スタート……拝み屋さんだった祖母の思い出
平 一悟
私が物心ついて初めて祖母に会った時の話
私が祖母に初めて会った時は小学生に入る前だったので、殆ど覚えていなくて、だいぶ前に亡くなった祖母と母から聞いた話しか知りません。
だから、この話は殆どが本人達から聞いた話です。
物心ついて、祖母との出会いのきっかけは私の幼稚園に行っていた弟に対する母の懸念からで、20センチも無いところから飛び降りて、別に身体に何の問題もないのに何故か骨折したり無茶苦茶運が悪かったので母が心配して祖母に相談した事からでした。
祖母はY県に住んでいて、うちは当時S県でわざわざ1000㎞近く離れていたのに来てくれたそうなので、母がどれだけ心配していたかわかるような気がします。
その時に祖母は既に真言宗の僧籍を持ち僧名を名乗っていました。
だけど、当時は特に拝み屋さんをしているわけではなく、前は拝み屋さんの師匠の弟子になり、その後はそこを離れて個人で修行とかしていました。
祖父は某製鉄会社で働いていて、それで昔は拝み屋の師匠のとこに祖母が行くので激怒して良く怒鳴り散らしていたり暴れたりしていたとか母は良く高校時代から働き出して結婚する前までを思い出して、ため息をついてました。
熱心な信仰は家族の理解があるとは限らないと言う事かも知れません。
ただ祖母はすでに四国八十八か所を10度以上も回り、修験道系の修行もしていたので、そこそこ当時でも寺社とかで知られていたようです。
少し遡りますが、祖母が信仰する始めのきっかけは18歳くらいの時に戦後しばらくで二人の兄が今でいう鬱かPTSDみたいになっていたそうで、多分戦争の関係だと思います。
それで、祖母は天照大御神様に仕える巫女として一生を捧げるから二人の兄を治してほしいと請願を立てて、伊勢神宮ではなく伊勢の近くで凄く法力があるとか言う祈祷師の女性に弟子入りをしました。
当時のY県の家から700㎞くらい離れている場所で戦後の道も良くないのに、鉄道とバスを乗り継いで行ったと祖母が教えてくれた時にはその大変さを思い出して笑っていました。
そして、その紹介された女性の祈祷師の先生は天照大御神様をお祭りする大きな屋敷に住んでいて、祖母が入り口に立つと同時に別の兄弟子さんが迎えてくれたそうです。
祖母が屋敷の中に声をかける前だったそうで驚いたそうですが、祖母曰く千里眼とかを持っている祈祷師の先生で、入り口に誰がいるか屋敷の奥から知る事ができる力を持たれていたそうです。
で、最初に先生に言われたのが、『あんたバスから落ちて、バスに轢かれる寸前だったろう』と……。
当時のバスはドアの開け閉めが無くて開いたままで、そこから祖母は転落したらしいのです。
本来ならそのままバスの後輪に轢かれてもおかしくない状況なのに、何故かバスに轢かれずに済んだので、祖母は自分の幸運に喜んでいたそうですが、その先生は天照大御神様が貴方が巫女になりに来るので助けてくださったんだよとおっしゃったとか。
何もまだ話していないのにそれを言われて、祖母も感激して一生懸命に祈祷師の先生にお仕えしたそうです。
ある日は入り口に足の悪い子が松葉杖をついて屋敷の門を入るのに難渋しているから迎えに行ってとか、祈祷師の先生に言われて行くと本当に足の悪い子がいて困っていたり、本当に法力が凄かったと懐かしそうに話をしていました。
もちろん、その子を祈祷師の先生が天照大御神様に祈ると、その子の足の痛みが先生に移り、『痛い痛い、あんた良く我慢してきたね。この痛みを』と話して御自分の足を摩っていたそうです。
そして、その松葉杖をついていた子供は松葉杖を屋敷に置いて自分の足で歩いて帰って行ったとか。
祖母の家でも拝み屋を始めた後に私自身の目の前でも同じ事は良く見ましたけど、こういう話をすると、科学的に筋肉が衰えているのにおかしいと友人に突っ込まれたりしましたが、信仰の世界では普通にある話だったので、おかしいと言われてもそういうものだとしか言えないです。
実際、そう言う事は本当に良くあり、それだけでなく、それは医者の検査ミスだとその友人には言われましたが、神仏に拝む事でガンが突然綺麗に消えるという事も普通に何度もありました。
祖母の家で私自身の目の前で普通に信者さんが神様にガンの治癒をお願いに来た後で、数日後にガンが突然に無くなったとか感激して涙を流しているところとかも見たから、とりあえず、友人の言う医者の検査ミスかもしれないが、験が出ると言う事はそういう奇跡のような事が起こることなのだと思います。
祖母は良くそれを神仏の不思議な力と説明してました。
で、話を元に戻すと、その祈祷師の先生は祖母曰く、魔に狙われたとかで、有名になればなるほど変な人間に取り込まれて、結果として病気になられて若くして亡くなられたそうです。
