第3話 生綱ギロチン

 芽亜が入学後にクラスメイトから聞いた話によれば、三年制の姫騎士学園のストレート卒業率はおよそ三割であるらしい。七割の生徒は死亡するか退学するか留年する。それが超スパルタお嬢様学校と謳われる姫騎士学園の実情であった。


 機関銃陣地攻略演習を終えた一年生一同は見るに堪えない有様であった。四方院さんのように直接被弾して致命傷となった生徒はそう多くはないものの、ほとんどの生徒がどこかしらに傷を負い、肉体的にも精神的にも疲弊しきっていた。泥まみれであったり顔にかすり傷ができたりで、鉄条網で制服がずたずたになって下着が見えている生徒や、銃弾で欠けた耳の流血を手で押さえてさめざめと泣く生徒もいる。芽亜は運良く無傷で済んだが、制服は他の班員と同じく血と泥で汚れていた。肌も衣服もきれいなままで演習を終えることができたのは、一年生筆頭八剣やつるぎ霧子きりこ、彼女の率いる班くらいであろう。


 一般の女子学生間における地位を決定づけるのは共感性や押しの強さといったコミュニケーション能力であるが、ここ姫騎士学園において重要視されるのは武力と容姿と胆力である。八剣霧子はそのいずれをも持ち合わせていた。

 優れた戦闘向きの能力に加え、古流剣術を修めているらしく、その戦闘力は一年最強といわれている。透き通った肌はブロンドの髪色によく調和して、武道の賜物か、その身体つきと姿勢はすらりとしていて美しい。すらりとし過ぎているのと髪型がツインテールという点は一見幼げに見られがちな要素であるが、彼女の場合は凛とした佇まいから大人びて印象され、生徒たちからはお姉様として嫌味なく慕われている。

 同い年なのに姉呼ばわりはどうかとも思うが、この学校においてはそういう文化であるらしい。姉妹の契りとはまた別で、己より優れた者を姉と見なして敬意を払う。ある意味では一般校のスクールカーストより階級意識が強いのであろう。

 彼女の性格について詳しくは知らない。芽亜も他のクラスメイトと同様にキリコお姉様と呼んではいるものの、会話の機会といえば挨拶くらいである。察するに彼女はコミュニケーション強者女子と違って世話焼きや根回しなどはあまりしない性質であるらしい。どちらかといえば物理強者女子らしく求道的な気質で、いわば硬派な人柄であった。そんな人物がお高くとまってと陰口をたたかれず、高嶺の花として素直に慕われるのが、姫騎士学園の気風であった。脳筋ともいえる。


 教官のザマ先から校庭に整列と命じられ、装備を抱えて疲れた身体を引きずるように駆けて行く。演習場から一年校舎の校庭まで数キロメートルの距離がある。姫騎士学園の敷地は非常に広く、敷地全体でいうなら町一つ分はあるらしい。屋外演習のたびにマラソンを強制される。

 保健室送りの重傷者は黒衣くろご姿の補助教員らが担架に乗せて連れ去ったが、残った生徒全員が全員ランニング可能な体調というわけでもない。

「このペースだと厳しいわね。リン、貴女たちは銃を集めなさい。自力が難しそうな者のを、可能な限りよ。私は剣を運ぶわ。全員分」

「うっすあねさん。よーしお前ら、姉さんの指示だ。キツそうな奴は名乗り出るっす」

 犬耳少女の弥彦やひこ嶺鈴れいりんを始めとした霧子班の班員が体調不良者の三八式歩兵銃を、霧子がクラスメイト全員の剣を集めていく。芽亜が剣帯から外すと、剣が鞘ごと浮いて、独りでに霧子のもとへ飛んで行った。霧子の能力である。全員分の剣が彼女の周囲にふよふよと直立して浮いている光景は迫力があった。

 霧子は頭痛を堪えるように顔をしかめた。

「この数の同時制御はさすがに難しいわね。リン、こちらも紐で括ってちょうだい」

「りょーかい。いつもみたくぶっ叩かないでくださいよ?」

「こんな状況でおふざけをしない限りね」

「うひひ、さーせん」

 霧子がいくつかの束にまとめた剣を周囲に浮かせ、霧子班の班員が小銃を持ちやすく紐で括って担いだ。(姫騎士学園の授業で使用される小銃にはいずれも無傷の菊の御紋が付いているので、いかに無法の私学といえど、今のように粗末に扱っている現場を教官に見つかれば罰則を喰らうであろう)

