちらに気づいてくれた。

 軽く右手を上げて店員が声をかけてくる。


「やあ、いらっしゃい。ずいぶん久しぶりだね」


「ごぶさたしてます、常盤くん」


 ナイフやフォークなどのカトラリー類を並べている、小柄で華奢な彼は常盤宗助という名前で、オープン当初、つまり五年近く前からずっとウェイターとしてこの店で働いている。

 かつては外国にいたらしいが、年齢ともども詳しいことは何も話してくれない。独特の雰囲気を漂わせ、中性的な容姿も相まって何かと秘密の多い人だ。


 店内には二人掛けのテーブルが六卓、合計で十二席しかない。

 お世辞にも広いとは言えないが、詰めていないおかげで席と席の間はゆったりとしており、心地いい空間を作ろうとしている唯さんの気配りが随所に表れていた。

 それぞれのテーブルには赤と白のギンガムチェックのクロスがかけられている。おれの記憶が確かならそのテーブルクロスを選んだのは葵だったはずだ。

 店の空気と調和した、とても可愛らしいカラーリングだと思う。


「料理ももうすぐあがってくると思うから。もちろんお腹は空かせてきてるよね。ところで飲み物は何がいいかな」


 手の動きは休めることなく常盤くんがこちらに気を遣ってくれる。


「美味しいものをご馳走してもらえるんだし、水で充分ですよ。それよりおれは何を手伝いましょうか」


「椅子に座ってふんぞり返りながら待っててくれればいいよ」


「いやいやいや、できませんってそんなの。やることがあった方が落ち着きますし」


「ヨウヘイは意外と真面目だね。アオイならそうするはずだけど」


「あー。想像つきますね、その姿」


「でしょ?」


 二人して葵を肴に笑っているところへ、厨房から笑顔を浮かべた唯さんが姿を見せた。白い長袖Tシャツに黒いエプロンをかけただけのラフなスタイルだが相変わらず格好いい、絵になる人だ。


「いらっしゃい陽平くん。今日は強引に招いたみたいな形になってごめんね」


「とんでもないです。こちらこそ長い間連絡もせずにすみません」


「それはお互いさまだから。花南ちゃんやご両親はお元気?」


「はい、どうにか。うちの家族がこうしていられるのは何もかもおじさんのおかげです」


「陽平くんはそんなこと気にしないでいいの。本当に謝らなければいけないのはこっちだから」


 一瞬、唯さんの表情に陰りが差した気がした。

 今の言葉に込められた意味を訊ねてみたかったが、それより早く入口のドアが勢いよく開かれた。

 鞄を肩に掛け、腕を組んだ葵が玄関に仁王立ちしている。


「ちょっと、全部外まで聞こえてたんだけど。誰が何だってえ?」


「アオイはよく働くねーって話していたんだけど、それがどうかしたかい?」


 まったく悪びれる様子もなく、常盤くんは堂々と嘘をつく。


「常盤くん……あんたって人はよくもまあぬけぬけと……。っとに、いないところだとあんたたちは何言ってるかわかったもんじゃないね」


 そう詰りつつも、葵の目は怒ってはいない。

 唯さんが娘に声をかけた。


「おかえり、葵」


「ただいま。陽平はちゃんと連れてきたよ」


「うん、ありがとうね。これで五人全員揃ったわね」


 四人じゃなく五人? そうか、そういうことか、とおれの中で腑に落ちた。

 再びおれは厨房へと視線を向ける。

 やはり五人目はそこにいた。


 両手でココット鍋を持った金髪ショートカットの少女が、ほどなくして厨房への出入口から現れた。エプロンの汚れ具合から察するに、たぶんおれたちよりもだいぶ早く来て唯さんの手伝いをしていたのだろう。


 短くなった髪の毛の色こそ劇的に変わっているが、おれはもう一人の幼馴染みである彼女のことをよく知っている。

 有坂泉、葵とは二卵性の双子であり彼女の妹にあたる。


 葵はといえば腰に手をあてて黙ったままだった。

 ほとんど舌打ちせんばかりの勢いで彼女が吐き捨てる。


「泉。やっぱりあんたもいたか」


「そりゃいるよ」


 柳に風のごとく、金髪姿の泉は淡々と受け流した。


「それにしてもさあ、ほんっとその髪はないわ。似合ってなさすぎ」


 冷笑を浮かべながら葵が先制攻撃を仕掛けた。

 もちろん泉だって黙ってはいない。


「相変わらずだね。いくら外面がよくても性格ブスなのは隠し切れないよ」


「はあ? そりゃあんたでしょうが」


「いいや。どう見たって葵ちゃんの方」


「会話するだけ無駄か。だったら陽平に決めてもらおう。泉の金髪は似合っているのかどうか、わたしの性格が悪いのかどうか。ま、答えはわかり切っているけど」


「賛成。不毛だもんね。陽ちゃん、率直に指摘してあげた方が長い目で見れば葵ちゃんのためだからね?」


 まったくこいつらは、とおれは頭を抱えたくなった。

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