初恋の女性と再会したら、えらいことになっていた

生出合里主人

初恋の女性と再会したら、えらいことになっていた

 僕が初めて彼女を見かけたのは、高校の入学式だった。


 こんなにかわいい子、見たことがない。

 そう思うくらい、彼女はかわいかった。

 彼女がいるだけで、世界が鮮やかな色に染まるような気がした。


 彼女が同じクラス、しかも隣の席だとわかった時、生まれて初めて自分はついているって思えたんだ。


「わたし、向岸むこうぎし真美まさみ。よろしくね」

「ぼ、僕は内野うちの忠志ただし。よろしく……」


 内気で自分から話しかけられない僕に、彼女は気さくに声をかけてくれた。

 ずっといじめられてきた僕が高校ではいじめられずにすんだのは、人気者の彼女が相手してくれたおかげだ。

 僕はどれほど、彼女に感謝したことだろう。


 僕の頭の中は彼女一色になった。

 寝ても覚めても考えるのは彼女のことばかり。


 だけど、彼女はまさに高嶺の花。

 モテまくった彼女が選んだ男は、当然ながら完璧なヤツだった。


 ルックスも成績もスポーツも、たいていのことは学校で一番。

 おまけに家は大金持ちときちゃあ、誰もかなわない。

 しかも困ったことに、性格までいいときた。


「俺、隣のクラスの永代ながしろ尚輝なおき。三人で帰ろうぜ」


 たまたま僕と彼女が下駄箱の前にいた時、尚輝がいきなり声をかけてきた。

 以来僕たちは、屋上で弁当を交換したり、ちょっと遠回りをして帰ったり、話題のスイーツを一つ買って分け合ったりした。


 最下層にいるはずの僕が、最上層の二人と仲良くしている。

 クラスのみんなからはねたまれたけど、僕は内心穏やかではなかった。

 二人といると、自分が恥ずかしく思えてしまうからだ。


 それに、二人の気持ちが通じていくのを見るのは辛かった。

 二人が付き合いだしてからは、三人の時間はまるで拷問。

 二人は以前と変わらない友達付き合いをしてくれたけど、その気づかいがかえって僕を苦しめた。


 高校を卒業して以来、二人とは一度も会っていない。

 彼女の記憶は、胸を切り裂かれるような痛みとして残っている。



 その彼女が、初恋の彼女が、今僕の目の前にいる。


「あの……もしかして、向岸真美さん?」


 駅ビルの化粧品売り場の前で彼女を見かけた時、僕は心臓が止まるかと思った。

 彼女は世界を圧倒するような美人になっていた。


「えっ? ゴホッ」


 彼女は僕の顔を見て驚き、思わずむせてしまう。


「あっ、驚かせてすいませんっ」

「いえ……ちょっと……かぜ気味で……忠志? 忠志だよね?」


 透き通るような白い手で真っ赤に染まった唇を押さえながら、彼女は少しこもった声でささやいた。

 いきなり声をかけて戸惑わせてしまったけれど、彼女が僕を覚えていてくれたことは嬉しかった。


「そうだよ。忠志だよ。久しぶりだね」

「久しぶり……忠志……よかったら……うちに来て」


 突然の提案に、僕はうろたえてしまった。

 だけど彼女はもう、駅に向かって歩き出している。

 僕は考えがまとまらないまま、黙って彼女の後を追うしかなかった。



 彼女の家は、都心にそびえるタワーマンションの最上階だった。

 こんな高級マンション、いったい何億するんだろう。


「おじゃま、します……」


 彼女は無言のままうなずくと、高そうな三人掛けのソファを指さし、コーヒーをいれる準備を始める。


 僕は心地よい弾力のソファに座り、やたらに広い居間の中を見回した。

 おしゃれすぎて生活感がまるでない。

 家族がいるようにも見えない。

 僕は意味もなくホッとしていた。


 彼女がテーブルに二つのコーヒーを置き、目の前のイスに座る。

 黒いワンピースから白い脚が伸びて、僕は正直ドキッとした。


「えっと、家も、家具も、とてもいい趣味だね」


 僕はたぶん、気持ち悪い愛想笑いを浮かべていることだろう。


 昔の知り合いとはいえ、若い男を自宅に入れるのは無防備すぎる。

 そんな大胆なことをしておきながら、彼女はいつまでも口ごもったままだ。

 僕を家に招いたことを、後悔しているんだろうか。


 でも大丈夫。

 僕は君を襲ったりはしないよ。