その結果、その祈祷師の先生が亡くなられた後に祖母の両親が迎えに来て、強引に祖母はY県の家に連れて帰らされたのだそうです。
当時は親の力が凄くて逆らえなかったとかで、まあ、普通の家で二人の兄も請願が良かったのか病気は綺麗に治り普通に働いて暮らしていたので、親としたら先生も亡くなられたしって事かもしれないです。
で、それで祖父と結婚したのでした。
すでにある程度祖母は年を取っていたので、やはり普通の結婚は難しいからと、前妻が亡くなって、困っていた祖父の後添えとして結婚いたしました。
だから、祖父からすると再婚になります。
祖父は昔から気性が荒く、後に知って驚いたのですが1300年くらい続く神社の神主の家柄で、最初は神主として働いていたが、同じ神主だった親と兄と大喧嘩して神社を出て、製鉄会社で働いていていた、ちょっと変わった経歴の人でした。
で、結婚した後、母や叔父が産まれた為に10年以上祖母は神仏を拝むことから離れていたのですが、祖父の暴力が酷くて、それで昔を思い出して、人の紹介で近所で有名な、お大師さんの拝み屋さんに相談しに行ったそうです。
そこの拝み屋さんは、拝んでいるとお大師さんが乗り移って話をして、いろんな相談事や病気を治していたそうですが、祖母が相談をした時には、祖母は自分の身の上話を何も話さず、昔は巫女をしていた事を黙っていたら、その拝み屋さんはお大師さんを降ろして『お前は天照大御神様に命を捧げて巫女として生きると約束したではないか! 』と怒られたそうです。
そして、『お前を信仰の本道に戻すために、神仏が祖父の身体を持って暴力を振るう事で、信仰の道に戻そうとしているのである』と言われて、それで、その場でそこの拝み屋さんのお弟子になったそうです。
それで、祖父が普通に戻ったかと言うと暴れたままで、それで当時高校生だった母が弟達の食事から祖父の食事や薪で炊く風呂の湯沸かしから全部させられたと苦笑してました。
だから、じゃあ、祖父の暴力は何だったんだと言われるとわかんないんですけど、とにかく祖母はそれで信仰に戻りました。
その後、祖母はお大師さんが降りた師匠から『お前がここの跡継ぎぞ! お前しか出来ぬ! その為にここに来たのじゃ! 』と何度も言われて、その結果、とうとうそこから追放されたそうです。
そのお大師さんを降ろしてた師匠は降ろしている時の記憶が無いそうで、その師匠の御家族が祖母がそこを乗っ取りに来たと言い出して皆で罵り、結果として追い出されたんだとか。
師匠も記憶が無いから、御家族にいろいろと言われて、祖母を追い出すのを賛同したそうです。
祖母が言うには、そういう神がかりで降りている時の記憶はないものなんだそうで、祖母もそれを私に話したときに苦笑していました。
お大師さんはら後でその結果をどうおっしゃったんだろうと聞いたけど、祖母も追い出されてから行けないので聞けないし、その後も続いていたから仕方ないとお大師さんも諦めたんじゃないかと祖母は爆笑してました。
その後は祖母は一人で長い間を修行していて、母が相談したのがそんな時だったそうです。
祖母は修験道かどこからかのネットワークで、無茶苦茶未来を当てる事まで出来る拝み屋さんがS県の隣にいると言う話を聞いてきて、母に話しました。
母は藁をも掴む感じだったので、それで祖母とそこに出かけて行ったそうです。
多分、母は必死だったのだと思います。
でも、そこで出た答えは最悪だったようです。
その方も神仏とか霊を降ろすこともできたが、見ただけで未来とかいろいろとわかる人らしくて、母と祖母の前もっての相談も無く、母が家族の写真を見せて相談事を説明しようとしたらいきなり写真の中の弟を指差して言い出したそうです。
『ああ、この子の話だね。ああ、可哀想だけど、この子、5歳まで生きないよ。残念だけど助けれないね』と。
母もかなり勘が鋭い方で随分と不思議な事もあったから予感していたのか、私の弟を指さして、その拝み屋さんが話した時に、『ああ、やっぱりか』と泣きそうになったとか。
それで方法はもう無いと言うので、真っ暗になって泣く母に祖母が必死で願掛けしてお守りを持ってきました。
これを服の上着に布で縫ってつけて守ってもらいなさいと。
だけど、結局、駄目でした。
ある日、その布できっちりと上着にお守りを巻き付けていたはずなのに、なぜか、その日に限って糸がほつれてお守りが取れて、母がそれを縫うまで弟に出るなと言いつけて縫っていたのに、弟は部屋着のままでアパートを勝手に出て遊びに行って、すぐ近くの池で溺れてしまいました。
たくさんの人がどこに行ったか探している時にある人が弟が池に沈んでいるのを見つけて池に飛び込んで掬い上げて救急車で病院に連れて行ったけど植物人間になってしまいました。
