天体衝突
doracre
天体衝突 ~ 朔の晩 ~
『星だとか月だとか惑星だとか、宇宙に満ちているものには、ひとを惹き付けるなにかがあるんだ』
天体観測を趣味にしているお父さんの言葉だ。
私にはそれが
私は続ける。
『なにかっていつも言ってるけど、それってなんなの?』
『なにかはなにかだよ。正解なんてないさ』
すると、お父さんは九九の歌を数えるように応える。なにかなんて曖昧にしか形容できないのに、よく夢中になれるものだ。ばかばかしい。
『……宇宙のなにがいいの』
『うーん……神秘? とにかく、神秘的で未知なところに惹かれるかな』
神秘、未知……私の嫌いな言葉。
私にとって、
だけど、皆は違うようで。
例えば、神秘に満ちた宇宙に憧憬を抱く者。その神秘を解明しようと研究を続ける者。宇宙に魅せられ実際に宇宙へと旅立った者。
伝統行事や創作物にも引っ張りだこな人気者。学校でも、天体の授業は理科の重要事項のひとつだ。
それなのに、宇宙には未だに神秘やら未知やらが渦巻いている。いつまでも底が知れない。いや、底なんてありえないのかもしれない。
そんな未知の宇宙を、地球人は揃いも揃って過大評価して神格化したがる。未知を求めたがる。
そこまで宇宙が好きなら、家のベランダからアスファルトの割れ目でもじっくり眺めていればいい。地球人が好き勝手いじくり回したここだって、宇宙にあるひとつの
『星なんてただの光っている岩じゃない。地球から見たら塵みたいなサイズだし。ロマンもなにもないよ』
だから、私はそのなにかを否定したかった。神秘も未知もいつまでも明かされることはないんだって。追い求めても正解なんて得られないんだって。
けれど、お父さんは薬指につけたリングを撫でながらこう返してくる。
『
そこまで言うと、お父さんは星の観測に戻ってしまった。寒空の下、生地の薄い長袖Tシャツを一枚。星を見るためなら、冬の極寒すらも関係ないっていうのか。呆れる。
ふと
冷えた北風がベランダに吹き込む。寒い、寒い、冬の空。だけど、お父さんは身じろぎひとつしていない。寒さなんてへっちゃらだという様子で天体観測に集中している。
『……もうそろそろごはんだよ』
夕食の準備が終わった旨を暗に伝えると、露骨に顔をしかめながら望遠鏡のレンズを丁寧に拭き始める。
レンズの掃除をようやく終えると、階下へ降りるため、重い腰を上げるのだった。
そんな昔の記憶を想い出しては、その想い出を再び脳みその奥深くへしまう。宇宙についての授業をしている最中だからか、今になって想い出してしまったらしい。
遠くの高校に通うために実家から出て、この町でひとり暮らし。仕送りはあるけれど、ちゃんとバイトもしている。それなりに忙しい日々。
この町は星がきれいに見えると評判らしく、もう50近いお父さんが年甲斐もなく羨ましがっていた。ばかばかしい。
「我々が住む地球の周りを公転している月には、原始地球へ火星ほどの大きさの天体が衝突した際の衝撃により散らばった地球のかけらが、衝突した天体の一部と共に宇宙に漂い、それがひとつになって形成されたとする説があります」
私が他愛もないことを想い出している最中にも、黒板に白い文字列を並べながら、堅苦しい説明を続ける地学の教諭。
このひとには悪いが、地学の授業だって同じくらいばかばかしい。こんな知識、古典以上に役に立つのだろうか。
宇宙オタクでも天文学者志望でもなんでも集めて、適当によそでやっていてほしい。
「この説は『ジャイアント・インパクト説』または『巨大衝突説』と呼ばれ、月の形成において現時点では最も有力な説だと言われています」
適当に話を聞いて、重要そうな単語をマーカーで引く。地学の授業なんてこんなもんだ。
「しかし、月の形成にはまだまだ謎が多く、今までも多くの研究者が様々な説を提唱して来ていますが、未だにどのように形成されたのかは明らかになっていません」