「余裕のある者は肩を貸してあげて。連帯責任もあるだろうけれど、仲間を見捨てないのが姫学乙女よ」

 芽亜も一応余裕がある側なので、近くの生徒に肩を貸した。


 なんとか集合時間には間に合ったが、ザマ先こと白鷺しらさぎ莉々愛りりあはいかにも不機嫌そうであった。

「集合! 整列! 前ぇ~ならえっ! っきをつけぇえー! ――休むな!」

 と号令をかけたきり押し黙り、一年生一同を睨め付けていた。芽亜には彼女が粗探しのために生徒一人一人の顔色を念入りにチェックしているようにも感じられた。

 ザマ先は溜めに溜めた末、

「はぁ~」

 と、姫学流でいえばお排泄デカい溜め息をついた。

「ザマス。あなた方はやればできる子たちだと、そう思っていたアタクシの見立てが間違っていたザマス。ごめんあそばせ。この程度の授業で保健室送りが出るなんて……まったく、どいつもこいつもウジ虫未満のお排泄、我が校始まって以来の劣等クラスといえるザマス。そもそもあなた方、全員ほんとに姫騎士ザマス? 血統調査したザマス? 自分を姫騎士を思い込む中二病女子が、紛れ込みでもしているザマス?」

 ねちねちと、ザマスザマスと嫌味を言う。

「一年生筆頭八剣霧子! 前へ!」

「はい」

 霧子がザマ先の目の前へと進み出る。

「アタクシ常々、連帯責任の多用はどうかと疑問に思っているザマス。少数の責任を全員が分散して負うというのは、あまりに軍隊染みていて姫騎士らしくないと。むしろ責任者一人が責任を負う。姫騎士たるもの、ノーブレスオブリージュこそが相応しいと。八剣霧子、あなたもそう思うザマス?」

「はい」

 と言うしかない。姫学乙女の規範もあるが、筆頭というクラスを統率する立場の者が、責任逃れと捉えられかねぬ返答をすれば信用が失墜する。

「なら謝れ」

 意図して出していたきいきい声が、打って変わってこのときだけは地声になった。

「演習の準備と手伝いをして下さった補助教員の先生方に。あなた方が台無しにした制服、装備、塹壕設備とおパンティーに。演習を失敗して申し訳ありませんと、劣等に生まれついてごめんなさいと、責任者のあなたが代表して、あなた一人が謝るザマス」

 言い切ると同時にパチンと指を鳴らすと黒衣姿の補助教員たちがどこからか表れて、呆然と佇む霧子に向かって口々にささやいた。

「謝れ」「謝れ」「謝りなさいよ」「謝罪しろ」「ごめんしちゃおう?」

 霧子は俯いて微かに震え、しばらくすると脱力して顔を上げた。

「……申し訳、あり――」

 ぺちんっ、と、謝罪を遮り音が小さく響き渡った。沈黙の横たわるなか、ザマ先が腕を振り切っていた。手の甲での平手打ち、いわゆる裏拳ビンタである。神気強化はされていない。ほぼほぼ生身の一撃であろう。霧子ほどの姫騎士の肉体強度からしてみればあまりに弱い一撃で、痛みもなく、ほとんど撫でたのと変わりない。しかしぞんざいなだけに、屈辱もひとしおであったろう。意を決して謝罪の言葉を言おうとしたところを出し抜けに打たれたのである。霧子から、ぞっとする怒りの気配が滲み出た。

「神威を漏らすな修正ザマス!」

 再度の平手打ちが彼女を正気に返らせ、物騒な神威が静まった。

「筆頭ともあろう者が精神修養が足りんザマス。ここは二度とお漏らしせぬよう、アタクシが鍛えて差し上げるザマス。えいえいっ」

 ぺちぺちと気の抜けた往復ビンタを繰り返す。

「怒ったザマス?」

 年甲斐もなく首を傾げて霧子の顔を覗き込む。火に油を注ぐような所業である。入学初日に教官に歯向かった褐色ギャル少女、伽羅きゃら迦楼羅かるらのことが思い出された。現在も服役中の無期停学者である。

「こつこつ小突きのおほっぺ打ちなど、屈辱的に過ぎますわ」

「お労しやお姉様……」

「カルラっちさんのようにおブチ切れになってしまいますの?」

 ひそひそ言い合う生徒の私語をあえて注意しないのも、晒し者にして怒りを煽るためであろう。生徒指導の教師が不良学生のリーゼントにハンバーグソースをかけるがごとき行いであるが、たちの悪いことに、ザマ先にしてみればこの程度は火遊びでもなんでもない。

