超うどん理論

@szKashiwazaki

第1話


「あいよ、ぶっかけうどん一丁お待ち」

 山田は客の前にどんぶりを置いた。脱サラして「うどん山田」をオープンしてから三年になる。経営は順調で、昼飯時になれば20席が全て埋まる日もある。もっとも、現在は微妙な時間帯ということもあって、目の前のぶっかけうどんの客一人だ。

 男は美味そうに麺をすすり始めた。既に何度も店を訪れている、顔馴染みと言っていい客だった。格好を見たところ、大学生だろう。

 

 やがて、半分ほど食べ終わった頃、男が不意に言った。

「ところで店長さん、物質が何から出来ているかご存じですか?」

「物質? また妙なことを聞くね」

「物理学ですよ。中学高校でやったでしょう?」

「ああ、かすかに覚えているような気もするよ。確か全てのものは原子で出来てるんだ。そんで、原子は素粒子で出来てる」

 

 男はうどんを食べながら頷いた。

「ほのほおりです。ではその素粒子は?」

「うーん、忘れちまったな。物理はどうもだめだ」

「いえいえ、素粒子が出てくればたいしたものですよ。そこから先は高校では扱いませんから」

「なら知らんわ。まあ、もっと小さい粒なんだろうな」

「いえ、実はですね素粒子はひもで出来ているんです」

「ひも?」

 山田は素っ頓狂な声を上げた。

 

「そう、ひもです。最新の物理学では、素粒子はある種のひもで出来ているというのが有力な仮説としてあげられています。実験で確かめることは技術的な問題もあってまだ出来ていないんですが、素粒子がひもだと仮定すると光の偏光と言う性質をはじめ、数々の謎がシンプルに解けるのです」

 

 男は長台詞を言い終えると再びうどんをすすり始めた。だが、山田は腑に落ちない表情でいる。

「ひもねえ……その仮説ってのは、本当にちゃんとしたものなのか?」

「ええ。信じられないようでしたら、これを読んでみて下さい」

 そう言って男はかばんから一冊の本を取り出した。表紙には「超ひも理論入門」と書かれている。


 どことなくアホっぽい感じのする「超」の字に疑いを強めた山田だったが、版元を見て驚いた。そこには本をあまり読まない山田も知る、一流出版社の名前があったのだ。パラパラとページをめくってみると、こんな記述が目に入った。

『物質を構成する最小単位である素粒子の正体は振動するひもであるというのが、現在もっとも有力な学説です』

 

 本当にひもだった。しかも振動していた。

 こうなっては、山田も信じざるを得ない。万物はひもで出来ている。

 

「へえ。科学ってのは不思議なもんだね」

 そう言って、本をを男に返した。だが、話はここで終わらなかった。

 

「はい。そしてここからが本題なのですが、このひもの性質が徐々に分かってきたのです。どんなひもだったと思いますか?」

「そう言われてもねえ、そんな専門的なことは俺には分からないよ。ヒントをくれないと」

「ヒントは既に充分ありますよ。何故私が、店長さんにこんな話をしているかということです。それに、専門的と言いますが、それは店長さんの専門でもあるのですよ」

 

 山田は怪訝な顔をした。何を言っているのだろう。俺の専門は超ひも理論とやらではない。そんな言い方をしたことはなかったが、強いて言うなら俺の専門は――――

「っ! まさか……これか……?」

 

 山田はどんぶりを指さした。そこにはまだ少しうどんの麺が残っていた。

 

「その通り! 超ひも理論のひもはうどんだったのです!」

 

 口をあんぐりと開け、唖然としている山田をよそに、男は続ける。

「素粒子を構成するひもの、強度や張力の数値を調べてみたところ、なんと、うどんの麺に極めて近い数字が出たのです。さらに、このひもには力を加えると形を変える柔軟性があるのですが、これがまた、うどんのそれとよく似ているのです」

 

 山田はどんぶりの中の麺を見つめた。心なしか、神秘性を帯びているような気がする。

 

