第4話 とても、優しかった。

 ぐぅ、と腹が鳴る。慌てて腹を押さえたが、手遅れだった。俺が顔を赤くしていると、彼はきょとんとした顔をして、それから「ああ」と頷く。


「お昼ご飯の時間なのですね」


 お腹が空くのは良くないことです、おかえりになって、何か召し上がってください。さっきまで一緒にいてほしそうだったのに、帰るように促すから、俺は少し困惑した。それから、気を遣われているのだ、と察した。


「ああ、いや、弁当が有るから……」


 その存在を思い出してビニールを開けたが、中身はしっちゃかめっちゃかになっていた。そういえば転んで放り出した挙句に祠にぶつけたんだった。中身のコンビニ弁当は変わり果てた姿になっていて、俺は思わずため息を吐いた。


「……ごめん、弁当、死んでた……」


「ああ……ご愁傷様です……」


 幽霊にそんなことを言われると本当に残念な気持ちになる。それからはたと気付いた。何をこの得体の知れない化け物と一緒に飯を食おうとしているのか。ここから立ち去る良い口実ができたじゃないか。飯を食いに家に帰る。それで彼とはおさらばできる。


「……じゃあ、悪いけど、俺は帰るよ」


 ベンチから立ち上がると、彼は名残惜しそうに俺を見上げていたけど、また柔らかく微笑んだ。


「はい、お話ししてくださって、ありがとうございます。お気をつけて」


 彼は放って帰る俺を責めもせず、引き止めもせず、無事を祈った。これじゃあ俺がクソ野郎みたいじゃないか。


「……じゃ」


 俺はそそくさとその公園を後にした。







 俺の住んでいる白夜荘というアパートは、新築なのに安い。白い外壁が爽やかで、人気の物件らしいが、あまり隣人に会ったことはない。でも美人の大家にはよく会う。ここの大家は赤色の長い髪のオカマだ。別段関わりたくもないから、話しかけられても会釈をする程度の交流しかないが、何故だか妙に会った。


 その時も、俺がアパートに戻ると、入り口で掃除をしていた大家に出くわしてしまった。


「あらっ、清晴ちゃん。おかえりなさい! 今日もお仕事だったの? 土曜なのに、大変ねぇ」


 声音も見た目も仕草も服装も、何もかも色っぽいお姉さんなのに、大家はオカマだ。妙に馴れ馴れしいのも、少し苦手だった。


「はい、隔週で出勤なので」


「そうなのねぇ。……ところで、ずいぶんスーツが汚れてるじゃない。お洗濯は大丈夫? クリーニングに出しておきましょうか?」


 大家がそう言うから自分の姿を見ると、散々公園で転ぶわへたり込むわしていたから、スーツは泥と枯れ葉だらけだ。


「……大丈夫です、家で洗えるやつなんで……」


 それだけ答えて、そそくさと部屋に戻る。さっさと服を着替えて、スーツのゴミを叩いてから洗濯機に放り込む。弁当は死んでいるからゴミ箱へ。コンロに水の入った鍋をかけて、シンク下の収納からカップラーメンを取り出す。湯が沸いて、ラーメンに注ぎ、3分経てば昼飯の時間だ。


 ラーメンと箸を持って、床に座り込む。なんの楽しみもない部屋で、ズルズルと麺を啜る。別段美味いとも不味いとも思わない。飯は胃を満たして栄養を摂るだけのルーチンだ。


 なのに、どうして俺は公園で弁当を食おうなんて思ったんだろう。もっと言うと、なんであの幽霊と一緒に弁当を食おうと一瞬でも思ったんだろう。


 俺にはよくわからなくなった。ただ、彼の優しい微笑みが、何故だか目に焼き付いていた。

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