 一般社会の教師や上司と違って姫騎士学園の教師は強い。物理的に強い。卒業資格を得て結婚せず、あるいはできずに学園に居座り続けて教師となった、なってしまった歴戦の姫騎士である。女盛りの見た目とは不釣り合いなその実年齢からして、年の功も相当なものに違いない。

 教師と新入生とでは、成人男性と女児くらいの力の差があるといえる。現に伽羅迦楼羅は激昂して襲いかかったはいいが即座にぼこぼこに制圧されていた。見せしめも兼ねたのか文字通りのぼこぼこである。しょっ引かれながら「前が見えねェし……」と顔面をシュークリームのように腫らしていた。


 筆頭は学年の顔である。それをこうも辱められて黙っているのは面子以前に騎士道にもとる。しかし率先して霧子を庇おうとする者は現れなかった。皆、演習の疲労で気力が萎えていたのもあるが、なによりも教師反逆罪とみなされて迦楼羅のように顔面を崩壊させられたくなかったのである。ザマ先の見せしめは有効に機能していた。

 運が良いのか悪いのか、こういう場面でいつも真っ先に異議を唱えては罰則を喰らう四方院卍姫は保健室送りである。妹分の嶺鈴はというと、彼女は霧子自身の意向を最優先したいので命じられねば行動できない。悔しげに涙を流してハンカチを、実際に噛んで見守っているだけである。

 ザマ先の挑発は続く。

「前に剣を極めるために姫学に入ったって言ったザマス? 今はどんな気持ちザマス? ねえどんな気持ちザマス?」

 堪えきれず漏れ出た神威が、じわりと辺りを無差別に威圧する。腰の剣の鯉口が独りでに切れる。八剣霧子は誇り高い。限界が近いのであろう。たとえ負けるとわかっていても、己の名誉と誇りを守るために反逆する。それこそが騎士道、それこそが乙女気おとめぎである。

 固唾を呑む。一触即発の気配である。


 誰かが「あっ」っと声を漏らした。

 声の主に注目する。表情を見て視線を辿る。人影があった。白い、人影であった。張り詰めた空気をふわりと、優しく包む何かを感じた。

 満開の桜並木の下を、楚々とした足取りで、こちらを向いて進んでいる。風が吹く。花が散る。ぼんやりと、そういえば校庭の桜は今が見頃だったなと、今さらながら思い当たった。雑念を振り払う。

「わぁっ……」

 白い少女だ。やはり白い。髪が白い。アルビノなのか、腰まで伸びた長髪の無垢な白さに負けないくらい、肌も白く透き通っている。太ももや指先にも日に焼けた色素の一切無い肌色は、明らかに不自然でありながらも、あらゆる要素の整いすぎた容姿のためか、自然な調和がとれていた。

 舞い落ちる花びらが、白く輝き流れる髪に絡むことなくすりぬける。美しかった。幻想的に過ぎてただきれいというよりも、見る者に後ろめたさを感じさせかねぬ美貌であった。清廉な気配も、灰の瞳の眼差しも、その身を包む芽亜たちとまったく同じ制服ですら、犯し難き純潔の白色を纏っているように思われた。

 幻想の乙女といえば妖精に喩えられる。けれどもその姿は妖精というよりむしろ、

「女神さま……」

 生徒の誰かが思わずそう溜め息を漏らしたように、姫騎士の始祖とされる女神の肖像に、どこか似通っていた。


 場の空気は一変した。校庭に現れた白い少女に、普段はですのですのと騒がしいクラスメイトたちも、冷静沈着な一年筆頭八剣霧子も、ただ惚けて見入っていた。あのザマ先こと白鷺莉々愛でさえ、生徒の反応につられて振り向くと絶句していた。しかしまた、いち早く我に返ったのもそのザマ先である。さすがの年の功であった。

「そこな不審者! 名乗りなさい!」

 怒鳴られても即座に応じず、落ち着き払ってザマ先の目の前までたどり着いて、それから初めて彼女は声を発した。

真理谷まりや夕子ゆうこ。新入生よ」

 声もいい。少しハスキーなところが素敵である。

「新入生ぇ? ……ああそう、学長の仰った追加入学者」

「係の者にここへ行くよう言われたのだけれど、お取り込み中だったかしら」

 ちらとこちらを流し目に見られる。生徒たちはそんな僅かな視線でもつい意識してしまったのか、己の髪に手を触れたり制服の汚れをはたき落としたりしていた。慌てすぎである。芽亜は一瞬で前髪を整えた。

