紋の蛍の夏の夜の
グリ
第1話
その夏の夜、広大な敷地を有する
まだ幼い
会場である広間の入口に着くと、母親は足を止めた。紋はぶつかりそうになりながら足を止め、広間の中を覗いた。中には想像以上に多くの人が集まっており、紋はその賑やかさと煌びやかさに圧倒され、鼓動が高鳴った。しかし、ぐるりと見渡してみても、紋のような幼い子供は他にいないようだった。
その時、ざわめきが止み、広間にいる全員が正面を向いた。そこは一段高い壇になっており、重厚なデザインのテーブルと椅子が置かれ、一際美しく花が飾られていた。音も無く脇の扉が開き、親子と思われる男と少年が現れた。男は細身で、色素の薄い長い髪を一つに束ねている。後ろを歩く少年も同じ髪色をしていた。二人は黒紋付に袴の正装で、壇上に上がると静かにテーブルに着いた。男は優しい笑みを湛え、少年は無表情であったが、二人とも銀色の瞳が美しく、息を呑むほど端正な顔立ちをしていた。
「お二人共、相変わらずお美しい。」
「
「
会場のあちこちから、溜息交じりに二人を称える声が聞こえてくる。
紋も、すっかり壇上の二人に見入っていた。
「紋。」
不意に名前を呼ばれ、紋はハッとして隣に立つ母親の顔を見上げた。母親は視線を壇上の二人にむけたまま、不敵な笑みを浮かべていた。
「紋、忘れるな、あの顔を。冷酷な銀色の瞳を。我らの憎むべき者たちを。」
静かだが、しかし、深い念の籠った重々しい口調だった。
紋は視線を壇上の二人に戻すと、胸の前で両手をギュッと強く握った。
宴は続いていたが、母親に外に居るように言われたため、紋は広間のバルコニーの下にある池の畔で一人遊びをしていた。小さな石を拾ってはポチャンと池に投げ入れてみたり、大きな鯉がゆったりと泳ぐのを眺めたり追いかけたりしていた。
「何をしている?」
頭上から静かな声がした。紋は驚いて顔を上げると、バルコニーからこちらを見つめている少年と目が合った。先程壇上に居た、あの美しい少年だった。銀色の瞳が紋をしっかりと捕らえている。紋はあまりに驚いて、声も出せずに立ちすくんだ。
「お前のような子供が居るのは珍しいな。退屈だろう。」
少年はにこりともせず言うと、すっと音も無くバルコニーの欄干を乗り越えて降りて来た。
少年の美しさと、母親の言葉と、紋は頭の中が混乱してどうしていいかわからず、ただただ立ち尽くしていた。
「子供には退屈な宴だ。来い。」
少年はそう言うと背を向けて歩き出した。紋は言われるままに慌てて後ろをついて行った。
少し歩くと茂みが濃くなり、広間の光も届かず真っ暗になった。ざわめきも遠のき、二人の足音と虫の音しか聞こえない。足元がよく見えないので紋がもたついていると、少年は自分の手の平にフッと光を灯し、紋の足元を照らした。紋は何かくすぐったいような気持ちになりながら、小さく頭を下げた。
さらに暫く歩き、「どこに行くのだろう」と紋が不安になってきた時、少年は足を止め、紋の方を振り返った。
「ここだ。見ていろ。」
そう言って手の平の光を消した。紋はよくわからないまま、言われた方向を見た。真っ暗で何も見えないが、せせらぎが流れているような水の音がする。その時だった。一つ、また一つと小さな光がふわりふわりと飛び始めた。蛍だ。小さな光は次々と現れ、数えきれない程になり、幻想的な空間を作り出した。
紋は初めての蛍に、夢中になって手で触れようと手を伸ばしたり、ぴょんぴょんと飛び跳ねたりしたが、蛍は全て手をすり抜けて、ふわりふわりと舞っていた。
フッと少年が小さく笑う声がして、紋はハッと我に返ってそちらを見た。美しい銀色の瞳が、それは優しく笑っていた。紋の心臓の鼓動が速くなり、頬が熱かった。
「本当にこの人が、冷酷な、憎むべき相手なのだろうか。」
幼い紋は頭の中を混乱させながら、少年の瞳から目が離せなかった。
そこで目が覚めた。時計は夜中の二時を少し回ったところを示している。十年も前のことを夢に見るなんて。紋は体を起こして、深呼吸をした。いや、十年前とは言え、昨日のことのように覚えている。それを今日夢に見るなんて。違う、今日だからこそ見たのか。紋は胸の辺りで手をギュッと握って体を丸めた。朝までもう眠れないだろうと思った。
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