……またか。
地学はいつもこうだ。まだ真実が定まっていないものなのに、このようにひとつの知識として成り立たせる。数学や英語と違い、数十年もすればスケールが大きいだけの内容も曖昧で知る必要もない知識も教科書ごとがらりと変わる。
おかげで年を追うごとに覚えるべき定説や事象が多くなって、地味な科目のくせに一丁前に面倒くさい。将来的にほとんど役に立たないくせに。
そんな愚痴を延々と繰り返していたら、いつのまにか終わりを告げるチャイムが鳴った。今日の地獄も無事に遂げたようだ。
「さて、今日はここまでですね。次回は太陽系についてお話しします。では、起立……礼」
「「「ありがとうございましたー」」」
授業は義務的な感謝で終える。教諭は地学の教科書を脇に抱え、そのまま教室を去っていった。
その後すぐ、教室からはがやがやと音が鳴り始める。沈黙の時間から一転、喧騒の時間だ。
その中でクラスのお調子者たちがつまんなかったなとか、あんなの役に立つのかなとか、笑いながらいつものように地学を貶していた。
普段はうるさいだけの連中だけど、こういうときは馬が合う。うれしくない。
「次は数学……がんばろう」
ふと、窓の外を見る。雲ひとつない晴天。なんの変哲もない日常。
しかし、今日だけはそこに非日常があった。
「…………UFO?」
空中に浮かぶ、謎の円盤。オカルトやホラーで売っているテレビ番組でしか見たことのないような光景がそこにある。
「……いやいや。ありえないでしょ……」
ひとりごとを溢しながら、眼をひと擦り。……念のため、もう一度。
「…………やっぱり」
擦った眼で空を見る。当然なにもいなかった。
見間違いだったみたいだ。ごみが眼に入ったんだろう。それにしては、やけにリアルだったけれど。
再び、窓の外に広がる青空を見る。……もしも、
UFOなんて、未知の極みだ。関わりたくもない。
「……はぁ、早く帰りたい……」
見上げた空の広大さと教室のやかましさに思わずため息が漏れた。
「ふぁぁ、疲れたぁ……」
放課後のバイトでくたくたになったからだを伸ばし、あくびをしながら帰路につく。
冬の空は寒い。途中で買った缶コーヒーで手をあたためながら、帰る脚を早めた。
「……今日は新月か」
新月の日は星が見やすいらしい。お父さんの入れ知恵だ。興味ないけど。
「うっ、寒い……」
北風が吹き抜け、からだを容赦せずに凍えさせる。思わず、早めた脚をさらに早めた。
上下に揺れる視界。興味がないとは言ったけれど、上のほうにちらちらと映り込む夜空と星の輝きは嫌でも意識してしまう。
『星だとか月だとか惑星だとか、宇宙に満ちているものには、ひとを惹き付けるなにかがあるんだ』
地学の授業で、ふと想い出したお父さんの言葉。歳が一桁の頃だというのに、未だに記憶にしがみついて離れない言葉。
底の知れない夜の
あそこに浮かぶ明星はいつ生まれて、いつ消えて、どこにいて、どんな大きさか。いつまでも明かされることのない神秘。出口の存在しない闇。
そんなものは……ただ怖いだけだ。
『千果木にもいつかわかる日が来るさ。宇宙のロマンってやつを、ね』
わかりっこないよ、私には。だって怖いんだもの。
宇宙はどこまで続いているのか。限りはあるのか。
未知に満ち溢れたものほど怖いものはない。私が愛せるのは、私が
「……へくしッ」
留まることを知らない畏怖の濁流は、くしゃみの音によって堰き止められた。
……冷静になれ。曖昧のみが存在する問いに対して、なにを躍起になっているんだ。風邪をひいてしまう前に帰らなくては。
もうすでに
「…………はぁぁ、ほーんとばかみたい」
未知に盲信するなんて、将来になんのプラスにもならないというのに。未知を信じたいのなら、せめて将来にその信仰を向けていればいいものを。
こうは言ったけれど、周りの人生なんて私には関係ない。お節介を焼く必要もない。勝手にやっとけ。