「……名前を、名前を聞き逃したザマス。もう一度名乗るザマス」

「ザマス?」

 やはりザマ先の口癖は初対面であると奇妙に聞こえるらしい。戸惑いからか間が空いた。

「……さっさと名乗りなさい」

「夕子。真理谷夕子よ」

「聞き覚えのある苗字ね。……母親の名は?」

「真理谷夕凪ゆうなぎ

 その名が出てから、一瞬の出来事であった。

 ザマ先が半歩下がって背後の霧子の腰の柄に手を伸ばすと、逆手持ちで抜き打ちに、夕子へと斬りかかった。あまりに突然かつ滑らかな動作で、その凶行に生徒はもちろん、剣を奪われた当人の霧子ですら反応できなかった。反応できたのはただ一人だけである。

 神威を乗せた剣圧がぶつかり合い、凄まじい音とともに衝撃波が走った。思わず瞑った目を開くと、ザマ先が逆手に斬り付けた剣を、夕子がいつの間にか抜いた剣で防いでいて、二人の周囲にはちょっとしたクレーターが出来ていた。

 一方は不意打ちして防がれ、もう一方は不意打ちされて防いだ。両者とも無傷なので、最も被害を受けたのは霧子といえる。剣を取られたうえに、一番近くにいたせいで、飛び散った土砂が降りかかったのである。

 そっとハンカチを出して顔を拭く霧子に目礼してから、剣を合わせたバインド状態のまま、夕子が口を切った。

「随分なご挨拶ね。これが姫学流のやり方なのかしら」

「敬語!」

「……随分なご挨拶ですね。これが姫学流のやり方なのでしょうか」

「(言い直した?)」

「(この空気で言い直しましたの?)」

「(素直!)」

 クラスメイトがひそひそ声で驚愕する。もしやこの人天然なのではあるまいかと芽亜は思った。

「そうザマス。あくまで今のは挨拶ザマス」

 ザマ先はふっと力を抜いてバインドをあっさり外して振り返ると、「返す」と剣を霧子に差し出してから、所定の位置に戻った。そうして生徒たちを睥睨したと思うと、にっこりと破顔した。

「傾注! ここにいる真理谷夕なんとかは追加入学者ザマス。追加入学、今さらながら遅れてきたということザマス。つまりこれまであなた方の受けたシゴキの分、娑婆暮らしで楽をしたということザマス。よって不平等の是正のため、これより特別入学試験を開始するザマス! またこれはこの夕なんとかが新しいお友達として、ちゃんとクラスに馴染めるようアタクシからの入学祝い、そう、心づくしでもあるザマス。筆頭、拍手。歓迎ザマス」

 ザマ先ににやにや笑いで命じられ、霧子がためらいがちに手を叩く。それに従い生徒たちも拍手をする。歓迎とはいわれたものの誰も「ご入学おめでとう存じます」などとは口を開かない。なんとなればザマ先があの顔をするときはいつも、ろくでもないことの前置きでしかないのである。

「試験内容は生綱きづなギロチン! 補助教員は直ちに用意をするザマス」

 補助教員らが敬礼して駆けて行き、十分ほどの時が過ぎた。



 その間、拍手は続けたままである。始め夕子は生徒たちの歓迎を素直に受け止めたのか、優しい微笑を湛えていた。黒衣たちが用具を運んで戻って来ると微笑が少し引きつった。てきぱきと用具を校庭に設置して試験準備が完了した頃には、無表情で目を軽く見開いていた。

 用意自体はごく単純なものである。有名な処刑用具であるギロチンと、そこから垂れた縄に繋がる滑車台の二つだけである。時間がかかったのは地面に固定した滑車で、縄をちょうど良い高さで水平方向に突っ張らせる、その調整のためである。


 ザマ先が縄の先端から、数メートル横のあたりの地べたを指差した。ギロチンの側面と向かい合う位置である。

「手を後ろ手に膝を突くザマス」

 夕子が言う通りにすると、黒衣が「はーい、お手々結びますよー」と美容師みたいな口調で両手首を固く縛った。

 ザマ先が上機嫌そうに夕子の横の縄を引くと、ギロチンの刃が持ち上がる。

「すべりよろし」

 刃を上げ下げ確認し終えると、今度は縄を目一杯引っ張って、ギロチンの刃の高さも最大になる。この状態であると横向きの縄の先端が、膝を突いた夕子の口元にちょうど来る位置となる。滑車台の調整に手間をかけたのはこのためであろう。