「あり得るのか……そんな偶然」

「ええ。宇宙には途方もない種類の物質がありますから、その中の一つが素粒子に似ていても全く不思議ではありません。まして、素粒子は万物を構成する最小単位ですからね。説明すると長くなるので割愛しますが、複雑系という学問の知見からすれば、ある物質が、その構成要素の物質の性質をそのまま維持していることはよくあるのですよ」

「成るほど……」

 

 感慨深い気分だった。三年間、自分が作っていたのが宇宙の真理に通じるものだったとは。

 

「そして、ここからがようやく本題なのですがね。素粒子のひもというのはあまりに小さいので、満足に実験が出来ません。そしてうどんに似ている。そこからある可能性が導き出されるのです。すなわち、うどんを使って実験することで、素粒子の性質を調べることが出来るのではないかということです。勿論、よく似ていると言っても厳密に言えば違うわけですから、完全な解明は出来ません。しかし、素粒子というのはまだ謎だらけの代物ですから、うどんを使って大まかな性質が分かったとしたら、それはもう科学史に残る大発見なのです」

 

 そう言うと男は、一気に残りのうどんを平らげ、

「実は私、こういう者でして」

 と一枚の名刺を差し出した。そこには「東京大学物理学部准教授 北部陽一郎」と書かれていた。

「研究用のうどんを譲っていただくことは出来ませんか?」

 怒濤の展開にあっけにとられていた山田は、たっぷり5秒は固まったのち

 

「……あんた、学者の先生だったのかい」

 と声を漏らした。この北部という男、容姿は大学生にしか見えない。よっぽど若作りなのか、よっぽど優秀なのか、そのどちらかだろう。山田はなんとなく後者である気がしていた。

 

「はい。それで、どうでしょう、うどんの方は……」

「構わんけど、なんでまた工場とか大企業じゃなくウチに?」

「大量に必要なわけではないんです。研究チームもまだ小さいですし。それと、私はここのうどんが特に好きでして、せっかくならと普段通っている店のものをと……ご迷惑でしたらすみません」

「いやいや、迷惑だなんてことは無いよ。廃棄になる分があるからそれでよければ是非」

「ありがとうございます。それでどれ位払えばいいでしょう……?」

「いらんいらん、どうせ棄てちゃうんだ。ただで持ってって下さい」

「本当ですか、ありがとうございます。助かります」 


 その後も、北部は定期的に来てうどんを貰っていった。山田も廃棄のうどんが出ると、北部に渡すためビニール袋にいれて冷蔵庫にしまっておくのが日課になった。

 

 もう一つ新たに増えた日課がある。それは科学の本を読むことだった。北部が初めてうどんを貰った日の翌日、山田は近所の駅にある書店を訪れた。そこで、北部が山田に見せた、例の「超ひも理論入門」を買ったのだ。それまで物理学など自分には無縁だと思っていたのだが、読んでみるとこれが意外に面白い。北部にそのことを話すと、おすすめだという本やテレビ番組などいくつかを教えてもらった。それらがまた面白く、山田の科学好きに拍車をかけた。

 

 科学書の中には、科学者のエピソードがコラムとして書かれているものもあった。山田は次第に、これはもしかするかもしれんぞ、と思うようになってきた。

 というのも、それらのコラムには科学者の研究生活を支えた家族や支援者のことが書かれているものが多々あったからだ。

 

 素粒子の謎を解き明かした天才物理学者、その陰には研究に協力したあるうどん店が――

 

 そんなエピソードが本になることを想像する。

 

 まだある。1923年インスリンを発見した功績でバンティングとマクラウドという科学者がノーベル賞を受賞したのだが、実はこのマクラウド、発見についてした仕事はといえば、相方のバンティングに研究室を貸しただけなのだ。実験室を貸して受賞がありなら、実験用のうどんを提供して受賞したって全くおかしくはない。北部は、素粒子の謎を解明すればノーベル賞は確実だと言っていた。研究チームは少人数だとも。ならば自分にお鉢が回って来るかもしれない。

 

 うどん店店主の山田さん、ノーベル物理学賞を受賞――

 

 そんな新聞記事の一面を想像する。

 山田は、店を訪れた北部に研究の進捗を聞くのが日々の楽しみになっていた。

 

 


 

 

 

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