姫騎士学闘アヴェマリウス
三次郎
第1話 機関銃陣地攻略演習
姫騎士学園一年生の
砲撃が近くに着弾したのか、轟音とともに地面が揺れると、思わず小さく悲鳴を上げた。この場から一刻も早く逃げ出したいが、いざそうしようとなると、思い出したかのように機関銃の火線が頭上を撫でては、彼女の身を竦ませた。塹壕にこもって、もう数時間が過ぎていた。
課題内容は丘の上の機関銃陣地の攻略である。陣地までは数百メートルで、全力疾走すれば数十秒の距離に過ぎない。始めは一か八かで突撃すれば何とかなりそうに思われたが、しかし機関銃の銃撃ばかりでなく、どこかから飛んでくる砲撃や、張り巡らされた鉄条網に阻まれて、未だに攻略できずにいた。
攻略にあたって支給された武器は三八式歩兵銃とその銃剣で、おそらく旧日本軍の骨董品であろう。部品の摩耗か、あるいは元から精度が良くないのか、がたつきがひどく、弾詰まりをしょっちゅう起こしては、『こんなもの!』と地面に叩きつけたくなる代物であった。他に武器といえるものは制服とセットの西洋剣だけで、万歳突撃くらいにしか役立ちそうにない。
制服といえば、と、芽亜はあたりを見渡した。自分もそうであるが、同じ班のクラスメイトたちの制服はひどい有様になっている。アニメや漫画のお姫様のようなドレスを模した純白のそれは、今や血や泥やその他もろもろにまみれ、よくない臭いも漂わせている。担任曰く、姫騎士とは淑女であり、オムツを穿くのは非淑女的行為であるらしい。
「……もはや我慢なりませんの」
淑女的垂れ流しに耐えられなくなったのか、班員の一人が立ち上がった。
「馬鹿馬鹿しい。あまりに馬鹿馬鹿しい試験ですの。塹壕戦ですって? この日本で? 令和の時代に? このようなものを持たされて? 人権侵害ですの。軍靴の足音ですの。このわたくし、四方院家の一人娘であるこのわたくしが抗議して差し上げますの」
三八式歩兵銃を投げ捨てて塹壕から飛び出し、叫ぶ。
「先生方! 聞こえていらっしゃるのでしょう! この試験の中止を要請……いえ、四方院の者として命じますわ! この愚かしい戦争ごっこを即刻中止なさい! このような時代錯誤の軍事教育、重大な人権侵害でしてよ! 今ならまだ四方院の力でもみ消――」
言葉を遮り火線が走る。彼女の身体はがたがた揺れると、塹壕の底に転げ落ちて横たわった。即死ではない。ひゅーひゅーとか細い呼吸は続いている。しかし銃創の数からして致命傷ではある。班員たちが息を飲んだ。
「ま、マジですの?」
「や、殺っちまいましたの?」
「あ、あの四方院さまですのよ、財閥の。いくらザマ先とはいえ、まさか」
誤射であろう。軍隊なんかでもよくある、訓練中の事故に違いない。芽亜はそう思い込もうとした。
『誤射ではないザマス。繰り返す、誤射ではないザマス』
その口調からザマ先とあだ名された教官の言葉がスピーカーから響いた。
『良い機会ザマス。未だ身の程を弁えぬおノータリンなお嬢様方に講義して差し上げるザマス。我が姫騎士学園は日本国に一切属さぬ私塾であり、その敷地内は治外法権ザマス。それすなわち、日本国憲法だの基本的人権だの、なまっちょろい娑婆の理屈は通用しないということザマス」
滅茶苦茶な理屈であった。
『そして姫騎士学園ではアタクシたちが、教師が法で神様ザマス。一方あなた方新入生は何か? 絶対服従の奴隷? 否、ウジ虫以下のお排泄物ザマス。お排泄物に人権はなぁーい。いらない、やらない、認めなぁーいの三ない汚物ザマス。現にほら、あーくさくさ、キャメラ越しでもくっさい臭いが漂ってくるザマス』
「なっ、あの行き遅れのお排泄ババア。どなたのせいでこのような……!」
皆、年頃の少女である。羞恥心混じりの怒りがわき上がった。
『反抗的な目をした! ヨシ! 先ほどの四方院お知恵足りんの件と合わせてペナルチィザマス』
蜂の羽音に似た音が聞こえた。それも複数である。一斉に空を見上げた。
「ドローン? まさか!」
「手榴弾爆撃なんて非人道的でしてよ!」
「土嚢を! 土嚢を盾に!」
芽亜は土嚢とともに咄嗟に四方院さんの身体を引っ掴んだ。無意識の行動であった。庇おうというのではなく、生存本能が人体のクッション性を期待したのである。
爆発の衝撃の後、ドローンの音が飛び去るまで待って、ようやく土嚢から顔を出した。
「皆さん、ご無事でして?」
「やべーですの。ざっくざく切れてますの」
盾にした土嚢は手榴弾の破片でずたずたになって、持ち上げると中身が全部こぼれ落ちた。
「そういえば四方院さまのご容態はいかがですの」
芽亜は思わず四方院さんから手を離したが、四方院さんの身体がぐったりとそのまま倒れかけるのを見て、慌てて支え直して横たえた。
「あっ、ごめんなさい。あの、わざとじゃ……」
幸いにも新たな外傷はなく、まだ息がある。四方院さんは「ありが……存じ……ます」と途切れ途切れにお礼を言った。
「メアさんが護って下さったの?」
「なんとお優しいこと!」