「咥えるザマス。固く、そう、噛み締めるザマス」

 縄を噛む。ぱっと手を離されて、ぎちりと身体が軋みだす。滑車を通してギロチンの刃の重さと夕子の顎の力とで綱引きする。そんなような状態になった。

 重りも含めた刃の総重量は夕子の体重とぎりぎり釣り合うくらいである。日常の食事で使わぬほどの咬合力もそうであるが、首を始めとした上半身の筋肉も音を立てて引きつった。少しでも気を抜いたり身体強化が途絶えたりすれば、縄の固定が外れてギロチンの刃が落ちるであろう。縄の長さもぎりぎりなので、離したら咄嗟に噛み直すこともできない。一度でも顎を緩めればお仕舞いである。

「そしてそこのギロチンにあなたの仲間をセットする。ことにより、あなたの今咥えたそれが、あなたの仲間の命綱、すなわち生綱きづなとなるザマス」

 仲間という言葉に生徒たちが、筆頭の霧子を除いてざわめいた。

「無論ただの耐久試験ではないザマス。顎を鍛えるだけ? 乙女の道とはそのような生ぬるいものであるはずもなし。例のものを」

 と、黒衣から受け取り、翳す。

「騎士道精神注入べん!」

 なぜかだみ声で高らかに生徒たちに見せびらかして、夕子にもよく見えるよう顔の前で素振りした。見せ鞭というやつである。

 日本人にとってはかつての帝国軍や一部の全寮制学校で現役の精神注入棒のほうが馴染み深いが、ここはお嬢様学校である。注入棒ではセンシティブに過ぎる(軍隊やそれに類似した閉鎖環境における男色サディズムの蔓延は周知の事実であるが、姫騎士にとって貞操の危機は命の危機に等しいため、この類いのことに関しては非常に気を遣われている)として馬鞭が用いられる。日本海軍の手本となったイギリスでは鞭が用いられていたらしく、ある意味では先祖返りといえるであろう。騎馬術や乗馬の授業で使うので予備も豊富にある。

「この鞭であなたを打つ。百回打つ。これこそがこの生綱の、由緒正しい伝統的な作法ザマス」

 生綱きづなとは、かつて武士の間で盛んに行なわれた風習である。その発祥は江戸時代初期とされ、現代ではきずなという語の語源としても知られている。断崖絶壁や海上などで、仲間の命綱を咥えた状態で打擲され、その者が痛みに耐えきって命綱を離さなければ仲間が死なず成功とされ、痛みに耐えかねて命綱を離せば仲間が死んで失敗とされる。成功すれば名誉を得て、失敗すれば不覚悟で切腹となる。この生綱は武士の徳でいうところの勇と仁、忍耐力と友情の証明が同時にできる画期的なものであった。原型となったのはキリシタン用の踏み絵ギミックで、そこに当時の武士たちが目をつけておとこだめしとして発展させた。

 生綱ギロチンはこの生綱に、幕末に伝来したギロチンを組み合わせたものである。平地でも行えるよう事前準備の手間が軽減されて、維新志士の間で爆発的に流行したという記録がある。

 ちなみに上級武士が箔付けのため挑戦することもあったが、その際は適当な部下を仲間役としたうえで、あらかじめ命綱に傷をつけて切れやすくしたきずなわを用いたという。命綱が途中で切れた場合は天意であり、命綱の相手が死のうが成功と見なされる。打擲時に誤って命綱を打って、それで切れることも多かったという。絆という字の仮名遣いが語源どおりの『きづな』ではなく『きずな』なのは、このきずなわに由来するという説が現代では支配的である。



 悪名高い生綱ギロチンの現物を前にして怯える生徒たちを、ザマ先が心底楽しげに見渡した。

「生綱ギロチンの必要パーツはあと一つ。栄えあるセット対象は――」

 霧子が一歩踏み出して、言った。

「私が――」

「お黙りなさいな興が醒める」

 鞭で頬をぴしゃりと打って黙らせる。

「曲がりなりにも筆頭なら、この場の空気を読むザマス」

 暴君じみた察してちゃんであった。二重表現かもしれない。

「そういえばたしかいいのがいたザマス。寮の同室、その予定者……矢見野芽亜」

 いきなり自分の名前を呼ばれたとき、芽亜はほとんど聞き流してしまっていた。霧子がいびられているときも、夕子が現れたときも、生綱ギロチンなどという頭のおかしい行事の準備が進む間も、他人事のように成り行きを見つめていた。