 そういう男だったら、僕はとっくに童貞を卒業しているはずだ。


 それに僕はずっと前から君のことが好きで、いまだに忘れられないでいたんだから。

 今でも君のことが、自分よりも大事なんだよ。



「あのさあ」


 彼女がやっと口を開いた。

 と思ったら、その声は驚くほど低かった。


「どうしたの? 真美」


 僕が下の名前で呼ぶ女性は、彼女だけだ。

 それは僕の人生で、最大級の喜びだった。

 それがまたできるなんて、これほど嬉しいことがあるだろうか。


「真美じゃないんだ」

「はい?」


 彼女の声は、女性とは思えないくらい太い。

 でも、どこかで聞いたような声だ。


「だから、真美じゃないんだって」

「じゃあ、誰なの?」

「俺は、永代尚輝だ」


 僕は彼女の言っていることがまったく理解できず、目と口を丸くして固まってしまった。


「あの……言ってることが全然わかんないんだけど」

「ごめん、そりゃそうだよね。でも、事実なんだ」


 僕の頭脳はフル回転したあげく、活動を停止した。

 けれど僕の感覚が、その声は確かに尚輝だと訴えてくる。


「仮に真美じゃないとしても、女性にしか見えないんだけど」

「整形、したんだ」


 男性を女性のような姿に変えられることは知っている。

 でも目の前にいる人は、大人になった真美としか思えない。


「いやいやいや、いくら整形でもそこまで別人にはなれないでしょう。背の高さは同じくらいだったけど、顔の形まで変わってるし」

「両親の遺産が入ってね、それを全部つぎ込んだんだ」

「遺産って、いくら?」

「七億ちょっとかな」

「なっ、七億? ジャンボ宝くじかよ」

「今の世の中、金さえあればたいていのことはできるんだよ」


 真美だか尚輝だかよくわからない、すごくきれいな女性っぽい人が、おもむろに脚を組む。

 僕はその美脚に見とれていいものかどうか、判断できない。


「だけどマンガじゃあるまいし、どこでどうしたらそんなことができるわけ?」

「日本各地で手術した後、まず韓国に渡って、それからアメリカ、イギリス、ドイツ、オランダ、スウェーデン、ロシア、中国、タイ、インド、カタール……」


 彼女だか彼だか知らないけど、とにかくきれいな人が、上を向きながら脚を組むのをやめる。

 ヒザが少し開いて、スカートの中身が見えそうだ。

 僕は、僕の目は、どうすればいい?


「どんだけ手術したんだよ」

「いろんな国でたくさんの専門家に会って、この体を少しずつ作り変えていったんだ。失敗もあったし痛くなったりしたけど、今では彼女のナイスバディを完全に再現できたと満足している。忠志もそう思わないか?」


 きっと驚くべき話を聞いているんだろうけど、僕の全神経は丸見えになっているパンツに集中していた。

 見ても意味がないのかもしれないけど、なにしろ見た目は初恋の人そのものなんだ。


「なに、俺のパンツ、見たいのか?」

「えっ、いやっ、そんなことは……」

「脚を閉じてなきゃいけないのがめんどくさくてな。もっとよく見せてやろうか?」

「やめろっ、やめろってっ」


 だって憧れていた人にそっくりな超絶美女が、大股開きでパンツ丸見えなんだよ。

 見たいような見てはいけないような、嬉しいような悲しいような、このなんとも言えない気持ち、どうすりゃいいんだよ。


「ちなみにこのパンツ、真美が本当にはいていたやつなんだぜ」

「ええっ、マジで?」

「このオッパイもんでみたいか? 真美のバストを忠実に再現しているよ」

「うおっ……いやでもなんとなく、本物の真美に悪いんじゃ……」


 そう言いながら僕は、目の前にある胸をじっと見つめていた。

 真美は細身なのに巨乳だ。

 なんて罪深いバディなんだぁ。


「まあちょっとは真美に対して後ろめたい気持ちもあるし、俺自身男に触られたくなんかないんだけどさ。ただ、俺一人で楽しむのも悪いかなって思ってな」

「たっ、楽しんでるのかっ、お前っ」

「そりゃあまあ、この顔にこの体だからなあ。毎日鏡を見ながら、いろんなことをしているよ」

「お前、なんてことを……」


 僕はあまりの衝撃に頭を抱えた。

 真美そっくりの尚輝は、満足そうにニヤついている。


 お前、マジでふざけんな。

 巨乳揺れてるし、パンツ見えてるし、もうふざけんな!