真意は悟られずに済んだが気まずかった。
「しかしあのお排泄女郎、いよいよもってわたくしたちをぶち殺すおつもりでしてよ」
「わたくしたち少女の
「ですの。それでお更年期をお患いになっておいでですのよ、きっと」
「脳にまで蜘蛛の巣がお張りになってお可哀相……」
「あのような手合いには何を申し上げても無駄でしてよ。他者の意見をまったく聞き入れて下さいませんもの。わたくし、お父様の介護でよくよく存じております」
「あらそちらも? わたくしのお父様も
「老いて童心に帰る、頑是ない子供の如くですわね。けれどまあ、煩わしくは存じますが仕方のないことですの。お年寄りの戯れに付き合うのも若者の義務ですもの」
「ですわね。それではお父様方と同様に、ザマ先のお愚行にもお付き合いして差し上げましょうか」
「ええ、若者として、誉れ高き乙女として」
「あらいやですの。ザマ先も乙女でしてよ」
「あのお年頃にもなって、ですけれど」
「随分とご年季の入った誉れですこと」
オーッホッホッホと班員たちが高らかに笑い合い、何やらやる気を出している。ある者はロングソードを抜剣し、ある者はがちゃこんとボルトアクションの具合を確かめ、ある者は「ふんす」と銃剣突撃の構えをした。
わけがわからなかった。芽亜は一般家庭の出身である。代々姫騎士を輩出する上流階級の出であろうクラスメイトたちの感性が理解できなかった。狂った軍事教練に駆り出されて死傷者が出て、口汚く担任を罵ったかと思えば軽口をたたき合って無謀な万歳突撃に意欲的になっている。
「先鋒はどなたがお勤めに? よろしければわたくし、志願いたしますの」
「いえ、わたくしが」
「わたくしだって
「あら皆さん、そう強突く張りになってはいつまでも決められませんの。ここはいかがでしょう? メアさんにお譲りするというのは?」
「なるへそですの。四方院さまを咄嗟にお庇いになるほどにお優しく勇敢なメアさんなら納得ですの」
「え? いや、あの……それはちょっと、遠慮したい、というか……メアには分不相応かな、というか……」
「そのように奥床しいメアさんですからこそ、先鋒の名誉に相応しゅう存じますの」
「まことに、おっしゃる通りですわ」
「めあ……さん……わたくしの想い……託しますの……」
四方院さんまで、芽亜の腕に抱かれて吐血しながらそんなことを語り出した。託されても困るのである。この人本当に瀕死なのかなと軽くその身を揺らしてみると、「ぐふっ……!」と言って瞼を閉じた。
どうしてこんな目に、と芽亜は思った。
「……わかった。突貫するよ。メアが一番前を進めいいんだよね」
芽亜は空気を読まざるを得なかった。
「銃弾は切り払いが基本ですので、メアさんのライフルと弾薬盒はわたくしがお預かりいたしますの」
「メアさんは四方院さまの剣をどうぞ。託された想いで二刀流ですの」
「名案でしてよ。ダブルソードシールドで防御力も二倍ですわね。ではわたくしは剣一本で征きますの。メアさんの行く手を阻む有刺鉄線をぶった切って差し上げますわ」
「作戦は決まりましたの。メアさんの突撃に合わせて、基本装備のわたくしたちは高度の柔軟性を維持しつつ臨機応変に対処しますの」
いい加減な作戦会議が終わり、それぞれが装備を調えて配置につく。
あれよあれよと押し切られ、無謀な万歳突撃の先陣を切る羽目になってしまった。芽亜が覚悟を固める間もなく作戦開始である。銃弾で撃たれるのは痛そうで嫌だなとか、邪魔な鉄条網は走り幅跳びの要領で飛び越えられないかなとか、今日の夕飯はなんだろうとか、どうも現実感のないふわふわとした心地のまま、突撃開始の合図を待った。
ふと、四方院さんの代わりに誰が号令をかけるのだろうと見渡すと、
「姫騎士学園校訓! 騎士道とは死ぬことと見つけたり!」
「強く! 気高く! より強く!」
「命短し死ねよや乙女!」
「突撃っ! 突撃っ! 突撃ですわ~!」
示し合わせたように各々叫ばれ、
「や、やー!」
と、びくついて反射的に、追い立てられるかのように芽亜は塹壕から飛び出した。
泥濘で踏み込みすぎて転びかける。体勢を立て直すが、見れば芽亜を追い抜きかけた班員はいわゆる八相の構えで駆けているので、そもそも二刀持ち自体が走りづらいのである。足に合わせて腕を振れないので自然と万歳姿勢となり、剣というより松明やらペンライトやらを両手に翳した怪しげな儀式のような格好である。頭がおかしくなりそうであった。
「日の本に、神あり君あり乙女あり!」
「染めよ心に誉れの軍旗!」
「輝く必勝、貫く苦難!」
「起て撃て忍べ勝て興せ!」
「進め一億火の玉ですの!」
この人たち、頭おかしいと芽亜は思った。柄を握る手に衝撃が走り、金属音が鼓膜を揺らした。銃弾が剣に当たったのに気が付いて咄嗟に顔を剣で庇うと、再度衝撃が手に走った。どうしてこんな目に、と芽亜は思った。
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