 芽亜は自分を普通の人間であると思っている。クラスメイトは皆、オブラートに包んでいえばひどく個性的で、彼女らと比べれば自分などたまたま姫騎士の力に目覚めた一般人に過ぎない。実家がお金持ちでも武術の達人でも日々決闘に明け暮れてもいない。そんなお嬢様ばかりの学級で無個性な自分は埋没してしまうであろうし、それでいいとも、むしろそれがいいと思っていた。姫騎士学園の生活は辛く、ただ日々をやり過ごすのに精いっぱいで自己実現の余力など残らない。無事に卒業する。姫騎士をやめて人間に戻る。家族への義理として家庭に入り、卒業年金を貰い、働かずに健康で文化的な中流程度の生活を送る。それ以外は望まなかった。芽亜にとって学園での姫騎士生活はあくまで一時の夢、悪夢でしかなく、ただやり過ごすべきものであった。

 しかし今、突然矢面に立たされることとなった。二人ひと組の学生寮で同室者不在の一人暮しを気楽に過ごした、その報いのような形である。

「はいそこな矢見野芽亜ァ、お返事ィ!」

「ひゃっ、ひゃい! め、メアのこと?」

 きょろきょろと回りを見てみる。気の毒そうな視線ばかりで、当たり前のことであるが誰も否定してくれない。

「こんなときでも一人称が名前のままなぶりっ子根性実にヨシ! 新入生の一番最初のお友達に相応しいザマス。補助教員!」

 気付いたときには遅かった。いつの間にか黒衣が二人、芽亜の背後に現れて、彼女の腕をつかんでいた。

「やだ、駄目、放して、つかまなっ、お願いだからはなしてよぉ!」

 黒衣たちは放さない。力が強い。中の人はザマ先と同様、鍛えられた姫騎士である。ひよっこの芽亜が神威を全開に暴れようがびくともしない。

「やだやだやだメアやだ! 誰か! 誰か助けて!」

 引きずられながら芽亜は叫ぶ。

「こんなところでこんなのでメアぜったい死にたくない! こんなの理不尽、理不尽だよぉ!」

 あまりにも情けなく、見苦しい。頭のどこかでおのれ自身を俯瞰してそう思いつつも、しかしそう振る舞うのをやめられなかった。美しく死ぬという姫騎士の美学に真っ向から反する無様さに、ザマ先も真顔になる。

「猿轡を。騎士の情けザマス」

 彼女にも反面教材としての扱いをしないだけの慈悲はあった。


 むー、むー、となおも唸る芽亜を、黒衣が二人がかりでギロチン台に押さえつける。

「とはいえ姫騎士とは、戦いの中で死ぬべきである。それが乙女の道ザマス。決闘や対抗戦でもなし、この程度の試験で人死にが出るのはアタクシも本意ではない」

 芽亜は唸るのをやめて縋るような目を担任に向けた。

「よって今回は腕一本で許して差し上げるザマス」

 横向きのギロチンに腕をはめたところで、鞭打たれる夕子と向かい合う位置取りである。芽亜の足掻きが通じたのではなく、始めからその予定であったろう。再び暴れ出した芽亜を落ち着かせるべく、黒衣たちが激励の言葉を贈る。補助教員に勝手な発言は許されていないので、どこからか取り出したスケッチブックへの書き込みである。

『姫騎士学園科学部は被験者絶賛募集中 \(^o^)/』

『貴女の身体をカスタマイズ♪ ドリルアームはいいぞぉ☆』

『欠損はトレンド』

 優秀な身体能力を活かした無駄に洗練された無駄の無いカンペ出しである。芽亜の抵抗が激しくなった。


 抵抗空しくギロチン台の首入れ穴に、俯せで横に伸ばした左腕を固定された。刃が落ちればすっぱり切断されるであろう。

「これより特別入学試験、生綱ギロチンを始めるザマス」

 ザマ先が宣言した。芽亜はここに至って初めて、膝を突いて縄を咥える夕子の目をまじまじ見た。アルビノの灰色は宝石のようで、鞭打ち待ちの、明らかに無様といえる格好でも、その透明な美しさを失わなかった。むしろ苦行に臨む聖女のような気高さが浮かんでいた。