缶コーヒーをぐいっと飲み干して、側にあった自販機のリサイクルボックスに放る。しかし、運悪く弾かれてしまった。
悪態をつく私への報いか。はたまた偶然か。
「あーもう、めんどい……」
空き缶を拾うためにしゃがむ。自販機の取り出し口の下に転がった空き缶を拾う。
そして、そのまま立ち上がった。意味もなく空のほうを見つめながら。
「…………え?」
UFOが浮かんでいた。夜の沼と星の目玉を遮るように浮かんでいた。……いや、見間違いか。
眼を擦る。眼をひらく。いる。
また眼を擦る。眼をひらく。……消えない。
「あれ……あれ……?」
何度も何度も擦れども、一向に消える気配を見せないUFO。擦り続けた眼に北風が染み入る。
痛くて怖い。
なのに、眼を離せなかった。あれほど嫌っていた未知に心を奪われていた。それほどの非日常的光景。
「……なに、これ」
そうとしか言えなかった。困惑を浮かべる賛辞。素直に褒めることしかできない。
すると、そこまで動きを見せなかったUFOが、突然45度に傾く。
直感した。落ちてくる、と。
「……っ!」
すぐさま自販機から離れ、駆け出す。このままじゃあ、巻き込まれる──
「ひゃあぁっ‼︎」
そう思ったときにはもう遅く、UFOが落ちた衝撃で私は宙を舞った。そのままアスファルトに叩きつけられ、腰を強く打つ。私の手を離れた空き缶は遙か後方へ飛んでいった。
幸い腰だけで済んだが、当たりどころが悪ければ、最悪死んでいただろう。
……ふぅ、危ないところだった。
「☆$→*◎#……」
しかし、そんな安堵は謎の声に掻き消された。
まさかと思いUFOの方を見ると、少女が倒れていた。奇抜なピンク髪に触覚のような部位がデザインされた謎のカチューシャを付けていて、いかにも怪しい見た目をしている。
先程の衝撃で自販機は真っ二つに裂け、電柱が二本も折れている。切れた電線からはパチパチと火花が発生しているようだ。
あれに巻き込まれてしまったのだろうか……。だとしたら、例え変質者でも今すぐに助けを呼ばないと──
「……あっ!」
スマホに手をかけた瞬間、その少女は声を上げてむくりと立ち上がった。
なんだ、無事だったの。掛けた言葉に被せるように彼女は私に問う。
「アナタ、地球人ですネ!」
「……は?」
カタコトの日本語で問われた未知の質問。そんなことを訊いてどうするつもりなんだ……。
「……あー、そーりー! ゆー、あー、あーしあん? ……コレでおーけー?」
「…………⁇」
状況が飲み込めない。私を外国人だと勘違いしているのか……?
「……アレ、これもノー⁉︎ え、エート……ゆー、あー、地球人?」
「えっ、あ……ハイ……?」
三度目の質問に、困惑しながら応える。
その応えに満足したのか、その少女はカチューシャの触覚のような部位の先にある、透明な二つの球を七色に光らせて、私に迫ってくる。
それはもう、素晴らしいほどの無垢な笑顔を浮かべて、淡い桃色のくちびるをひらいた。
「それはヨカッタ! では、地球人! イマからアナタのホームにイソウロウさせてくださいっ! ……あっ、イソウロウぷりーず‼︎」
「いっ、居候⁉︎」
「ハイ! いえ〜す‼︎」
落ちてきたUFOに謎の少女。その少女は私の家に居候させてくれと言う。
まさか……いや、もしかしなくても……。
「あっ、申し遅れマシた! ワタシ、☆♪$↑星のアミティア=ネプチューンと申しマス! ヨロシクですっ‼︎」
黄緑色の澄んだ瞳が私を見据える。その瞳に映る私の姿を見たとき、今日という日が私にとって大切な意味を持つことを確信した。
とある朔の晩。世界の小さな道端でこれまた小さな天体衝突が起きた。
とても小さな天体衝突。しかし、その衝突はやがて、ひとりの地球人の心を変えるものと成り得る。
⦅続⦆
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