それで、父と母と祖母が交代で弟が意識の戻らないまま入院していたけれども、とうとう半年経って弟は戻ってきませんでした。
当時、小学生になる寸前の私はその辺りはあまり覚えて無くて、ただ弟の看病の為に両親がつきっきりで、御近所に預けられていたけれども、それが数か月過ぎて、お前の親はお前を預けるだけで何も挨拶にも来ないとか、そこの家の方に罵られたりして、それを父母に報告したりと凄く嫌な思い出だけ残ってます。
父母はそれで慌てて粗品を買って、そこの家にお詫びに行きました。
入院している弟の方は葬儀の最後の時まで両親が会わせてくれませんでした。
私がそれで変なショックを受けたら困ると思ってたそうです。
その後亡くなった時に、病院でうちがいろいろとお世話になっていた同じように入院してた患者さんが、これまた霊能者を職業としていた人でした。
その人が母に言わなくても良かったのに、『可哀想に可哀想にこの子はおばあちゃんに宗教を開かせるために亡くなったんだね』って意味不明の不思議な事を泣きながら何度も言ったそうです。
何の事か当時の母にはわからなかったそうですが、祖父が暴れて弟達の面倒を見た時を思い出して、また今度も私が犠牲になるのかと震えたそうです。
結局、この霊能者を職業にしていた世話になった患者さんの言葉通り、葬儀の関係で祖母と付き合いの出来た寺とかの関係から、祖母はある神像を譲り受けて、道場を開いて拝み屋さんになりました。
それで、ああ、これだったんだと母は理解したとか話して泣いてました。
ただ、母の立派なところは、この霊能者の言った話を最後まで祖母には言わなかった事です。
祖母がショックを受けるのを見たくなかったのだろうと思います。
結果として、祖母はお弟子さんもたくさんいて、東京や北海道の人からも相談を受ける人がいるほどで、あちこちの大きな寺社で住職さんや神主さんから先生と呼ばれていたが、母はその辺りは冷ややかに見ていました。
余談ですが、最後に一年経って、母がその隣県の拝み屋さんの所に行って、弟が亡くなった報告と弟が成仏しているか聞きました。
そしたら、その弟の霊を降ろして、その隣県の拝み屋さんはこう話したそうです。
『あ、あああ、喉が……切られていて……声が……うまく……出ない』と。
それで母が再度ショックを受けました。
弟は植物人間で、食事を流動食で食べさせるためのパイプを通すために喉を開いていたらしくて、お医者さんが縫いましょうかとおっしゃったのを、もうよろしいですって答えてたんだそうです。
後でもう一年後に行ったら普通に話せるようになっていたそうですが、縫って貰えば良かったと終生長くも無い人生で良く話をしてました。
今でもですが、祖母は拝み屋さんとして、その寺社界隈で結構有名だったらしく、亡くなって15年近いのに四国八十八か所の寺とか大きな神社とかで祖母の名前を言うと、あんた、あの人の孫だったのかとか、いまだに御年を召されたお坊さんや神官さんに驚かれる事があります。
特にある凄く修験道で有名な神社では、『ここであの人を知らんのはモグリだから』って老神主さんに言われた事もあります。
祖母は死ぬまで金銭や物には全く興味がなくて相談事の謝礼も貴方の気持ちだけと無記名の封筒で受け取り、受け取った全額を神社や寺に寄付していました。
それは祖父が製鉄会社の社員だったために年金があったからと、また肉食をせず米と魚と野菜だけを食べていたので、お世話になった人からの謝礼の持ち込まれた食べ物だけで十分だったからです。
とにかく質素な人でした。
その修行も厳しく厳冬の雪が降る中で、70を超えるまで、海に入って禊をしたり、滝行をしたりしてました。
ここからは、あくまで私の主観ですが、実際の拝み屋さんは過去が不幸な人がやってたり、家族とかまわりの人が不幸だったりって、そういうのは実際には良くあるものなので、不思議なことが起こって験が出て人を幸せにするだけでなく、残酷な側面もあるんだと祖母や祖母のまわりを見て思いました。
昔は神仏のお試しと言って、不思議な事を起こして助けてくださる反面、その人の信仰を試すために不幸にすると言うのも普通にあった話で、キリスト教にすら、それはあります。
ただ、どんなに苦労や不幸があっても、信仰を続ける事を疑いながら、それでも信仰するって言うのが本来の信仰なのでは無いかと思います。
祖母とか祖母の周りの方々が話してた厳しい話を今ではあまりその手の界隈では言わないんで、書いてみました。
スタート……拝み屋さんだった祖母の思い出 平 一悟 @taira15
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