 それでもどうせそんなのは、見せかけだけに決まっている。

「ひとぉーつ!」

 鞭が振るわれる。制服の背が破れて散って、痛みでその身が引きつったのか、ギロチンの刃ががたんと揺れた。

「ふたぁーつ! みっつよっついつぅーつ!」

 素肌を覆う布地の保護が邪魔らしく、立て続けに打って、背中を剥き出しに取り払う。

「とぉッ!」

 凄まじい音がした。昼間でもほの白く浮かんで見える玉の肌に、真っ赤な傷の筋が走って血が散った。肌を直に打たれる激痛は相当なものだろう。その表情に、声にならない叫びが見えた。しかし叫べない。うめき声も上げられない。発声するべく顎を緩めるその一瞬で、咥えた縄が外れてしまう。ひたすら声を押し殺し、歯を食いしばるしかないのである。

「ここからが本番ザマス。じゅーいちィ!」

 仰け反った。やっぱり無理だ、と芽亜は思った。あんな痛そうなのを百回も耐えられるはずがない。

「じゅーく! にじぃ、へくちっ……おっとうっかり回数を忘れちゃったザマス。なのでも一度はじめからぁ、そーれひとぉーつ!」

 芽亜は普通の人間である。普通の人間らしく、いつだって期待を裏切られて生きてきた。芽亜は夕子を信じなかった。

「んー良い感じ、肩のあたりにストレッチパワーが溜まってきたザマス。ギアを一つ上げていくぞッザマス!」

 大きいから肩が凝ると暗に自慢しつつ、鞭の振りをばるんばるんと激しくする。

「アン、ドゥ、トロワ! ハイ! アン、ドゥ、トロワ!」

 たしかに、真理谷夕子という美少女は美しい。世間でお清楚といわれる要素を片っ端から集めて採鹹し、それを煮詰めて結晶化したような見た目をしている。しかし見た目が素晴らしいからといって、性根も素晴らしいとは限らない。そもそも彼女は姫騎士である。姫騎士の美貌とは生まれ持った顔の造形というばかりでなく、神威による影響も多分にある。絶えず無意識に発せられる神威が、力と美こそパワーであると肉体を大ざっぱに強化する。それゆえに姫騎士は例外なく美しく、見た目と性格が釣り合わぬこともざらにある。だいたいこんな自分だって超絶美少女である。あのザマ先ですらそのザマス眼鏡を外せばとんでもない美女である。

 見た目なんかいくらでも繕える。今のだって痛いはずだ。やめたいはずだ。芽亜なんか見捨ててしまいたいと心の底では思っているはずだ。だいいち、自分と彼女の間に絆なんてない。初対面の相手のために、痛い思いをし続けるなんてありえない。芽亜が晒した無様もある。第一印象はきっと最悪に違いない。その上でなおも耐えてみせるのは入学試験の名目と、姫騎士としての名誉、ようは虚栄心だろう。慈悲深く勇敢なお姉様と周囲に讃えられたいがために、充分に同情を誘える程度の回数まで、ひとまず耐えて見せている。

「しゃぁっ四十九! 次はフィフティ、イーンザマス。じゅーご、じゅーろくぅ!」

 再ループ、精神注入、鞭が飛ぶ。白い髪が血に染まる。

 実際の回数は百をとうに超えている。次の瞬間にでも、音を上げるだろうと芽亜は諦めていた。ギミック義手は現代科学で可能だろうかと、現実逃避すらしていた。

 縄を噛み締めたまま夕子の身体が脱力して、ギロチンの重みにより、横に倒れ込もうと傾いた。

「項垂れるな小娘! 淑女らしく背筋を伸ばして打たれるザマス」

 ザマ先が髪を引っ張り無理矢理に身を起こし、耳元で怒鳴りつける。意識が薄れて閉ざされかけた瞼が、覚醒して見開かれた。芽亜はその目と目が合った。

「ペナルチィリセット! ひとーつ!」

 夕子の睫は長かった。灰色の瞳には恨めしいとか、蔑みとか、理不尽への怒りとか、そういった負の感情は浮かんでいない。ただ哀れんでいた。芽亜を見つめて、そうだった。どうして、と芽亜は思った。



 八剣霧子は介入を決意していた。もはやこれは試験でなく、ただの公開処刑である。弥彦嶺鈴を始めとした班員に目配せする。位置取りは問題ない。皆微かに頷いて、霧子が剣を操作しやすいようそれぞれの鯉口を緩めた。