「でも、男のアレは取ってないんだぜ」

「えっ、そうなの?」


 僕は思わず、白いパンツの真ん中あたりをのぞき込んでしまった。

 そう言われてみると、若干盛り上がっているような気がしないでもない。


「べつに俺、LGBTQとか、そういうんじゃないから」

「女装が趣味ってこと?」

「それでもない」

「だったらなんだよ」

「ただ、真美になりたかっただけだ」

「真美に、なりたかった?」


 僕はその時ようやく、一番聞きたかったことを聞く決心がついた。

 なんとなく怖くて、ずっと聞けないでいたんだ。


「真美は……本物の真美は、どこにいるんだ?」


 それまで明るかった尚輝の表情が、一転して暗くなる。

 底知れない恐怖が僕をしめつけた。


「真美はな……死んだんだ」



 僕は目の前が激しく揺れるような感覚を覚えた。

 彼女の映像が頭の中を駆け巡る。

 あの頃、彼女は僕のすべてだった。

 いや、今だって。


「どう、して……」

「あれは悲惨な事故だった。真美は、外出先で火事に巻き込まれてな。婚約者の俺が本人確認をしたんだけど、そりゃあもう見られたもんじゃなかったよ」


 尚輝が下を向く。

 肩が震えている。


「結婚する、はずだったのか」

「式には忠志を最優先で呼ぼうって、二人で話していたんだけどな」


 黒地のワンピースの上に、涙がポタポタと落ちた。

 その涙は、百パーセント尚輝のものなんだろう。


「でも忠志は、式に呼ばれても迷惑だったかもな」

「そんなこと、ないけど……」

「だってお前、真美のこと好きだっただろ?」


 尚輝にバレていても不思議はない。

 僕はいつだって真美のことばかり見ていたから。

 そう、今みたいに。


「気づいてたのか」

「だから、急いで真美を口説いたんだよ」

「なに言ってんだよ。僕なんて尚輝のライバルにならないだろ。真美が僕を選ぶわけないし」

「それはどうかな。真美のやつ、お前のことを世界一いい人だって、言っていたからな」


 僕は苦笑した。

 それは異性として好きという意味じゃない。

 けれど、その言葉は僕の宝物になるだろう。


「だけどさ、どうして真美の姿になろうなんて考えたんだよ」

「真美ってマジできれいだっただろ。心は残せないけど、せめて外見だけでも残しておきたいと思ってさ」


 その時僕が抱いた感情は、同情か、それとも嫉妬か。

 自分でもよくわからない。


「ハッキリ言って悪いけど、意味あるのかな、それ」

「俺はこの完璧な美ぼうを守って、年とっても若さを維持して、世界に知らしめてやりたいんだ。真美がどれだけいい女だったかってことを」


 そんなことのために、ここまで思いきったことをやったのか?

 自分が持っているものを全部捨ててまで、彼女の姿を残そうとするなんて。


 僕は思い知らされた。

 尚輝がどれほど真美を愛していたのかを。


 他人はくだらないとか、金がもったいないとか、頭がおかしいとか言うかもしれない。

 でも僕にはわかる。

 こうでもしないと、尚輝はまともではいられなかったんだ。


「尚輝だったら、いくらでも他の女性と付き合えただろうに」

「だからだよ。俺は真美以外の女性と付き合う気はない。だから見た目を女性にして、女性たちが俺に寄ってこないようにしたんだ」

「相変わらず自信過剰だなあ、尚輝は」

「そんなにほめるなよ」


 僕たちは笑った。高校時代みたいに。


「だけど仕事とか、どうしてるの?」

「変身する前に会社はやめたよ。今は貯蓄を運用して暮らしてる。そう言う忠志はどうなんだ?」

「ありがちなサラリーマンだよ」

「小説家になる夢は、もう諦めたのか? 忠志の小説が好きだって、真美は言っていたけどな」

「諦めては、いないよ」


 諦めるわけにはいかない。絶対に。

 なぜなら高校生の時彼女が、いつの日か自分をことを小説に書いてほしいって、僕に頼んだからだ。


「忠志も、本気だったんだな」

「変なこと、言うなよ」

「俺は真美の体を残し、忠志は真美の心を残す……か。いいね」

「その体くらい完璧に再現できるかどうか、自信ないけどね」

「できるさ。って言うか、忠志にしかできないことだ」


 尚輝はニコリと笑った。

 それは真美の笑顔でもある、と僕には思えた。


「忠志と俺って、いいコンビだよな。この際、俺と同棲するか?」

「冗談だろ」

「でも俺のこと押し倒すなよ」

「しないよ」

「そうだな。忠志の誕生日には、オッパイもませてやるよ」

「いらないから」

「そんなこと言って、さっきから俺のパンツチラ見してるじゃねえかよ」

「そっ、それは単なる条件反射だよっ」

「忠志って昔からムッツリスケベだったもんな」

「そんなこと言わないでくれよ。真美の顔でさあ」



 その後僕たちは、同棲はしていないけど時々会っている。

 すれ違う男たちは僕のことをうらやましそうに眺めるけど、僕の心境は複雑だ。


 それでも僕は、真美になった尚輝に感謝している。

 こんなにおもしろい人間、小説のモデルにするしかない。


 僕は尚輝と真美の物語を、形にしようと心に決めた。






 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 彼女も、きっと喜んでくれていると思います。

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