 霧子の能力は学園の能力鑑定士に『剣属性支配』と回りくどい鑑定をされた能力である。未熟で本領を発揮しているとはいえず、今の霧子には単純な剣操作による浮遊剣が関の山であるが、戦闘に用いるにはそれで充分といえた。

 最優先はギロチンの無力化、矢見野芽亜の救出である。班員の剣を浮遊剣にした同時射出で、縄を断ち切るのと同時に、剣を何本か台にかませて、落ちてくる刃から芽亜の腕を守る。それから芽亜側の補助教員に嶺鈴たちが、夕子側のザマ先に霧子が跳び掛かればいい。夕子と芽亜の拘束はクラスメイトに言えば誰かが解いてくれる。あとはもう、乱闘で有耶無耶になる、なるといいなとは思うが、おそらく無理であろう。自分達は敗北し、試験妨害として罰則を受ける。けれども、と霧子は思った。ライバルと目していた伽羅迦楼羅に再会するのも悪くない。

 機会を見計らう。構えはしない。目だけを凝らす。殺気を抑える必要はない。なんせ自分と同じく憤慨した級友たちの怒りの気配があちこちから漏れている。それに紛れてこちらのそれはばれていない。現にザマ先などはのんきにドイツ語カウントを始めている。

 音を立てぬようそっと、そぅっと剣を抜き始めたときである。いいのが入ったのか一際大きくのたうった夕子の視線がこちらを向いた。

(どうして)

 霧子は思った。

(どうして助けを求めないの)

 鞭打ち刑の苦痛とはいうまでもなく凄まじいものである。使用する鞭によってはショック死しかねないといわれている。ザマ先の使用する馬鞭は武器としては大したものではないが神威が乗っていて、その先端速度も音からして音速を超えている。打たれた皮膚が破裂して、血の霧が舞うくらいの威力はあった。肌も髪も白い分、その赤色が殊更目立つ。血管が切れたのか目尻から血の涙も流れている。

 そのような激痛のなかにあっても真理谷夕子は助けを求めなかった。求めないでいられた。

 夕子が霧子から視線を外し、ギロチンにかけられた矢見野芽亜に向き直る。大丈夫だからと言い聞かせるように、優しげな眼差しを繕っていた。たしかに彼女はとばっちりを受けた被害者である。けれども延々と続く笞刑から逃げ出せぬ元凶として、逆恨みするに格好の対象でもあるはずだ。彼女を見捨てれば、彼女が腕を諦めれば、彼女さえいなければ、このような惨く辛い思いをしないのだと、そう思っても誰も責めはしない。それが人間の弱さであり、十五歳に過ぎない少女の自然な心の働きである。


 霧子は知っている。姫騎士といえど痛みそのものに耐性があるわけでもなし、その精神力は人間と変わらない。剣術という分野においては顕著であり、姫騎士はその身体能力や反射神経のおかげで単純な体と技は優れているものの、心法、精神の面においては凡庸の域を出ない。剣術師範の父に、姫騎士の力をもってしても敗れ続けた霧子は身に染みて知っている。

 姫騎士が騎士道だの乙女気だのと仰々しいのは、人倫の荒廃しやすい土地ほど宗教的戒律が厳しいといわれるが、それと似たようなものだろう。自分もそうだが姫騎士というものは所詮、力を強化しただけの小娘でしかないのである。痛ければ泣きたいし辛ければ逃げたくなる。それが当然だ。

 ところが夕子は痛みに耐えた。耐えている。同い年の少女に初めて霧子は負けたと感じた。


 霧子たちの剣が、音を鳴らして納まった。

(いいでしょう。手出しはしない。貴女がそれを望むのなら、私たちは貴女の覚悟を見届ける)

 無論それは霧子が独り決めに決めたことであり、ほとんど勘違いに等しかったが、彼女の気持ちが班員へ、班員から他のクラスメイトへとなんとなく伝播して、クラス一丸となって真理谷夕子の苦行を最後まで目を逸らさずに見届けようと、皆を決意させた。皆一様に姿勢を正して神妙に、我と我が身に置き換えながら、美しい少女が鞭打たれる様を見つめていた。見つめながら、よくわからないけれどとにかくすごいと、そう彼女たちは思っていた。

 矢見野芽亜がただ一人だけ例外に、あの人を助けてあげてとひたすら願い、泣きながらむーむーと唸っていた。このままではあの人が死んでしまう。どうしてそんな当たり前のこともわからないのと涙を流した。

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